闇市横丁の歴史の流れは戦後日本の縮図となっている。
そもそも横丁って何のこと?」と思われる方も少なくないだろう。辞書的に説明すると、メインストリートから横に入った道のことをすべて〝横丁〟というのだ。しかしそれでは扱う範囲が広大なので、今回は【戦後の闇市をきっかけにして生まれた、昭和レトロな雰囲気の飲食店街】を取り上げる。
横丁の歴史についてお話を伺ったのは、早稲田大学の橋本健二教授。闇市や階級社会を研究するスペシャリストだ。橋本教授いわく、横丁は大きく3つに分けられるという。
「ひとつ目が当時の闇市がそのまま残っている横丁。ふたつ目が戦後の早い時期(1948年~49年)にGHQの命令などによって移転させられて、代わりの場所が提供された横丁。3つめが闇市の場所で建て替えられて、飲食店街になった横丁です。つめのパターンが非常に多くありますね。なかでも珍しい例としては、新橋第一ビルが挙げられます。闇市があった場所にビルが建てられ、地下に闇市の店舗を集約させたのです」
この3つの分類で、各地の横丁を考えてみると新しい発見があるに違いない。東京にある横丁の定番メニューは〝もつ煮〟だろう。これにも歴史があると橋本教授は説明してくれた。
「もともと日本では獣の内臓を食べる習慣はあまりありませんでした。しかし戦前には労働者などの力仕事を担う人々が、安くて栄養源になるので食べていたのです。戦後になると物資が統制されましたが、なぜか内臓肉だけは手に入りやすかった。そこで駅前闇市の飲食店で、内臓肉を焼いた〝やきとり〟やもつ煮込みを提供するようになります。こうしてできたのが、駅前大衆酒場の始まりです」
もつ料理は闇市がきっかけとなって広まったという歴史、とても興味深い。橋本教授のお話は、いま平成世代の間で流行っている横丁酒場ブームにまで及んだ。
「いま若い世代は横丁酒場でお酒を飲むことが人気です。平成に生まれた世代がそのようなところに集まるのは、ふたつの理由があると考えています。ひとつは、端的に言えば安いから。若者はお金がないので、安くて美味しい酒場を探す。その時に横丁酒場のようなお店はまさしく彼らの求めていた場所なのでしょう。もうひとつは、パブリックな社会とは全く対極にあるようなものを求めているから。
IT化した現代は、お金と情報がめまぐるしいスピードで飛び交っている。そのような世の中を生きるからこそ、グローバルに対してのローカ ル、猛スピードに対してのスローペースである空間を求めているのではないでしょうか」
技術が進歩すればするほど、こうした横丁酒場の魅力は増してゆくのかもしれない。一方で、恵比寿横丁のような「ネオ横丁」の存在に対し、橋本教授は「若者がはじめにそういった場所に行き、そのあとで本物の横丁酒場に行くきっかけになればいいのではないか」とほほ笑んでいた。
横丁分類表
1.当時の闇市がそのまま残っているもの。
例/新宿「思い出横丁」、吉祥寺「ハモニカ横丁」など
2.戦後の早い時期に移転させられて、代わりの場所が提供されたもの。
例/池袋「美久仁小路」、新宿「ゴールデン街」、三軒茶屋「三角地帯」など
3.闇市の場所で建て替えられて、飲食店街になったもの。
例/新橋「新橋第一ビル」、大井町エリア、赤羽エリアなど
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