熊本市は2016年4月の熊本地震で疲弊している中、大西一史市長の「こんな時こそ未来に投資しなければならない」という鶴のひと声で、トータルで30億円にも上る資金を投じて2018年9月から2020年3月にかけて2万台以上のiPadを導入。さらに現在では6万台以上のiPadが使われている。
強い意思を持って大量のiPadを導入しただけあって、先んじて2018年9月から先行導入校でテストしたりと、ちゃんと活用しようと真剣に考えて努力した。だから深い知見をお持ちだ。
iPadの活用について悩まれている学校の先生は、ぜひ熊本市の活用方法を参考にしていただきたい。この記事では、熊本市立楡木(にれのき)小学校での国語の授業と、熊本市立藤園中学校での理科の授業をレポートし、その背景にあるものについて解説したい。
人に説明することによって、学びは深まる
まず最初にご紹介するのは熊本市立楡木小学校5年生の国語の授業。教壇に立つのは、倉﨑恵未先生。
この日の課題は『敬語の使い方』。
従来型の授業だったら、教科書を読んだり、先生が黒板に書いていく知識をノートに写していくわけだが、iPadを活用した授業はひと味違う。班で協力して『お家の人に敬語の正しい使い方を伝える動画を作ろう』という課題になるのだ。
熊本市の小学校5年生の子ども達は、小学校3年生の時からiPadを使う授業を受けているからもう慣れたものだ。
まずは、どうやったら、理解してもらえるか、それぞれの班の中で議論が始まる。「誰かが間違ったことを言って、それを訂正するっていうのは?」「クイズ形式にしたら分かりやすいんじゃないかな?」
議論を取りまとめて、班のひとりが手早くシナリオとして入力する。もはや、コンピュータを使った協業という意味では大人顔負けだ。
見ていて思ったのだが、入力スタイルはそれぞれ。外付けキーボードを使う子もいれば、画面に表示されるQWERTYキーボード、50音キーボード、フリック入力と、それぞれが使いやすい入力方法を使っていいらしい。
いずれにしても、そんなことには子どもはすぐに慣れてしまうし、AirDropやクラウド同期などの仕組みも自然と使いこなしている。
グリーンバックを使った合成だってできる
シナリオが決まったら、演技をする子、撮影をする子と、役割分担して撮影が始まる。シナリオを作り、こうやってロールプレイしていく中で、「この敬語の使い方は間違ってるんじゃない?」などの理解も深まっていく。場合によってはネットで検索して、知識を深めたりもしている。
先生が黒板に板書したのをノートに写した知識ではなく、自分で学び取って理解しているから、理解が深く、実際に身についている。
班によっては、グリーンバックを使ってあとで背景を合成したりもしている。このため、教室から出て空き教室に置いてあるグリーンバックを使ったり、廊下で演技の練習をしたりもしている。
すでに『教室の自分の席に座って先生の話を聞く』という学びのスタイルはそこにはないが、気が散ったり、他のことをしている子どもなんてひとりもいない。みんな学ぶことに夢中だ。そして、夢中になって学んだこと、自分から掴み取った知識は自分の血肉になる。
撮影してる子どもたちのところに倉﨑先生が回って「これってどういうこと?」「こんな風に表現すると、分かりやすいんじゃないかな?」とアドバイスをする。子どもたちも、試行錯誤しているから素直に先生の言うことを取り込み、さらに学びが深まる。筆者も自分自身の小学生時代を思い返し、こんな授業だったら、もっと楽しんで学べたんじゃないかなぁと思った。
撮影が終わったら編集。子どもたちは編集アプリだって巧みに使いこなす。なにしろ、憧れのYouTuberだって、こうやって編集しているということを知っているのだから。カット割りを決め、前後を入れ替え、テロップを入れるのだってお手の物だ。
取材時の授業時間内には完成しなかったが、倉﨑先生は比較的編集の進んでいるチームの動画を黒板横のディスプレイに表示して、他のクラスメイトに感想を聞き授業をまとめた。
最後に「今日の自分の出来や気分を、ミー文字で表現して!」と倉﨑先生。子どもたちはそれぞれの笑顔や、アタマがドッカーンとなったミー文字をiPadに表示して先生に見せる。自分の理解度、作業の進行度を考え、ミー文字を使って表現させているのだ。これも面白いアイデアだ。
ARアプリで葉の内部に潜り込め!
熊本城のすぐ近くの藤園中学校では、池田優平先生による理科の授業を取材させていただいた。
今日の授業のテーマは、『植物の光合成と呼吸』。
授業の最初に、図鑑アプリ『Plantale』(https://apps.apple.com/jp/app/plantale/id1389698721)を使って、教壇の上に巨大なヒマワリを出現させる。生徒のひとりがカメラマン役となってiPhoneを持ち、先生の指示通りに教壇に生えたAR空間内のヒマワリの周りを回って撮影する。その映像は教壇横のディスプレイに表示される。
カットモデルだって見える。葉の内部でどんなことが起こっているのか、アニメーションとともに見ることができる。根から取得された栄養分と水分に陽光のエネルギーを加え、葉緑素によってデンプンなどの養分が産み出される光景を、あたかもそこにあるかのようなARの動画で見られるのだ、これは分かりやすい。
光合成の仕組みを、どうやったら説明できるのか考える
続いて、それぞれがKeynoteを使って光合成を説明するプレゼンテーションを作る課題。どんな資料を使うのか? どのように説明すればいいのか? ひとに分かりやすく説明しようと考えることは、より深い理解を導く。
そして、班の中で見せ合って、互いの考え方を知る。良い方法論があればそれを取り込み、自分のプレゼンテーションをより良くしていく。ここでもやはり、自分でプレゼンテーションを作ることにより、自ら知識を学び取るということが起こっている。それだけ理解が深まるのだ。
そして、池田先生が「良いな」とチェックしていた生徒を教壇に立たせて、自分のプレゼンテーションをApple TV経由でディスプレイに表示、説明させる。
彼のプレゼンテーションは『水』『養分』『二酸化炭素』『酸素』などの粒が、イラストの上にアニメーションで表現されていて、実に分かりやすかった。iPadのKeynoteのアニメーションの機能を使いこなしていて、大人でも感心するような出来栄えだった。
倉﨑先生の授業も、池田先生の授業も、iPadを見事に使いこなしていて、子どもたちは自主的に行動し、自ら学び取っていた。では、熊本市のiPadを使った授業はなぜこんなにも素晴らしいのだろうか?
苦境の時代に下された、力強い決断
冒頭にも述べたが、キッカケのひとつは、熊本地震だった。
実は、それまでICT教育環境の整備について、熊本市は非常に遅れていた。設置されているパソコン台数も政令指定都市の中では最低レベルだったし、各教室まではネット回線が確保されていたが、全教室にWi-Fiを確保することはできていなかった。
そんな中、起こったのが熊本地震。今でこそ、天守閣の修復された熊本城を見ることができるところまで復興は進んだが、当時は災害復興に大きな予算が必要になるような状態だった。そのままでは、当時、国が策定していた教育のICT化環境整備5カ年計画を満たすのはまったく不可能だった。
そこで大きな手を打ったのが大西一史市長だった。『被災して困窮している今だからこそ、子どもたちの未来に投資すべき』と、iPadの大量導入を決断した。
しかも、採用されたのはセルラーモデル。それなら学校内のインフラに投資する必要はないし、校庭や校外での学習でもインターネットを活用することができた。野外学習で撮影した花の名前をすぐに検索することだってできる。
実は熊本市では、首都圏などより家庭のWi-Fi普及率もはるかに低い。そのままでは、自宅で宿題をやるといっても家にWi-Fiのある子どもと、Wi-Fiのない子どもでは教育格差が生まれてしまう。義務教育の公立校では、それは困る。しかし、セルラーモデルなら、どの子どもも自宅でインターネットを利用できる。
お話をうかがったのは右から、熊本市教育センターの所長である小田浩之さん、熊本大学大学院教育学研究科特任教授の前田康裕さん、そして教育センターの指導主事の真金竜樹さんと山下若菜さんだ。
先生が教える授業から、子どもたちが学び取る授業へ
山下さんは筆者が以前取材した時には小学校の先生で、非常にiPadを活用した授業に長けた先生だったのだが、その能力を見込まれ、iPadの利活用を熊本市全体に広げようということで、教育センターで他の先生方に協力し、アドバイスにする立場になられたようだ。
聞いたお話はまさに、今、楡木小学校と藤園中学校で見てきた通りのことで、iPadを使うことで、先生が教え子どもが聞くインプット中心の授業から、子どもたちが主体的に学ぶようにする……というお話だった。コンピュータの利用方法を学ぶというのではなく、コンピュータを道具として使って、子どもたちが主体的に学ぶことが大切だということだ。
さらには、国語、算数、理科、社会……という縦糸に対して、言語能力、情報活用能力(情報モラル含む)、問題発見・解決能力、現代的な諸問題に対応して求められる資質・能力……などを横軸の能力として育成しなければならないということに気付き、それが目標とされている。
熊本市が経験してきたiPadの活用は、導入当初の『従来の教科書・ノートなどを代替する道具として機能する段階』から『クラウド技術の活動により、児童・生徒同士の共働の道具として機能する段階』を経て、今や『児童・生徒が持つ個別の才能を増幅させる道具として機能する段階』へと至りつつある。
GIGAスクールで与えられたiPadをどう活用するか悩んだ他の地方自治体と、自ら熊本地震からの復興を賭けた決断としてiPadの大量導入を決めた熊本市の違いは、自ら『必要である』と認め、導入したiPadをいかに活用するか、常に教育センターと多くの先生方が自主的に工夫してきたという点にある。
子どもたちは、さらに豊かな実を結ぶ
山下さんが小学校の先生として現場で活躍されていた時代に、小学校6年生の国語の授業で『フェアトレード』の問題を課題としたことがあった。
子どもたちは自ら調べて、フェアトレードについて意見を発信している明石祥子さんという人が熊本市にいることを知り、校長先生に掛け合って明石さんを学校に招いて、ゲストティーチャーとして交流会に参加してもらったのだそうだ。すごいことだ。
そしてこの絵は、そのフェアトレードで学んだことをキッカケに児童が描いた絵。タイトルは『壁に映った世界の現実』。
豊かな自室にいる日本の子どもの部屋の壁紙に、学校に行けず働かされている世界のどこかにいる子どもの姿が映っている。
自ら調べ、活動し、学び取り、それをクリエイティブを持いて力強いメッセージとして発信する。
熊本市のiPadを用いた学校教育は、その領域にまで到達しているのである。iPadを使いあぐねている地方自治体は、子どもたちのことを真剣に考えるのなら、大急ぎで熊本市に学んだ方がいい。
(村上タクタ)
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