「偶然性とか、でかい自然みたいなものに任せて作るのが好きなんです」
—— BIENさんは現在アーティストとして様々な展覧会に参加されていますが、大学ではグラフィックデザインを専攻されていますね。デザインを学ぼうと思ったきっかけを教えてください。
親が映画好きだった影響でポスターなど映画の印刷物を子供の頃からよく見ていて、それがかっこいいなと思ってチラシを大量に集めていたんですね。『ハリー・ポッター』は確実にコレクションしていたので、たぶん小学校3年生頃から。それで高校で進路を考えたときに映画の広告やCM制作をやりたいなと思って調べたら、美大だったらその道に行けるとわかったんです。
—— 大学入学後、デザインをしてみて手応えはありましたか?
大学では尊敬できる先生や同世代のものを作っている人たちと出会えたのは良かったですね。でもグラフィックデザイン科って頭が固くてすごく真面目なんで、それが面白くなかった。そんな頃に半蔵門にあったANAGRAというオルタナティブスペースなどに行き始めたんですが、アーティストがみんな好きにやってて、そっちのほうが断然面白かったんです。
—— 2013年頃のANAGRAは先鋭的な場所でしたね。そこでの出会いがアーティストへと進む分岐点になったのでしょうか?
当時、雑誌『リラックス』や『スタジオヴォイス』を読んで、バンクシーやバリー・マッギー、カウズ、OBEYなどを追っていたのですが、通っていた大学ではなかなか趣味が合う人がいなくて。
ANAGRAにはそういったストリートカルチャーを好きな人たちが集まっていて、その文化をリアルに実感できたのが楽しかったです。その影響で自分もそういうことをやりたいなと思い始めました。ANAGRAの先輩方はバイトしながら作品を作っていたので、それでいいじゃんと。
—— 大学を卒業後、どのように発表を重ねていったのでしょうか?
卒業制作を小さなギャラリーで展示させてもらったのですが、キャリアスタートと言えるのは、2016年のANAGRAでの個展です。キャンバスのペインティングを発表しました。自分ではどうなるか分からなかったのですが、「すごくいいじゃん」って言ってもらえて安心しました。
その時にSIDE COREのトーリーさん(松下徹)が来てくれて、青森と山梨での展覧会「SIDE CORE‒路・線・図‒」に誘ってもらいました。憧れていた先輩たちと一緒に展示できることになって嬉しかったしびっくりしましたね。
—— そこがデビューだったんですね。ほかに影響を受けたアーティストやカルチャーはありますか?
やっぱりカウズなどのストリートアーティストにはすごく影響を受けました。KAMIさんや鈴木ヒラクさんのドローイングや線にも。それから大学の恩師が抽象表現主義のアンリ・ミショーや篠田桃紅を見せてくれて、めちゃめちゃかっこいいなと衝撃を受けました。あと、今回の個展のテキストでも引用しているんですが、ジョルジョ・モランディの言葉「わたしたちが実際に見ているもの以上に、抽象的で、非現実的なものはなにもない」と言っていて、それもすごく共感します。フルクサスもストリートカルチャーもそうですけど、ちょっと外れたことをしている人が好きです。
「サイコロに委ねるから、展示の完成は出てきたもの次第」
—— シンパシーを感じる作品は、アートの枠組みを壊していく人たちなんですね。最新の個展『PlanetesQue : The Case of B』のテーマやコンセプトについて聞かせてください。
コンセプトは大きく言うと、「自然のなかの偶然性」「人間」「イメージ」です。この3つを作家という特権的な立場で表すのではなくて、特別なものじゃなくて誰にでもできる、開かれているものにしたら面白いなということを考えていました。
—— BIENさんが設計したゲームの装置を使って、誰にでも展示空間が作れるという作品です。第一回は別の会場で他者が主体者となりましたね。今回は自身がプレーヤーとなり展覧会を構成されていました。自分でやってみてどうでしたか?
めちゃくちゃ大変でした。僕が自分で装置自体を作っているのでこの装置のいいところも見せたいし、でもいろんなことができすぎるからどこまでやるかという塩梅が難しくて。この装置にとって何をやるのが一番良いんだろうとか、自分にとっても良いんだろうとか。いろんなことを気にして、すごく考えながら作りましたね。
—— 丁寧な説明をしている作品だなという印象でした。難しいという感想も多かったそうですね。
複雑だと言われるけど構造自体は簡単なんですよね。文章にすると難しくなってしまうけど、サイコロとオブジェクトがあって、配置をする場所を決めて、あとは自由にやってくださいと。その「自由に」というところがプレーヤーに委ねられるから、完成はその人とその時の環境やサイコロの目で出てきたもの次第。
だから、わからないと言われるけど自分にもすべてはわからない。でも、それって普通のことで、キャンバスに描かれているものの意味をすべてわかって見ている作品なんてないですよね。本来はそれが普通なんだけれど、今回はその成り立ちの導入をつくったので逆にみんな謎解きをしようとしてわからなくなってるのかなと思いました。実際は普段過ごしている世界自体もわからないし難しいはずなんですけど。
—— 制作のなかで発見などはありましたか?
偶然性とか、でかい自然みたいなものはやっぱり面白いなと思いました。それに自分がそういうものと一緒に作るのが好きなんだなって。「これが俺だ」みたいな作品ではなくて、環境や偶然性と協同して作るという感じです。そのせいでこっちが困ったりもするけど、どうにかなる。ドローイングを作るときも、紙にちょっと付いてしまった跡や、踏んでしまった跡がいい感じになったり。
そうやって自分だけでは行けないところがあるのが面白い。今までの自分の作品も偶然性という共通点があるんだと思いました。このキット自体に、そういう今までやってきたことを引き出されましたね。
- 1
- 2
関連する記事
-
- 2024.11.20
松浦祐也の埋蔵金への道。第10回 夏季最上川遠征・没頭捜索編 その2。
-
- 2024.11.19
[渋谷]革ジャン青春物語。—あの頃の憧れはいつもVANSONだった。—
-
- 2024.11.17
なぜ英国トラッドにはブラウンスウェード靴なのか? 相性の良さを着こなしから紐解く。