フィルムコンサートの開場待ちで知った『ビートルズ事典』
前年7月の千代田公会堂行きから親しくなり、中3で同じクラスになって以降親友となったKKくんはこの時期のビートルズ活動の重要人物。KKくんは親戚の叔父さんから譲り受けたというビートルズ関連のレコードと雑誌(主に60年代の『ミュージック・ライフ』)をたくさん所有しており、それを借りてはカセットテープに録音したり、読んだりして知識を蓄えていた。当時はコピーすることも普通なことではなかったから、何度も繰り替えして読み、写真は凝視して脳内にインプットさせていた。ユニークかつ多才のKKくんは、『カンボジア難民救済コンサート』で「レット・イット・ビー」を歌うポールのものまねをしてくれたり、ギターを教えてくれたり、一緒にビートルズカラオケで遊んだり(初期の曲はステレオを片チャンにするとカラオケになりそれを流して2人で歌っていた)、この頃のわたしに少なからずの影響を与えた。
そんなある日、念願だった書籍『ビートルズ事典』を購入した。日本のビートルズ史を語るうえで欠かせない香月利一著の名著である。この書の存在を知ったのは、去年から通っていたフィルムコンサートでのことだった。開場待ちの際、自分の前後に並んでいたファンの中に時間つぶしのために持参したラジカセで海賊盤音源を聞きながら『ビートルズ事典』を読んでいる人たちがいて、それをちらっと見てはあれはなんだろう? と興味をもったのだった。黒地に青いリンゴが大きく配されたカバーのデザインが印象的で興味がそそられた。
バンドの詳細、全貌が分かる書籍
その頃のわたしといえば、音源を押さえることが最優先で、小遣いはほぼレコードにつぎ込んでいたため、書物まで気持ちとお金がまわらず、コンプリート・ビートルズ・ファンクラブに入っていたとはいえ、ビートルズの基本的な知識は少なかった。かろうじてもっていた紙ものはデゾ・ホフマンの写真集と、『ビートルズ・サウンズ』、ジョンの追悼関連の雑誌のみ。それらにはビートルズの詳細な歴史は書かれていないので、だいたいの概要は『赤盤』『青盤』に封入されていたブックレットの石坂敬一さんのビートルズ概論や立川直樹さんの年表を読んで把握していた程度だった。なので、いつかバンドの全貌が分かる書を買わねばと思っていたのである。
実際に手にした『ビートルズ事典』は予想以上の代物であった。その判型、厚み、重みに感動しつつ、濃い情報量を目の前にしてビートルズ道の奥深さをあらためて実感した。初版は1974年だが、わたしの持っているものは1981年1月20日19刷。帯に沢田研二や石坂敬一の推薦コメントが載っている。今読み返しても、ネットのない時代によくぞここまでの情報や素材を入手し、まとめたなと、その編集能力に驚かされる。その後多くのビートルズ本を買うようになるのだが、『ビートルズ事典』以上に思い入れのあるものはなく、クオリティに関してもこれを凌ぐものはない気がする。
この時期に買ったビートルズ関連の書籍では、81年11月初版刊行の『ビートルズ白書』も印象深い。『オールナイト・ニッポン』で公募したビートルズに関するファンの寄稿をニッポン放送と東芝EMIで一冊に編集したものだというが、ここに掲載された原稿はどれも素晴らしく、しかも自分と同世代のファンによるものというところに共感させられた。そのような企画を『オールナイト・ニッポン』がやっていたとはつゆ知らず。まあ知っていたとはいえ、自分がビートルズについて何かを書くなんてことはできなかったのだが。あまり取り沙汰されることのない『ビートルズ白書』だが、この書籍に刺激を受けたことは間違いない。
『ビートルズ白書』に掲載された「ジョンが死んだ日」
とくに感動したのは岡本淳司という人の「ジョンが死んだ日」というタイトルの原稿だ。1980年の時点で高校一年ということなので、私より2つ上か。その彼にとってのビートルズが熱く書かれているのだが、とくにジョンへの思い、その死がいかにショッキングだったのかを激情的かつ冷静に綴っている。ビートルズ、ジョンへの視線も鋭い。これを読んだとき、この困難をどうやって乗り越えていくのか、あるいは一生かかるものなのかということを自分に問いただした。以後も折に触れ、この原稿を読み返すのだが、そのたびにジョンが死んだときの気持ちを思い出し、今も自分がビートルズファンでいることを確認している。
そして思う。岡本淳司さんはいまどこで何をやっているのだろうか。今もジョン、ビートルズのことが好きなのだろうか、と考える。