80年代ビートルズを代表する「ムービー・メドレー」
『ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ!』『MMT』『イエロー・サブマリン』『レット・イット・ビー』から年代順に14曲を収録した選曲は、そのままビートルズ史にもなっていて、『赤盤』『青盤』とはまた違った印象のベスト。封入されていた凝った作りのブックレットも見応えがあり、なかなか楽しめるレコードであった。当時はまだ『レット・イット・ビー』と『ハード・デイズ・ナイト』以外の映画は未見だったので、レコードを聞き、ブックレットをめくりながらまだ見ぬ映画に想像を掻き立てた。
21日にはそのアルバムとの連動シングルとして「ビートルズ・ムービー・メドレー」がリリースされた。なぜかアルバム未収録のこの曲は「マジカル」「愛こそは」「悲しみは」「恋する二人」「ハード・デイズ・ナイト」「涙の乗車券」「ゲット・バック」の7曲をノンストップでまとめたもの。完全に去年ヒットしたスターズ・オンを意識したもので、本家なのに二番煎じというこの企画の是非はさておき、プロモーションビデオは観るべき場面が多かった。ジョージの「オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー」同様過去映像で構成したビデオだが、メドレーに合わせて劇中の歌唱シーンや名場面を編集術が素晴らしく、未見だった映画の映像はとくに嬉しかった。
そこそこ話題になり、チャートをにぎわせ、ヒットもして、『ファントマ』や『ベストヒットUSA』といった洋楽番組で頻繁に流れていた。その都度録画していたのは、いつも途中までしかオンエアしてくれないから。いつかフルで流れるのではないかと期待してのことだった。同じような経験をした人も多いのではないか。
余談だが、この年の『ファントマ』は年間を通してートルズを取り上げてくれていたし、『ベストヒットUSA』はリクエスト大会でビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」の映像を流してくれたことがあった。確か17位だったような記憶。余談だが、このときのリクエスト大会で流れたクイーンの「サムバディ・トゥ・ラブ」のビデオを見て、自分の中で一気にクイーン熱が高まった。話を「ビートルズ・ムービー・メドレー」に戻して、このレコードは80年代のビートルズを語るうえで欠かせないものだと思うのだが、現時点では未CD化でビデオも未ソフト化。もはやなかったことになっているのが不思議であり、残念である。
昭和版『1』というべき内容のベストアルバム
その後、6月には『赤盤』『青盤』のカラーレコード、8月には『EPコレクション』、10月には『ビートルズ・イン・イタリー』『デッカ・テープス』(この音源には驚いた)と続き、12月にはLP『20グレイテスト・ヒッツ』と「ラブ・ミー・ドゥ」の12インチシングルがリリースされた。前者はアメリカとイギリスのそれぞれの国でチャート1位になった曲を集めたアルバムで、いわば昭和版の『1』といった印象。アメリカと日本盤は同じ選曲でイギリス盤は別選曲と知るのは少したってからのことだ。
ヒット曲集という内容に興味がもてず、購入には至らなかったのだが、「ラブ・ミー・ドゥ」はB面にリンゴのドラムバージョンが収録されていたのは気が利いていた。プロモーションビデオも秀逸でこれも何度も繰り返し見た。これだけのリリースがあってはさすがに小遣いが足りず、人生初のバイトを始めたのだが、買うレコードはまだ聞いたことのないソロのアルバムが多かった。
ジョージ、ポール、ジョンもレコードをリリース
ソロと言えば、ジョージの『ゴーン・トロッポ』がリリースされたのもこの年の秋だった。ほかにもポールの『タッグ・オブ・ウォー』からのシングルカットで「テイク・イット・アウェイ」「タッグ・オブ・ウォー」(いずれもビデオが秀逸)、そしてマイケルとの「ガール・イズ・マイン」が『スリラー』からの第一弾シングルとして続いた。ジョンも『コレクション』というベストが出た。すでに『シェイブド・フィッシュ』というベストを持っていたし、ソロも買い集めたので、真新しい曲はないのだけど、事件当日の写真というジャケが目を引いた。神保町の三省堂の裏にあったビクトリア(スキーショップのビクトリアがやっていたレコード屋)で買ったらラミネート加工されたジャケ写が入っていたのは、なんだったのだろうか。ジョンのベストはこのあとも手を変え品を変え出たけど、いちばん思い入れのあるものはこの『コレクション』と言える。
正規盤のほかに西新宿に行っては海賊盤も追いかけていた。80年以来44年間ビートルズのことを考えない日は一日もなかったのだが、82年が一種のピークだったような、いま振り返るとそんな気がする。