ジョンが死んだ日②「ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVOL.8」

  • 2024.05.20

ジョン・レノンが死んだ。しかも射殺されたという衝撃と悲しみ、虚脱感と喪失感は、13歳の少年に到底耐えられるものではなく、しばらく茫然自失の日々が続いた。なにをやっても気が乗らず、学校でも授業に身が入らず、うわの空。友達と会話もせず、空っぽの精神状態であった。それでも、新聞や週刊誌、テレビのニュースやワイドショーをチェックし、そこから得る最新情報で徐々に事件を事実として受け入れるようになっていった。

ラジオで聴いた渋谷陽一の憤りと大友康平の涙

テレビのニュースでジョンの死を伝える際、その功績が紹介されることも多く、そこで過去の映像が流れることがあった。「スタンド・バイ・ミー」と「スリッピン・アンド・スライディン」のプロモーションフィルムが流れていた印象が特に強いが、思えば、「スターティング・オーヴァー」にはPVはなく、その前の最新作といえば『ロックンロール』だったわけだから、そうなるのも理解できる。そんな事情も知らない、まだ知識の浅い私はいつしかそれを観ることが楽しみになった。ほかには「インスタント・カーマ」「イマジン」あたりも。ビデオのない時代ゆえ頭の中の記憶に留めたに過ぎないのだが、ある程度観た後は「またこれか」なんていってがっかりするようになってしまった。

事件の2日後、渋谷陽一の『サウンド・ストリート』でジョン・レノン特集があった。それまでこの番組を聴いたことはなく、渋谷陽一の存在はレコードのライナーノーツでの字面でしか知らなかったのだが、ジョン特集ということでダイアルを合わせてみたら、冒頭のトークに痛く胸を打たれてしまった。ニュースを扱うメディアへの不満、メディア人である自分自身への憤りは、にわかファンながらに感じていたメディアへの不信感を代弁していて、思わず同意し、共感を覚えた。ジョンの死を伝えるニュースの背景に「イエスタデイ」が流れ、「レット・イット・ビー」の演奏映像が流れるケースが本当にあったし、何でこの人が話しているのかと思う場面はいくつかあった。後にロックリスナーとして大きな影響を受ける渋谷陽一との出会いがジョンの死であった。

ラジオと言えば、そのさらに2日後の文化放送「明治製菓 ビートルズ」も忘れられない。1曲に「ラヴ」が流れたあと、MCの大友康平は「だから1曲目は『ロックンロール・ミュージック』がいいって言ったんだよ!」と声をつまらせ、「自分がこの番組を担当している間にジョンが死んでしまうなんて」と泣いた。「ラヴ」は初聞だったので、なかなか始まらないイントロに放送事故か、なんて思ったことも覚えている。同じ日だったか。定かな記憶はないが、ラジオ日本の『全米トップ40』で、生前録音されていた湯川れい子によるジョンへのインタビュー音源を聴いた記憶がある。本来、それは新年の放送で流す予定だったが、という説明があったような。その放送を聴いた正確な日付を思い出すことはできない。またこの週末はヨーコの呼びかけによる10分間の黙とうが捧げられた。日本では早朝だったためイベント感はなく、「今頃ニューヨークでは追悼集会が行われているんだろうな」なんて思いながら寝てしまっていた。

新年早々のジョン・レノン・メモリアル・コンサート

コンプリート・ビートルズ・ファンクラブ主催の追悼イベントを知らせるはがき

日本では12月24日にビートルズ・シネ・クラブ主催のイベントが日比谷野外音楽堂で、26日にはコンプリート・ビートルズ・ファンクラブ主催のイベントが日本教育会館で開催された。前者は内田裕也や大島渚などの有名人が多数参加したほか、キャンドル行進が行われるなどして盛り上がったらしく、ワイドショーでも大々的に取り上げられた。

どちらのイベントにも参加できなかったのだが、翌年1月11日に、またもや千代田公会堂で主催されたコンプリート~主催の「ジョン・レノン・メモリアル・コンサート」には、なにがなんでも行かねばという思いで足を運んだ。友達を誘うこともなく、3回目のフィルムコンサートにして初めての一人で参加。自分と同じ気持ちのファンとともに悲しみを共有したかったのだ。超満員のなか、「マン・オブ・ザ・ディケイド」「デヴィッド・フロスト・ショー」「ワン・トゥ・ワン」などの貴重な映像を松本常男さんの解説で鑑賞。「マン・オブ・ザ・ディケイド」は本邦初公開とのことで、注目したものの字幕はなく。言っていることの10分の1もわからなかった。そのほか、ジョンを殺した犯人が映っているという「SALUTE TO SIR LEW GRADE」の映像も上映された。このテレビショーで「イマジン」を歌うジョンを客席のチャップマンが観ているという松本さんの説をすっかり信じ切ってしまったが、のちにそれが間違いであることが判明。テレビでもその説が何度か報じられ、信じた人も多かった。

人生初武道館で観たビートルズの幻

1981年1月11日、千代田公会堂でジョン・レノン・メモリアル・コンサートが開催された

前後するが12月16日、フジテレビの「FNS歌謡祭」を日本武道館まで観にいった。すでに日本の歌謡曲には興味はなかったのだが、母親が観覧募集に当選したということで、その付き添いとして妹と3人で出かけた。葛西から東西線で九段下へ。九段下を降りると、いつもは千代田公会堂に向かうのだが、今回はビートルズがライブをやった日本武道館ということで、ちょっと緊張した面持ちで千鳥ヶ淵を歩きながら、14年前のビートルズの日本公演のときは、このあたりにファンがたくさんいたんだろうなと思いを馳せた。今思えば、来日公演からたった14年しか経っていなかったことにも驚く。

人生初の武道館で座った席は2階の最後列、天井から吊るされている日の丸の方が近いくらいの位置で、目の前に広がる急な勾配に恐怖を覚えるほどであった。田原俊彦や沢田研二、八代亜紀などの歌唱を聴きながら、やはり、ビートルズの武道館公演を妄想していた。帰り道、駅の売店でジョンとヨーコが表紙の『週刊朝日』を見つけ、購入した。

事件直後に出た『週刊朝日』

 

 

 

関連する記事

LiLiCo

昭和45年女

人生を自分から楽しくするプロフェッショナル

LiLiCo

松島親方

Lightning, CLUTCH Magazine, 2nd(セカンド)

買い物番長

松島親方

ランボルギーニ三浦

Lightning

ヴィンテージ古着の目利き

ランボルギーニ三浦

ラーメン小池

Lightning

アメリカンカルチャー仕事人

ラーメン小池

上田カズキ

2nd(セカンド)

アメリカントラッド命

上田カズキ

パピー高野

2nd(セカンド)

断然革靴派

パピー高野

村上タクタ

ThunderVolt

おせっかいデジタル案内人

村上タクタ

竹部吉晃

昭和40年男, 昭和45年女

ビートルデイズな編集長

竹部吉晃

清水茂樹

趣味の文具箱

編集長兼文具バカ

清水茂樹

中川原 勝也

Dig-it

民俗と地域文化の案内人

中川原 勝也

金丸公貴

昭和50年男

スタンダードな昭和49年男

金丸公貴

岡部隆志

英国在住ファッション特派員

岡部隆志

杉村 貴行

2nd(セカンド)

ブランドディレクター

杉村 貴行

2nd 編集部

2nd(セカンド)

休日服を楽しむためのマガジン

2nd 編集部

CLUTCH Magazine 編集部

CLUTCH Magazine

世界基準のカルチャーマガジン

CLUTCH Magazine 編集部

趣味の文具箱 編集部

趣味の文具箱

文房具の魅力を伝える季刊誌

趣味の文具箱 編集部

タンデムスタイル編集部

Dig-it

初心者にも優しいバイクの指南書

タンデムスタイル編集部

昭和40年男 編集部

昭和40年男

1965年生まれの男たちのバイブル

昭和40年男 編集部

昭和45年女 編集部

昭和45年女

“昭和カルチャー”偏愛雑誌女子版

昭和45年女 編集部

昭和50年男 編集部

昭和50年男

昭和50年生まれの男性向け年齢限定マガジン

昭和50年男 編集部