西新宿小滝橋通りにあった海賊盤専門店KENNIE
正規盤もろくに揃えられておらず、公式楽曲のすべてを聞いてもいないにもかかわらず、海賊盤という耳なじみのない怪しい名前が気になり、その禁断の世界に惹かれていった。聞くところによれば、どうやらそれは新宿の外れにあるレコード屋で売っているらしい。ということで、最初にその街に足を踏み入れたのは冷夏だった8月が終わり、新学期が始まった9月の初頭。ビートルズ仲間数人と辺境の葛西から東西線と丸の内を乗り継いで大都会の新宿へ向かった。
当時の中学生の目には新宿とい繫華街はとても刺激的で、竣工したばかりのスタジオアルタ正面の電光掲示がもの珍しく見えた。向かいには大きな映画の看板が設置してあり、ロードショーに誘う。その横の小さなトンネル状の歩道を抜けたあたりにはサングラス屋とかの店が並んでいて、さながらそれは戦後の闇市のようであった。思い出横丁から青梅街道を渡り小滝橋通り方面へ進む。目指すは「KINNIE」という海賊盤専門店である。
何を頼りにしたのかはよく覚えていないが、きっと雑誌広告かなんかの切り抜きをもっていたのだろう。簡略化された地図を見ながらたどり着いたその店は思いのほか狭く、暗い。日曜の午後ということもあって、店内は大学生と思しきロックファンで込み合い、それぞれが無言でお目当ての盤を探していた。店内に音楽がかかっていた記憶はない。
安物買いの銭失いだったインタビューレコード
異様な熱気と重圧に押され、なかなかビートルズコーナーにたどり着くことができず、手持ち無沙汰な状態が続く。ビートルズだけが目当てだと悟られないよう壁に飾ってある見たことのないレコードを眺めながら順番を待ち、数分経過した後、ようやくビートルズコーナーの前に立つ。が、どれも高価で、欲しいものは手が届かない。お目当ての『Five Nights in a Judo Arena』も見当たらない。そんななか、偶然『Live From The Sam Houston Colosseum』というレコードを手に取った。高価ゆえスルーしてしまったが、白衣を着た4人がバラバラになった赤ん坊の人形を抱えている写真は、その後もずっと気にかかって仕方なかった。それがブッチャーカバーと呼ばれる問題写真のアウトテイクだと知るのはもう少しあとのことだ。
焦る気持ちを抑えながら購入したレコードは『Hear the Beatles Tell All』というもの。確か2000円くらいだったと思う。だが、これこそが安物買いの銭失い。家に帰ってレコードに針を落としたら、4人のしゃべり声しか入っていない、インタビューレコードだったのだ。タイトルを訳せば確かにそうなのだが、気が付かず。期待が大きかったせいもあって、この失敗にさすがに落胆。後で調べてみるとそれは64年にアメリカのVee-Jayというレーベルからリリースされたもので、便乗商品ながらも一応は正規盤で、正確には海賊盤ではなかった。
80年代初頭の西新宿レコード屋街
せっかく買ったレコードなので、2度、3度と聞いたのだけど、内容はもちろんのこと誰が話しているのかもわからず、全く面白くない。でもなんとかこのレコードを楽しまねば……。そして名案が浮かんだ。そうだ、英語の先生にこの音源を聞いてもらい、訳してもらおう。当時の英語の教科書にはビートルズの歴史というページがあり、ビートルズには寛容なはず。ネタがビートルズなら、こういう個人的なお願いも理解してもらえるのではないかと考えた。翌日、レコードの音源を録音したカセットを持参し、英語の授業のあとに先生に駆け寄り、一連の経緯と事情を説明したあと、英会話の授業用に持ってきていたラジカセでかけてもらった。
すると、「インタビューの後ろの雑音がうるさくて聞きとれない」「訛りがひどい」と言い残し、ろくに聴こうともせずに職員室に戻っていってしまった。取り付く島もなく、やり場のない気持ちをどこに持って行ったらいいかもわからず。落胆の気持ちは深くなるばかりだった。以来、『Hear the Beatles Tell All』がターンテーブルに乗ることは一度もなかった。
大失敗に懲りることなく、それからも西新宿に通うようになり、徐々に地理関係を把握して、街の空気や店の雰囲気にもなじみ始めると、一人で足を運ぶようになる。「KENNIE」以外にも「DISCROAD」「WOODSTOCK」「EDISON」「DUN」といった店を回るようになり、若くしてレコード裏街道を歩みはじめようとしていた。2度目の「KENNIE」で買ったレコードは、ジョンの『テレキャスツ』という海賊盤。ジャケに惹かれて買ったはいいものの、この頃まだジョンのソロアルバムを一枚も持っていなかった。