ビジネスパーソンからキャンプ場オーナーへ転身。
千葉の勝浦といえば漁港とサーフスポットで知られる海の町。同時に、房総丘陵に含まれた小高い地に緑生い茂る山の町でもある。
2020年、そんな自然あふれる勝浦の地に、齋藤祐之介さんが立ち上げたのが『BLACK RAMS(ブラックラムズ)』だ。
オアフ島のノースショアにありそうなウッディな平屋のカフェ。そのくせ勝浦でも海というより山の方にあるのが、おもしろい。いや、もっとおもしろいのはココがキャンプ場でもあることだ。さらにカフェの内外装もキャンプサイトも、そこにある遊具含めてすべて齋藤さんがほとんどひとりでDIYで作りあげたものだ。
「『山なのにハワイのビーチ風?』とか『ツリーハウスも自作なの!?』なんて驚かれることは多いですね。まあ飲食業の経験もなかったし、キャンプすらしたことない。“よそ者”だったから思い切ったことができたのかもしれません」
実際、齋藤さんは勝浦市ではよそ者だった。勝浦に移住する前は、東京でバリバリの営業職として活躍していたからだ。
「8年ほどフルコミッションで不動産関連の営業マンをしていました。それなりに結果も出していた。けれど気がついたら、めちゃくちゃダサい人間になっちゃっていたんです。だから僕は変わるためココ、勝浦に来たんですよ」
絵、バスケ、ラップ。すべて癒やしだった。
勝浦に来るずっと前にさかのぼる。「個性むき出しで何かを表現する」。元々は、それこそが齋藤のさんの“らしさ”だった。小学生の頃は絵だった。上手さもあったが、時に激しい色と線で大人を驚かせた。理由があった。
「小5で両親が離婚して突然母親と腹違いの兄と3人家族になったんです。寂しさや怒りが、絵に向かううち消えるのを感じていた」
中高になると部活、バスケットボールが筆の変わりになった。個性? 表現? 違和感あるかもしれないが、当時尊敬しプレイを真似ていたのがNBAのジェイソン・ウィリアムズだったと知れば、わかる人は納得するだろう。
「ノールックで突然繰り出すパスやドリブル、腕に入れた『CRAZY』のタトゥー。個性丸だしのやんちゃな白人プレイヤーで、最高にかっこよかったんですよね」
パスやシュートを繰り返すうちバスケットと隣接するヒップホップカルチャーにも共感を覚えた。ジャ・ルールやエミネムあたりからフロウを学び、大学に入ると友人4人とラップグループを結成。クラブイベントで披露した。つまり青春時代の齋藤さんは、ダサいというよりイケてる席で日々を過ごしてきたってわけだ。
「いや。絵もバスケもラップもエネルギーを発散する手段で、癒やしになっていた気がします。熱中するものがなかったらどうなっていたんだろうとも、たまに思う」
大学卒業後は不動産関係の会社に入った。まずバッシュをドレスシューズに。ダボダボのバギーパンツをスラックスに履き替えた。そして日々輝かせていた目を、ほの暗く曇らせていった。
人の顔をおカネのように見ている自分に気づく。
『マンション、建てませんか?』
地図を広げて片っ端から地主に飛び込むオールドスタイルな営業職だった。成果主義で契約が決まれば見合った給与がドンと入る。にしても土地は限られたパイだ。血眼で契約を目指す同僚は、削り合うライバルでしかなかった。
「エグかったんですよ。見込み客を地図上に印を書いてロッカーに入れておいたら、それを同僚が勝手に見て『齋藤は辞めたので僕が引き継ぎます』と横取りしたり」
それでも持ち前の粘り腰で課長にまで出世した。毎日、朝7時から深夜まで仕事。胃潰瘍になり、電車に乗ると気分が悪くなった。ただ休日の千葉や湘南でのサーフィンはしがみつく原動力だった。それでも30歳が限界だった。後押ししたのは2つの契機だ。
1つは大学から付き合っていた奥さんとの結婚。フラダンスのインストラクターをするなど好きなことに没頭する彼女が羨ましかった。そのうえで先輩社員たちが皆離婚している事実に怖くなった。
「家庭を顧みず働かざるを得ない職場でしたからね。親の離婚で嫌な思いをした身なので、同じ轍を踏むのはごめんだったんですよ」
2つめは冒頭の話に戻る。仕事を離れた同級生と食事やお酒を楽しむとき。少し前まで音楽の話や冗談ばかり言い合ってたのに、いつしか「え、実家が地主?」「マンション持ってる? 話聞かせて」とすぐさま仕事に繋げる自分の姿に呆れた。友だちの顔さえ、カネの出どころのように見ている現実に愕然としたのだ。
「心底、そんな自分を“ダセえな”と感じたんです。さすがにね」
2015年、齋藤さんは30歳で会社を辞め、南の島に身を移す。妻と2人でオアフ島へ1年間留学したのだ。午前中だけ語学学校。午後には波に乗ったり絵を描いたり、奥さんはフラに興じたり。1年間のオアフでの生活は東京での日々と真逆の時間を過ごした。日を重ねるほど自分を取り戻すのを感じた。
「自然の中で自然に生きる。本当に心身が癒やされていくのを感じました。一方で生活費は大変でね」
奥さんの妊娠もあり1年弱で東京へ。ただ思いは消えなかった。
「やはり自分がやりたいことに時間と実を投じたいと改めて思った。生まれたばかりの子供を育てる環境としても、ハワイのようなゆるい時間が流れる、より自然に近い場だよなと考え始めた」
齋藤さんの中に“移住”の二文字が浮かんだ。ハワイとまではいかないが、海が近く、緑豊かで、のんびりとした時間が流れる。そんな場所を求めて、ウーバーイーツの配達員で食いつなぎつつ、新天地を探し求めた。そして出会ったのが「勝浦」だった。
店やサイトづくりは絵やラップと同じだ。
「隣の一宮はサーフィンで来ていましたが、勝浦は訪れたことがなかった。引き寄せられた感じ」
フラっと参加した千葉県主催の移住説明会で出会った。海も近く、山もある。そのうえ、出会った地元の人たちや移住の先輩が、皆オープンで積極的に相談に乗ってくれたことが決め手になった。
「出会った地元の方に『元野菜の即売所で使われていない土地がある。そこで何かやったらどうか?』と紹介されたんです。家賃も本当に破格だから、って」
東京からクルマで1時間30分ほど。海と森が折り重なる勝浦のロードサイドに、トタン屋根の平屋建てがあった。「ココで何ができるかな」。向き合ううちにインスピレーションが湧きあがった。
「ハワイでよく見た地元の人がのんびり集えるカフェがいいな」「地元の人だけだと売上はしれている。外から来てくれるキャンプ場を併設したらどうか」
今のカフェとキャンプ場の青写真が浮かび、自ら手を動かしてそれを形にすると決めていった。
「おカネもなかったし、外注すると何かに似ちゃう。何より自分で作ったほうが楽しいですから」
斉藤さんにとってDIYでの店作りは、スケッチブックに筆を走らせたりラップのリリックを書くのと同じだったに違いない。“らしさ”で、癒やしで、ダサくない自分を取り戻す作業だ。奥さんと子供たちの同意を得ていざ勝浦へ。4カ月かけて、カフェからサイトまで本当に自ら作り上げた。
カフェのメニューはブリトーに。手軽に食べられ、テイクアウトもたやすいからだ。具材のラム肉は地元の知人の紹介で北海道から上質な肉を偶然、仕入れられた。奥さん考案のレシピでブリトーにするとたまらない美味しさに。名物メニューにすると共に、店名にまでつなげた。
「『ブラックラムズ』はこの羊肉からつけました。あと白い羊に混じった“よそ者”って意味もある」
こうして『ブラックラムズ』はオープンした。コロナ禍だったが、だからこそ近場のキャンプ場、森の中にある不思議なハワイ風カフェは多くを集めた。「子供のために……」と自作した遊具類も親子連れの目を引いた。嬉しいのはキャンプの常連さんが、こんなセリフを言ってくれたことだという。
「『すばらしい環境でお子さんを育て働けて、いつでもサーフィンも行ける。羨ましいし、カッコいいね』と。こそばゆいようですが、ココに来てよかったなと」
好きなことで働き、人を人として見れる、正しくカッコいい生き方。よそ者だった齋藤さんは、それこそをDIYで手にしたんだ。
Tシャツも絵も、齋藤さん作です。
子供の頃から得意だった絵のセンスが大人になって爆発。オリジナルTシャツのロゴ、ブリトーも齋藤さん画です。5000円
ハワイで見かけた色や風景を落とし込んだアートイラストたち。これもすべて齋藤さんが描いたものだ。カフェで販売も。
【DATA】
BLACK RAMS
千葉県勝浦市貝掛355
営業/11:00〜17:00
休み/月・火曜
https://www.blackrams.online
※情報は取材当時のものです。
(出典/「Lightning2023年6月号 Vol.350」)
Text/K.Hakoda 箱田高樹(カデナクリエイト) Photo/S.Kai 甲斐俊一郎
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