- 2024.10.28
デビュー20周年怒涛のリリースラッシュ到来 ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVOL.21
ENTERTAINMENT 昭和40年男1982年はビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしてから20年目を迎えるアニバーサリーイヤー。ということで、この年は1月のオリジナルアルバムのモノ盤を皮切りに続々と毎月のように特別企画盤がリリースされた。そのなかでも大きな話題を呼んだのが、4月1日にリリースされた『リール・ミュージック...続きを読む
1982年はビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしてから20年目を迎えるアニバーサリーイヤー。ということで、この年は1月のオリジナルアルバムのモノ盤を皮切りに続々と毎月のように特別企画盤がリリースされた。そのなかでも大きな話題を呼んだのが、4月1日にリリースされた『リール・ミュージック...続きを読む
サイモン&ガーファンクルの来日公演の翌月、NHK教育で『日本を変えた来訪者2 ビートルズ』という番組が放送された。66年に行われたビートルズの来日公演がどのようなものであったのかを、当事者たちの証言で明らかにするとともに、単なるロックコンサートの枠を超えたこのイベントが日本の社会及び若者たちにどのよ...続きを読む
『タッグ・オブ・ウォー』のレコードを買った翌日、1982年5月11日、後楽園球場で行われたサイモン&ガーファンクルの初来日公演に出かけた。 2年前の1月にビートルズに興味を持ってから他の洋楽にも興味をもつようになり、モンキーズ、ビーチ・ボーイズ、ビリー・ジョエルなどのアーティストを聴きだした、...続きを読む
多くの著作をもつ作家・島村洋子さん。そのキャリアのスタートは80年代に若い女性の間で人気を博したコバルトシリーズでした。そこで『オール・マイ・ラヴィング』『抱きしめたい』といったタイトルの作品を発表し、自分のルーツであるビートルズへのオマージュを捧げています。70年代後半にエドウィンのCMでバッドボ...続きを読む
1982年4月21日、ポールの新シングル「エボニー・アンド・アイボリー」がリリースされた。「カミング・アップ」以来2年ぶり、ジョンの死後初の新曲とあって、我々ファンはもちろんのこと世間的にも注目を集めたシングルとなった。 『海外ウィークリー』でOAされた新曲ビデオ この年のポールは、翌5...続きを読む
年が明けて82年。この年はビートルズのデビュー20周年ということで、アニバーサリー企画も含めて動きの多い一年であった。まず新年早々、21日にオリジナルアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』から『イエロー・サブマリン』までの10作品がモノラル盤で発売された。それまで日本ではビートルズのオリジナルアルバム...続きを読む
81年秋、映画界の話題が『悪霊島』一色となっていたなかで、リンゴが主演を務めた『おかしなおかしな石器人』が公開された。単館上映ゆえ一般的にはひっそりと、という印象は否めないが、劇中で使われている言葉は石器語のみで字幕なしという設定は多少なりとも話題になっていたし、ビートルズファンの間ではそれなりに注...続きを読む
1981年10月、映画『悪霊島』が公開された。主題歌は「レット・イット・ビー」。9月辺りから角川映画特有の広範囲のプロモーションが展開され、テレビとラジオでは繰り返しトレイラー映像や音源がオンエアされた。そのBGMとして使われていたのが「レット・イット・ビー」で、これがしつこいくらい繰り返し流れた。...続きを読む
ビートルズのファンなら誰も一度はしてみたい巡礼の旅。その行き先はイギリス・ロンドン、そしてリバプールである。しかしマニアはアビー・ロードやストロベリー・フィールズのような一般的に観光地化されたところでは物足らず、いつのまにかどんどん無名な場所を探して足を運んで行く。そのひとりがソニーミュージック・イ...続きを読む
19時開演、21時終演。佐野元春「2024年初夏、Zepp Tourで逢いましょう」ツアーの最終公演はぴったり120分の間に23曲を盛り込んだ。それは常に時代を意識し、言葉と音を追求し続けた佐野元春の魅力が凝縮されたライブであった。 ひたすらストイック、シリアスに、エモーショナル 「君をさがして...続きを読む
1981年の夏休み、ポール・マッカートニー&ウイングスの映画『ロックショウ』がロードショー公開された。『ロックショウ』はウイングスが76年に行った全米ツアーからシアトルのキングスドームでの公演のもようを収めたライブフィルム。調べてみたら日本での公開は8月15日だったようだ。 8月17日、銀座・テア...続きを読む
1981年4月、テレビ朝日系で『ベストヒットUSA』の放送が始まった。アメリカの最新ヒット(ラジオ&レコード誌のトップ20)をプロモビデオで紹介していくカウントダウン番組だ。ラジオの洋楽チャート番組はあれどテレビ番組は珍しく、MTV時代の到来を予感させるとともに、司会の小林克也の軽妙なトークと達者な...続きを読む
昭和のディスコといえば新宿、新宿と言えば東亜会館、昭和のディスコ文化を語る際の代名詞とされる聖地で8月25日に「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」が開催される。会場は東亜会館地下の巨大クラブWARPである。場内にカテゴリー分けされた数種のフロアを設置した斬新な...続きを読む
1981年3月末日、アメリカのレーガン大統領がピストルで撃たれるという事件があった。あやうく死は免れたものの、現職大統領の暗殺未遂という衝撃は大きく、またジョンの事件からまだ間もないなかでの出来事ということもあり、ジョンの件を引き合いに出して伝えるメディアも多く見られた。あの日を思い起こさせ、悲しい...続きを読む
年が明け、1981年を迎えた。新年というのにジョンの事件による精神的苦痛は晴れず、相変わらず沈んだ気持ちのままジョンとビートルズのことばかりを考えていた。1月4日に文化放送で放送された大友康平のビートルズ特番を聴き、11日に千代田公会堂で行われたジョン・レノン追悼フィルムコンサートに参加、18日にヨ...続きを読む
本連載、4人目のゲストは真鍋新一さん。現在、『レコード・コレクターズ』ほかで主に日本のロック、歌謡曲などを専門にしているライター・編集者です。DJとしても活躍中。そんな彼と知り合ったきっかけはサブカル同人会を通してだったのですが、話しをすればかなりのビートルズ通。『ビートルズ1』以降の若いファンなの...続きを読む
ポール逮捕に始まり、ジョンの死で終わろうとしていた1980年の12月暮れ、NHKでひとつのテレビドラマが始まった。当時、NHKが定期的に放送していた少年ドラマシリーズという枠の、タイトルは『家族天気図』という作品である。少年ドラマシリーズはその名のとおり、小学生・中学生をターゲットにしたドラマで、S...続きを読む
ジョン・レノンが死んだ。しかも射殺されたという衝撃と悲しみ、虚脱感と喪失感は、13歳の少年に到底耐えられるものではなく、しばらく茫然自失の日々が続いた。なにをやっても気が乗らず、学校でも授業に身が入らず、うわの空。友達と会話もせず、空っぽの精神状態であった。それでも、新聞や週刊誌、テレビのニュースや...続きを読む
本連載、3人目のゲストは森川欣信さん。オフィスオーガスタの設立者で、現在は同社の最高顧問を務めています。これまで多くのバンドやソロアーティストを手掛け、今も現役の音楽プロデューサーとして作品を送り続けていますが、その根底にはすべてビートルズからの影響があると言い切ります。どこを切ってもビートルズへの...続きを読む
1980年12月6日土曜日、浦安駅前にあった、行きつけのレコード屋「シブヤ」で『レット・イット・ビー』のLPレコードを購入した。1月以来、ビートルズの全楽曲の入手を目指して一ヶ月1枚のペースでレコードを買っていたが、その最後を締めくくるレコードが『レット・イット・ビー』であった。もちろん自力だけでは...続きを読む
ビートルズ熱が上昇の一途を辿るなか、今度は自分の好きなビートルズソングのデイリーチャートを付け始めた。その日自分はどの曲が好きなのかを1位から20位までランキング化するという、ひとり『ビートルズ10』(ラジオ日本)みたいなことである。レコードを買ったり、友達からレコードを借りたり、ラジオで聴いたり、...続きを読む
1980年10月から文化放送で『ザ・ビートルズ』というラジオ番組が始まった。土曜11時半からの30分番組。どういう経緯でこの番組を聞くようになったのか、はっきりと覚えていないが、きっと新聞のラテ欄で見つけてダイヤルを合わせたのだろう。この少し前から、深夜放送を聴くようになり、特に土曜日は深い時間まで...続きを読む
それはビートルズファンの友達(7月20日にフィルムコンサートを観に行った中のひとり)から『Five Nights in a Judo Arena』というタイトルのレコードを聴かせてもらったことから始まった。見たことのないジャケット、聞いたことのないレーベル、そこに収められた音源がビートルズの日本公演...続きを読む
ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談の第二弾は、『レコード・コレクターズ』をはじめとする雑誌で鋭いビートルズ評論を展開しているサエキけんぞうさん。そもそも作品の送り手であるアーティストのサエキさんが、なぜビートルズの評論をするようになったのか、リアルタイム体験者ならではのビートルズ論...続きを読む
1980、中学生の一ヶ月の小遣いは3000円だった。LPレコードの値段が一枚2500円だったから、一ヶ月に買えるLPレコードはわずか一枚という計算である。それでも、ビートルズの曲を聴くためにはレコードを買うしか方法はないわけだから、正月にもらったお年玉の残りをそれにあて、7月前半に『プリーズ・プリー...続きを読む
ビートルズファンでその名を知らない人はいないのではないか。ビートルズ研究家として多くの書籍を手掛けるほか、CDやDVDのライナーノーツの執筆及び、映画の監修、さらにはトークイベントやテレビ、ラジオへの出演など、ビートルズと名の付くものには必ずといっていいほど藤本国彦の名がクレジットされ、ファンから厚...続きを読む
ビートルズの魅力とはなんだろう。その答えは人それぞれだろうが、44年間毎日ビートルズのことを考え、長い歳月をかけて巡り巡って導き出された答え、それは顔である。もちろん、最初にビートルズを聴いたときの、今までに聴いたことのないロックンロールに違和感に近い興奮を覚えたのは確か。オリジナルすぎるマジカルポ...続きを読む
終わらないシティポップブーム。そう言っていいだろう。2023年もコンピレーションCDのリリースやアナログの再発、初CD化が相次ぎ、ほかにもディスクガイドの刊行やテレビ特番でお茶の間にもシティポップが届くまでとなった。40年以上が経った今でも耳に新しく、ふと口ずさみたくなり、当時の空気を鮮明に思い出さ...続きを読む
ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いていると、“最後の新曲”という謳い文句や悲しいメロディ、ジョンの細い歌声、今はそばにいない人に捧げた歌詞に心打たれ、ふと自分のビートルズ人生を思ってしまう。ファン歴44年。その間に出会ったビートルズファンの知り合いのことが頭に浮かぶ。あの人は今も元気だろうか。...続きを読む
2023年12月14日、矢沢永吉が日本武道館で記念すべき150回目の公演を行った。1966年6月30日のビートルズ以降、数多くのアーティストがその舞台に立ち、語り草となる名演を行ってきたが、日本武道館に刻まれた約60年の歴史や伝説も矢沢永吉の前では霞んでしまう。まさに前人未踏。そして今後も、この数字...続きを読む
昨年11月に発売された『昭和40年男』VOL.76の特集は「俺たちニューミュージック世代」だった。70年代後半の音楽シーンにおけるニューミュージックはとても大きな存在で、ちょうどその頃に音楽の自我に目覚めた昭和40年男の多くは、歌謡曲でもなく、ロックでもなく、シティポップでもなく、迷うことなくニュ...続きを読む
人には音楽の自我に目覚める時期がある。きっかけはテレビやラジオなどのメディア、あるいは兄弟や友人などまわりの影響であったとしても、自分の意志で自分の趣味に合った音楽を選ぶようになる。個人差があるとしても、大概、小学校高学年から中学校に上がったくらいのタイミングである。 昭和40年男の場合、それ...続きを読む
昭和歌謡やシティポップが世代や国境を超えて注目されるなか、埋もれている“80年代アイドル”の隠れた名曲に光=スポットライトを当てるコンピレーション・アルバムが誕生。その名も『スポットライト 〜会いたかった!! 80's アイドル』である。 収録楽曲30曲中24曲が初CD化! このアルバムが数多あ...続きを読む
昭和がブームと言われて久しい。テレビを付けても毎日のように昭和回顧をテーマにしたバラエティ番組が放送されているし、昭和の歌謡曲がフィーチャーされた歌番組も多い。少し前なら、昭和歌謡好きの若者は貴重な存在だったが、今では普通となり、特段珍しくなくなった。 きっと、弊誌をはじめとする昭和系の雑誌も...続きを読む
5月31日に発売された『昭和45年女』の特集「私たちの洋楽ROCK SHOW」のハイライトともいうべき扱いで掲載した、シャーリー富岡さんと中村真理さんの『ファントマ』対談ページ。なぜ、この特集は2人だったのか、2人でなければダメだったのか。本誌編集長が『ファントマ』愛を語ります。 80年代洋楽を語...続きを読む