見出し、対話し、新たに生み出すのが民藝運動。
民藝とは何か。端的に言えば、それは「民衆的工藝」の略称だ。王様や貴族、サロンに集まる裕福な者たちが飾って愛でるような美術品ではない。民衆の生活に根差し、日々の営みにおいて用いられてきた工藝品である。その範疇は陶磁器、鉄器、木工、家具、染物、織物など広範囲に及ぶ。
今回の展覧会は、柳宗悦を中心とした人々による民藝運動の発展の過程をつぶさに教えてくれる。柳宗悦らは、単に古いものを 見つけただけではなかった。名もなき人々による作品を見出し、それらとの対話によって自分たちでもまた新たなものを生み出しながら、とてつもない熱量の総体として民藝運動を発展させていったのだ。
見出し、対話し、生み出す。そこに民藝運動の真髄がある。あえて辛辣な言い方をしてみるが、誇示的に買い求め、単に飾り、盲目的に愛でるのとは、対象との向き合い方がまるで違う。
現代に生きる人間は、とかく誇示的で盲目的な消費行動に走りがちだ。しかも、自分がそうした道を無理に走らされていることに気づいてすらいない。柳らは、ひたすらに自分たちの信じる道を自分たちの足で歩いた。そのモノが生まれてきた意味や普遍的な価値と出会うために、仲間とともに地道に全国を歩いた。
当然ながら、現代のように高速道路や新幹線はなく、クロネコヤマトもない。秒で検索して、何かを知った気になれるインターネットもない。情熱のみを動力にして、日本人の生活に受け継がれる民藝の美をひとつひとつ時間をかけて見出していったのだ。そうした情熱を生み出していたのは、豊かな生活とその基となる人間性に対する探究心だ。
柳は「民衆の暮らしから生まれた手仕事の文化を正しく守り育てることが、我々の生活をより豊かにするのだ」と主張している。「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」という言葉を遺したのは、ウィリアム・モリスだった。彼は19世紀後半の英国で、産業革命による粗悪な大量生産品へのアンチテーゼとしてアーツ・アンド・クラフツ運動を推進した。職人による手仕事の復興を目指したのだ。
民藝運動は、このアーツ・アンド・クラフツ運動とも呼応する。柳の仲間には英国人の陶芸家、バーナード・リーチもいた。 国のスリップウェア(スリップと呼ばれる化粧土で縞模様や格子模様といった装飾を加えて焼き上げた陶器)など西欧の工芸品も参照しながら民藝運動は日本各地で手仕事復興の気運と新たな作風を醸成していく。洋の東西を問わず、美は本質的な部分でつながっている。時間と空間を超えたダイナミズムが民芸運動には宿っていて、それは今も変わらない。
100年前の柳宗悦の服装に共感を覚える。
本稿のここまでは、民藝とは、民藝運動とは何であるかについて紙幅を割いてきた。民藝運動が発展する過程を追った「民藝の100年」は、間違いなく必見である。その上で、ここからは雑誌『2nd』ならではの視点・論点で柳宗悦たちについて語っていきたい。
民藝に興味があって、実際に民藝品を日々の生活に取り入れている読者は多いと推察するが、いままでに民藝運動の推進者たちが着ていたものにまで想いを馳せてきた人は少ないのではないか。今回の展覧会は、新たな気づきを与えてくれた。それは、彼らがとてつもなく洒落であったということだ。
例えば、民藝運動が夜明けを迎える直前の柳宗悦。木喰上人が彫った仏像とのツーショットで、時代は約100年前の1925年だ。このシチュエーションにして、柳はタイドアップのジャケパン姿。白いドレスパンツが清々しくて、そのテーパード具合と丈のバランスが絶妙すぎる。現代のファッション業界人のスナップ企画に載っていても、まったく違和感のないスタイルと言えるだろう。
足元には革靴を合わせているが、砂や小石の侵入を防ぐためのゲーターまで白で揃えて、実にスタイリッシュで抜け目のない仕上がりとなっている。地方の農村を巡る調査研究なので、作業着のラフな格好を選んでもいいはず。だが、それを許さなかった柳の美意識が見てとれる。民藝の美に傾倒していった男は、そもそも自身の在り方にこだわりの強い洒落者であったのだ。
こうしてスタイリッシュに装った旅の途中で、「民藝」という言葉も生み出している。そんな出来事からも柳の装いへのこだわりと民藝運動は密接に関係していると感じてならない。このスタイリングひとつで、多大なるシンパシーが生まれる。
柳宗悦は学習院高等科在学中に武者小路実篤、志賀直哉らと『白樺』の発刊に参加し、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業。芸術と宗教に立脚する独自の思想により、宗教哲学者としても後世に名を残している。
ハーバード大学に招聘されて仏教美術の講義をしていた1930年の写真を見ると、ツイードのスーツを着ているのが分かる。手にしているのは、米国渡航の前に米国で購入した18世紀後半から19世紀前半のスリップウェアだ。ツイードとスリップウェアのマッチングが英国のカントリーサイドを彷彿とさせるもので、これもまた非常に洒落ていて、柳という偉人に対し、ますますシンパシーが湧いてくる。
柳が直接的に日本の服飾文化の発展に寄与していたとの証拠もある。彼は英国で生み出されたホームスパンの愛好家でもあった。後にホームスパン作家として知られるようになる及川全三は、柳に勧められたことによって小学校教員から工藝家へと転身した。
柳は及川に「英国では植物染料の染めでないとホームスパンとは言わない。木のボタンを付け、洒落者はその洋服を手縫いで作る」と諭したという。
及川は羊毛の植物染色の実用化を目指し、5年の歳月をかけて実験を積み重ねて染色方法を生み出した。及川のホームスパンが民藝運動を推進した『工藝』に初めて紹介されたのは、1934年のことだった。英国生まれのホームスパンが日本の民藝品に登録されたのである。当然ながら、柳も及川のホームスパンを着用した。
その実物も今回は展示されている。『2nd』の読者であれば、しばらくその場所から動けなくなるだろう。どこかのブランドが、これを復刻してくれないだろうかと願ってしまう出来映えだ。ほしくてたまらなくなる。
民藝集団の服装術には行雲流水の境地があった。
また、鳥取では、柳から贈られた英国のホームスパンの毛糸のネクタイを手本にして、1931年に独自の新商品を考案する強者が現れた。ツイードのスリーピースを着こなす耳鼻科医、吉田璋也だ。彼は、後に柳宗悦の息子であるインダストリアルデザイナーの柳宗理がアレンジすることになる染め分けの皿を新作民藝として発案するなど、民藝の進に献した。
吉田発案のネクタイには屑繭で紡いだににぐり糸が用いられ、農家の女性が副業で生産したという。家庭用に使われていた屑繭を有効活用する取り組みは、現代のエシカルファッションの先駆けと言える。このネクタイもまた、ほしくてたまらなくなる。紺ブレやボタンダウンシャツに間違いなくフィットするだろう。いずれ、タイムマシンが開発された暁には、この時代にすぐさま行って買い占めたいほどだ。
柳愛用のホームスパンジャケットが展示されていたコーナーには、濱田庄司が着用した作務衣もあった。陶芸家の濱田庄司や河井寬次郎が焼物の仕事をする時には、もともと禅宗の修行僧が掃除などの労働作業(作務)を行う際に着ていた作務衣がユニフォームになっていたのだ。
禅の修行僧のことを雲水と呼ぶが、これは行雲流水という禅語がもとになっている。行く雲や流れる水のように、ひとつの事柄に執着することなく自然に生きる様を表した言葉だ。雲としての自分、水としての自分を無理なく、偽りなく表現し、周囲と調和しながら進んでいくことの大切さも表している。
こうした仏教哲学も自分分たちの活動に取り込んでいたのだろう。柳も含めて、民藝の人々は洋装であろうと和装であろうと、実際の行動・哲学・服装が緊密に連携していたようだ。それも行雲流水のごとく。ひとつに執着しないで自然に振る舞っているのがいい。これぞ、稀代の目利きである民藝集団の服装術と言えるだろう。
今こそ、異形の扮装で柳らの遺志を継ぎたい。
本稿の冒頭でも述べたが、民藝運動の推進者は日本各地へ集団で旅をするのが常だった。あまりにもスタイリッシュな彼らが連れ立って地方を歩く姿は、異様だったに違いない。柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寬次郎、濱田庄司、水谷良一が九州に向かう旅の移動中、私服警察官から職務質問を受けたというエピソードがある。民芸運動の支援者で内務省統計局労働課長だった水谷は、こう振り返っている。
「西洋人を中に挟んでの一行の面々異形の扮装、挙動——手織の洋服、異様の帽子、台湾袋、朝鮮袋、大きな紙挟み、方眼紙、設計、十六ミリ撮影機、そして和英両語チャンポンの鴃舌等が車掌さんの神経を刺激」。水谷が内務省統計局の名刺を出したことによって、一同は疑惑から開放されたという。この逸話にもシンパシーを感じる読者諸兄は、これからも胸を張って異形の扮装で勝負したい。
柳宗悦没後60年記念展「民芸の100年」
会場 : 東京国立近代美術館
会期 : 2022年2月13日まで※会期中一部展示替えあり
休館日 : 月曜日(ただし2022年1月10日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月11日
開館時間 : 10:00~17:00(金曜、土曜は~20:00)※入館は閉館30分前まで
観覧料 : 一般1800円、大学生1200円、高校生700円、
中学生以下無料
https://mingei100.jp/
(出典/「2nd 2022年2月号 Vol.179」)
Photo/Yoshika Amino Text/Kiyoto Kuniryo
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