【1920-30s】英国からファッションを学んだアメリカ。イングリッシュドレープへの憧れ
1920年代のアメリカは、第一次大戦後の経済的繁栄の最中にあった。時間的な余裕も持ち合わせていたアメリカ人たちは、ヨーロッパ旅行へしばしば出かけるようになり、他国の最新ファッションを知ったり手に入れたりすることができるようになる。アメリカの大学生たちも旅行へ出向き、特に英国の名門であるオックスフォード大学から大きな影響を受けた。
よくよく紐解いていけばアイビーの定番アイテムであるブレザーもBDシャツもレジメンタルタイも、英国が発祥。日本人がアメリカのアイビースタイルにひと目惚れしたのと同じように、かつてのアメリカ人たちは英国ファッションのエレガンスに魅せられたのである。
さらに補足すれば、1910年代まで軍服ばかりを着用し、その着心地の良さや機能性に慣れていたアメリカ人にとって、戦前のスーツは窮屈に感じられた。より着心地のいい服を求めていたのだ。だからこそ、英国が持ち合わせていたプロダクツの実用性の高さも、彼らの目に魅力的に映ったのであろう。
そうして英国への憧れを徐々に高めていったアメリカ人たちの目に飛び込んできたのが、ファッションリーダーとしていまだ取り沙汰されることの多いプリンス・オブ・ウェールズ、のちのウィンザー公である。スーツにブラウンのスウェードシューズ、スーツの胸元を飾るポケットチーフなど。伝統的でありながら、既成概念を見事に打ち破った彼の自由な着こなしは、アメリカ人の英国に対する憧れを決定的なものにした。
彼は1924年に初めて米国を訪問している。さらに、フレッド・アステア、ゲーリー・クーパーら、より身近な俳優の存在によって、本格的に英国テイストがアメリカのファッションに根付くこととなった。
ウィンザー公、アステア、クーパー。彼らが揃いも揃って愛用していたのが、イングリッシュドレープと呼ばれるそれまでになかった新たなスタイルのスーツ。これはのちに、ラルフ・ローレンの手によってリバイバルされ、70年代のブリティッシュ・アメリカンブームへと繋がる重要なキーワードだ。
イングリッシュドレープとは?
「20年代までの英国のスーツは、構築的な男らしいシルエットが一般的。ところが30年代に入ってウィンザー公など貴族の間で着られるようになったスーツは、しなやかで柔らかなノーブル的なものだったのです。
それは、これまでの構築的な硬い仕立てでは表現されてこなかったリラックス感や優雅さを表現しており、ソフトテーラリングによって胸と背中にゆったりとした“たるみ”(ドレープ)を待たせた大人のスタイルだったんですね。
このスーツを“イングリッシュドレープ・スーツ”と呼びます。30年代の「エスクワイヤ」にもドレープのことが書いてありますよ。当時は賛否両論だったみたいですが」
【1950s】オーダーから大量生産へ。“ブリアイ”の原点はここに
“イングリッシュドレープ期”を経て、アメリカ人たちは「自分の体に合わせつつ、男らしさを強調する服」、かつ「着心地のいい服」こそ基礎であることを学んだ。しかし、50年代に入ると、それまで常識だった注文服が高騰し、大量生産が主流となる。誰でも着られる服の存在は、アイビースタイルを通して、多くの人にファッションの楽しさを教えることになるが、30年代までに培われたエレガンスからは遠のいていくことになる。
また、化学繊維の登場によって、人々はどんどん実用性を重視するようになっていった。ここで言うブリティッシュアイビーとは、50年代以前にアメリカ人が抱いていたエレガンスへの憧れを、いま一度思い出す試みだ。
【1970s】ブリティッシュアメリカンの流行
人々がエレガンスを忘れかけていたなかで、英国調のドレープスーツをリバイバルさせたのはかのラルフ・ローレンだ。彼はシングル、2つボタン、サイドベンツのスーツを作り出した。ウエストのシェイプや肩パッドの厚さは、30年代のものよりもナチュラルだったが、それはかつてのイングリッシュドレープスーツをベースにしたものだったのだ。
この旧きよきスタイルが大衆の目に触れることとなったのは、1974年公開の映画『華麗なるギャツビー』の存在が大きい。さらにこの時代は第一次大戦後とは違ってメディアも発達しており、アメリカだけでなく日本においても“ブリティッシュ・アメリカン”ブームとして、大きなムーブメントを巻き起こした。
(出典/「2nd 2024年1月号 Vol.201」)
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