映画で共演したボンドガールとの再婚
その理由のひとつに、同じ年4月のリンゴ再婚というトピックがあった。久しぶりの明るいビートルニュースとあって、音楽誌だけではなく一般紙でも写真付きの囲み記事で紹介され、そこに書かれていたのが、お相手は映画の共演がきっかけで知り合ったボンドガールのバーバラ・バックであった。それが『おかしなおかしな石器人』だったというわけだ。
とはいえ『悪霊島』同様、この映画を観に劇場に足を運ぶことはなかった。リンゴのコミカルな演技を観たいとは思ったが、一ヶ月3000円の小遣いでは頻繁に映画を観にいく余裕はなく、辺境の江戸川区から大人の街・銀座へはそんなに簡単に行ける距離ではなかった。『おかしなおかしな石器人』を観たのはそれから数年後、フジテレビでやっていた高島忠夫解説による『ゴールデン洋画劇場』にて。ネットで調べたら84年7月21日だそう。大いに期待してVHSに録画したが、広川太一郎の吹き替えが面白く、二度目からはリンゴの演技よりも広川太一郎を目当てに観るようになってしまった。
全国UHFで放送していた『アニメ・ザ・ビートルズ』
コミカルなリンゴといえば、『アニメ・ザ・ビートルズ』があった。65年にアメリカABCで制作・放送されたアニメ番組だが、70年代以降は日本でも放送が始まり、関東ではTVKか千葉テレビのUHFで放送されていた。奥田民生も小学生の頃に『アニメ・ザ・ビートルズ』を観ていたそうだ。それは広島での話で時期的には70年代だと思うが、自分が観たのは81年以降だったような。今一つ記憶が曖昧なのは、それほど真剣に観た番組ではないから。無意識にチャンネルを回していたら偶然見つけたというたぐいのもので、以降もそんな感じでそれを目当てにテレビをつけるというようなことはなかった。ウィキペディアによれば85年にテレビ東京で放送とあるが、それ以前にUHFで観たのは間違いない。
『アニメ・ザ・ビートルズ』の中のビートルズの4人は『ハード・デイズ・ナイト』での役柄をデフォルメし、子ども向けにわかりやすいキャラクター設定がなされていたが、なかでもオチ担当のリンゴはちょっと痛々しいくらいのおバカキャラとして描かれていた。セルの枚数も日本のアニメに比べると圧倒的に少なく、作品としてのクオリティも劣る。コメディの内容もナンセンスで観るべきところはあまりないが、唯一の救いはメンバーの特徴を捉えたイラストがかわいいところ。また最後にビートルズの曲がかかり、アニメの演奏シーンが観られる点は嬉しかった。だけど、使いまわしのシーンが多い。それでも、ときに「ドライブ・マイ・カー」のような秀逸なものもあり、油断はできなかった。
子ども向けのビートルズという意味では、この時期『ポンキッキ』でビートルズの曲が頻繁に流れていた。幼児番組ゆえ、さすがに毎回見ていたわけではないが、偶然、ビートルズの曲が流れていた場面を何度か観たことがある。それは確か、年の離れた弟がいる友人KKくんから教えてもらった情報であった。今でもたまに『ポンキッキ』で流れていた曲でビートルズを知りましたという人と会うことがあるから、80年代においては貴重なビートルズ系番組だったということだろう。
ポール&ジョージが参加したリンゴの会心作
話を81年のリンゴに戻すと、この年の暮れにリンゴのニューアルバム『ストップ・アンド・スメル・ザ・ローゼズ』がリリースされた。邦題は『バラの香りを』。わたしはこのレコードを石丸電気で輸入盤で購入したのだが、これが実にいいアルバムで、とくにA面の1曲目「プライベート・プロパティ」から2曲目の「ラック・マイ・ブレイン」の流れがお気に入りだった。前者がポール、後者がジョージの提供曲。また4曲目の「アテンション」もまたポールの曲で実にいい仕上がりで、これも好きな曲だった。元メンバーの協力を得て、リンゴのボーカルも若々しく、ドラミングにもキレがあるように思えた。
リリースから少し時間が経って、82年の春頃『ベストヒットUSA』の「スター・オブ・ザ・ウィーク」でリンゴが取り上げられた。このアルバムの中から「ラック・マイ・ブレイン」と「ストップ・アンド・スメル・ザ・ローゼズ」のビデオが流れ、夢中になって見たものだった。前者はホラーコメディ調、後者のロケ地はなんとリンゴの自宅アスコットの邸という点が見どころで、何度も録画したビデオを見返した。そのコーナーの中で小林克也は言った。「当初このアルバムにはジョンが書いた『ライフ・ビギンズ・アット・フォーティ』という曲も収録される予定でした」。それがどんな曲なのか、気になって仕方がなかった。
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