「ギラギラ華やかなネオンよりもシンプルなものに魅力を感じる」
昭和を通過した世代には懐かしいネオンサインも今や風前の灯にある。エネルギー効率と耐久性に優れたLEDの普及以降、ネオン管の需要は激減し、国内だけでなく世界的にもシーンは衰退の一途を辿っているという。当然ながら後継者問題も由々しき状況にあり、1951年に設立された全日本ネオン業組合連合会も、2016年にはサイン全般を対象とする日本サイン協会に一本化され、信号や標識といったインフラにまで基本カテゴリーを広げている。
一方、そんな消えゆくネオンの光をアートへと昇華する動きもあるという。特にかつてネオン先進国だったアメリカでは、80年代にタイムズスクエアのネオンサインを排除する計画が立てられたものの、市民の働きかけにより、ひとつの文化遺産として保護の対象とされた。また、当時の活況を知らない新世代からもノスタルジーや郷愁を刺激するアートフォームのひとつとして再評価が進んでいるという。先日アトリエを訪ねたYONEさんもまた、そんな新世代ネオンアーティストのひとりだ。
──学生時代からネオンに興味があったのでしょうか?
「僕が通っていた高校はかなりユルかったので遊んでばかりいたのですが、そんななかでも何か本気で打ち込めることを探していたのは事実です。大学へと進み、iPhoneやiPadでイラストを描いて友人たちと軽い気持ちで服作りを始めたところ、それが思いのほか反響があり、ポップアップショップにまで発展していきました。その出店時、ネオンが欲しいということになり、小さなネオンを発注したのがきっかけで、その仕組みや作業工程が気になるようになりました」
──ネオン自体ではなく作業工程が気になったと?
「そうですね。ネットで調べると燃え盛る炎に管を当てながら器用に曲げていて。ちょっと危険そうではあるけど面白そうだなと。それが3年ほど前のことです」
──ということは、たった3年で技術を習得されたんですね?
「もちろんまだ完璧ではないですが。何もわからないゼロの状態でスタートしたので、まずはネットで現役の職人さんやネオン関連の会社を検索して。横浜、大阪、京都、三重など気になるところに一方的に出向いて直談判したのですが『弟子なんて取っていないし、お金にならないからやめた方がいいよ』と、どこからも断られてしまって(笑)。
でも、どうしてもやりたかったので、さらにネットで調べたところ、長崎県の生月島という小さな島にニューヨークで修行を重ねたトンボさんという職人がいるとのことだったので、まあ、とりあえず行ってみようと(笑)」
──アポイントも取らずに行ったんですか?
「一応メールは送ってみましたがレスがなかったので、もしダメだったとしても旅行だと思えばいいかなと。とはいえ、その職人さんももう高齢ですし、ステンドグラスアーティストの奥さんとふたりでのんびりやっているとのことで、当初は一日考えさせてくれと言われ、翌日再び訪ねたところOKが出て。その日のうちに一旦東京に戻って準備して、それから4カ月間みっちり技術やノウハウを叩き込んでもらいました」
──つまりは免許皆伝と?
「教えられることは全部教えたし、多少できない部分もあるけど、あとは自分の工房を構えるなり、他で経験を重ねるなりしろと。昔気質の職人さんですから、そんなに長々居られても困るでしょうし、一旦東京へ帰ることにして」
──すぐに自身の工房を構えたワケではないですよね?
「そうですね。帰ってからは図書館に通い現在の日本サイン協会の前身となる団体の名簿を手に入れ、気になるところへ片っ端から連絡を取っていきました。というのも、作業用のバーナーや練習するための端材など、もし廃業している工房があれば譲ってもらえるんじゃないかと」
──それもまた特にツテがあるワケでもなく?
「はい(笑)。たぶん100軒くらいは電話したと思います。なかにはもう何十年も前に廃業し、今は駐車場を経営しているというところもあれば、ぼくみたいな若い世代が本気で向き合おうとしていることを面白がってくれて機材を譲ってくれたり、端材を無償でくれた工房もありました。また、とある工房が週一回なら教えてあげるということになり、その工房とは今も懇意にさせてもらっています。ぼくが生まれた1999年頃にはまだ、東京にも100軒近くの工房があったと聞きますが、いま現在はわずか2~3軒ほどとなり、ネオンの需要が激減していることも痛感させられました。請負い仕事だけではまず成り立たない業界なんだなと」
──ニューヨークにも行かれたと聞いていますが。
「制作のヘルプで呼ばれ、ブルックリンに1カ月半ほど滞在しました。向こうのシーンがどうなっているのか、年配の職人中心で動いているのか、若い世代がアートフォームとして向き合っているのか、そういったことを確かめたくて行った部分も正直ありますね」
──実際に行ってみて、いかがでしたか?
「もちろん年配の職人さんもいらっしゃいましたが、現役世代は皆若く、工芸というよりもアートとして向き合っているのが見て取れました。ぼくが思っていた通りだったというか、自分もアートとしてやりたいと考えていたので背中を押された感じがしましたね」
──日本にもそういった方もいらっしゃるのでしょうか?
「直接会ったワケではないですが、何人かはいると思います。でも、新しい世代のアーティストを含めてもネオン職人自体、もう数十名ほどしか残っていないのが現状です。今どき大きなクライアントがネオンを発注することなんてほとんどないでしょうし、最近は“ネオン風”のLEDネオンが一般的ですから、それほど高い技術を求められなくなっているので」
──でも、99年生まれとなると、ネオンが夜の街を照らしていた原体験もないでしょうし、他にも数ある表現方法があるなか、なぜネオンに着目されたのでしょう?
「ネオンって光っていますから当然写真を撮っても映えるワケですが、実際は写真で見るより生で見た方が迫力があるというか、より魅力的に映ると思うんですね。ひとつの文字を作るにしても一本のガラス管を何箇所も曲げて立体的に描く、つまりすべてひと筆書きですから、完成図を常に想像しながら曲げていく必要があります。またガラスに熱を加えて曲げるため、失敗しても後戻りができない。
そんな一般的なアートフォームとは異なる作業工程にまず魅力を感じました。くわえて、光らせ方や文字の並びで柔らかさや懐かしさだけでなく、近未来な雰囲気も出せますし、アジアっぽいニュアンスもあれば、欧米っぽいニュアンスにもできるといったレンジの広さが何よりの魅力だと感じています。同じ文字でもひと手間加えるだけでまったく違う印象になるというか」
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