- 2024.04.23
ジョンが死んだ日【ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVOL.7】
ENTERTAINMENT 昭和40年男1980年12月6日土曜日、浦安駅前にあった、行きつけのレコード屋「シブヤ」で『レット・イット・ビー』のLPレコードを購入した。1月以来ビートルズの全楽曲の入手を目指し、一ヶ月1枚のペースでレコードを買っていたが、その最後を締めくくるレコードが『レット・イット・ビー』であった。もちろん自力だけでは間...続きを読む
1980年12月6日土曜日、浦安駅前にあった、行きつけのレコード屋「シブヤ」で『レット・イット・ビー』のLPレコードを購入した。1月以来ビートルズの全楽曲の入手を目指し、一ヶ月1枚のペースでレコードを買っていたが、その最後を締めくくるレコードが『レット・イット・ビー』であった。もちろん自力だけでは間...続きを読む
ビートルズ熱が上昇の一途を辿るなか、今度は自分の好きなビートルズソングのデイリーチャートを付け始めた。1位から20位まで、その日自分はどの曲が好きなのかをランキング化するという、ひとり『ビートルズ10』(ラジオ日本)みたいなことを始めた。レコードを買ったり、友達からレコードを借りたり、ラジオで聴いた...続きを読む
1980年10月から文化放送で『ザ・ビートルズ』というラジオ番組が始まった。土曜11時半からの30分番組。どういう経緯でこの番組を聞くようになったのか、はっきりと覚えていないが、きっと新聞のラテ欄で見つけてダイヤルを合わせたのだろう。この少し前から、深夜放送を聴くようになり、特に土曜日は深い時間まで...続きを読む
それはビートルズファンの友達(7月20日にフィルムコンサートを観に行った中のひとり)から『Five Nights in a Judo Arena』というタイトルのレコードを聴かせてもらったことから始まった。見たことのないジャケット、聞いたことのないレーベル、そこに収められた音源がビートルズの日本公演...続きを読む
ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談の第二弾は、『レコード・コレクターズ』をはじめとする雑誌で鋭いビートルズ評論を展開しているサエキけんぞうさん。そもそも作品の送り手であるアーティストのサエキさんが、なぜビートルズの評論をするようになったのか、リアルタイム体験者ならではのビートルズ論...続きを読む
1980、中学生の一ヶ月の小遣いは3000円だった。LPレコードの値段が一枚2500円だったから、一ヶ月に買えるLPレコードはわずか一枚という計算である。それでも、ビートルズの曲を聴くためにはレコードを買うしか方法はないわけだから、正月にもらったお年玉の残りをそれにあて、7月前半に『プリーズ・プリー...続きを読む
ビートルズファンでその名を知らない人はいないのではないか。ビートルズ研究家として多くの書籍を手掛けるほか、CDやDVDのライナーノーツの執筆及び、映画の監修、さらにはトークイベントやテレビ、ラジオへの出演など、ビートルズと名の付くものには必ずといっていいほど藤本国彦の名がクレジットされ、ファンから厚...続きを読む
ビートルズの魅力とはなんだろう。その答えは人それぞれだろうが、44年間毎日ビートルズのことを考え、長い歳月をかけて巡り巡って導き出された答え、それは顔である。もちろん、最初にビートルズを聴いたときの、今までに聴いたことのないロックンロールに違和感に近い興奮を覚えたのは確か。オリジナルすぎるマジカルポ...続きを読む
ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いていると、“最後の新曲”という謳い文句や悲しいメロディ、ジョンの細い歌声、今はそばにいない人に捧げた歌詞に心打たれ、ふと自分のビートルズ人生を思ってしまう。ファン歴44年。その間に出会ったビートルズファンの知り合いのことが頭に浮かぶ。あの人は今も元気だろうか。...続きを読む
東京インディーシーンで活躍する数多くのアーティストから絶大な支持を受ける、いまでは珍しい街のレコード店「ココナッツディスク」。 店長矢島さんと、かつてレコ屋氷河期にひっそりバイトをしていたセカンド編集部員がバックルームで交わす音楽よもやま話。今回は矢島さんが音楽に傾倒するきっかけとなったビート...続きを読む
ビートルズの若かりし頃の写真でメンバーの前に転がっているのは、ほとんどがサイドゴアブーツ。ハロゲイトの松田哲弥さんの予想では「この時期のビートルズはあまりに忙しかったから、ローファーとかサイドゴアとかラクな靴ばかりを履いていたのでは」とのこと。なるほど、最近はローファーやサイドゴアが売れていると聞く...続きを読む