民藝運動を主導した人々の「衣服」に注目! 東京国立近代美術館で展覧会「民藝の100年」が今週末まで開催中!

  • 2022.02.07
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2021年は柳宗悦没後60年の節目にあたり、現在、東京国立近代美術館では「民藝の100年」と題した展覧会が開催中。ファッションカルチャー誌である「2nd(セカンド)」としては、民藝運動を主導した人々の「衣服」にスポットを当てたい。2022年2月13日まで開催されているので、この記事を読んでから足を運んでもらいたい。

見出し、対話し、新たに生み出すのが民藝運動。

「民藝の100年」では柳宗悦らが蒐集した陶磁器、染織、木工などの暮らしの道具とともに同時代の資料を展観。ツイードスーツやホームスパンのジャケットなど、民藝の推進者が愛用した衣服も展示されている

民藝とは何か。端的に言えば、それは「民衆的工藝」の略称だ。王様や貴族、サロンに集まる裕福な者たちが飾って愛でるような美術品ではない。民衆の生活に根差し、日々の営みにおいて用いられてきた工藝品である。その範疇は陶磁器、鉄器、木工、家具、染物、織物など広範囲に及ぶ。

今回の展覧会は、柳宗悦を中心とした人々による民藝運動の発展の過程をつぶさに教えてくれる。柳宗悦らは、単に古いものを 見つけただけではなかった。名もなき人々による作品を見出し、それらとの対話によって自分たちでもまた新たなものを生み出しながら、とてつもない熱量の総体として民藝運動を発展させていったのだ。

見出し、対話し、生み出す。そこに民藝運動の真髄がある。あえて辛辣な言い方をしてみるが、誇示的に買い求め、単に飾り、盲目的に愛でるのとは、対象との向き合い方がまるで違う。

現代に生きる人間は、とかく誇示的で盲目的な消費行動に走りがちだ。しかも、自分がそうした道を無理に走らされていることに気づいてすらいない。柳らは、ひたすらに自分たちの信じる道を自分たちの足で歩いた。そのモノが生まれてきた意味や普遍的な価値と出会うために、仲間とともに地道に全国を歩いた。

柳は1940年頃から、これまでの全国行脚を総括するような仕事に取り組み始める。そのひとつが全長13m を超える《日本民藝地図( 現在之日本民藝)》。ここには500以上の産地が記されている。迫力ある全体図はぜひ展覧会でご覧いただきたい

当然ながら、現代のように高速道路や新幹線はなく、クロネコヤマトもない。秒で検索して、何かを知った気になれるインターネットもない。情熱のみを動力にして、日本人の生活に受け継がれる民藝の美をひとつひとつ時間をかけて見出していったのだ。そうした情熱を生み出していたのは、豊かな生活とその基となる人間性に対する探究心だ。

柳は「民衆の暮らしから生まれた手仕事の文化を正しく守り育てることが、我々の生活をより豊かにするのだ」と主張している。「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」という言葉を遺したのは、ウィリアム・モリスだった。彼は19世紀後半の英国で、産業革命による粗悪な大量生産品へのアンチテーゼとしてアーツ・アンド・クラフツ運動を推進した。職人による手仕事の復興を目指したのだ。

民藝運動は、このアーツ・アンド・クラフツ運動とも呼応する。柳の仲間には英国人の陶芸家、バーナード・リーチもいた。 国のスリップウェア(スリップと呼ばれる化粧土で縞模様や格子模様といった装飾を加えて焼き上げた陶器)など西欧の工芸品も参照しながら民藝運動は日本各地で手仕事復興の気運と新たな作風を醸成していく。洋の東西を問わず、美は本質的な部分でつながっている。時間と空間を超えたダイナミズムが民芸運動には宿っていて、それは今も変わらない。

100年前の柳宗悦の服装に共感を覚える。

本稿のここまでは、民藝とは、民藝運動とは何であるかについて紙幅を割いてきた。民藝運動が発展する過程を追った「民藝の100年」は、間違いなく必見である。その上で、ここからは雑誌『2nd』ならではの視点・論点で柳宗悦たちについて語っていきたい。

民藝に興味があって、実際に民藝品を日々の生活に取り入れている読者は多いと推察するが、いままでに民藝運動の推進者たちが着ていたものにまで想いを馳せてきた人は少ないのではないか。今回の展覧会は、新たな気づきを与えてくれた。それは、彼らがとてつもなく洒落であったということだ。

新潟・南魚沼郡調査の折 如意輪観音菩薩像と大月観音堂にて 1925年8月23日 写真提供:日本民藝館

例えば、民藝運動が夜明けを迎える直前の柳宗悦。木喰上人が彫った仏像とのツーショットで、時代は約100年前の1925年だ。このシチュエーションにして、柳はタイドアップのジャケパン姿。白いドレスパンツが清々しくて、そのテーパード具合と丈のバランスが絶妙すぎる。現代のファッション業界人のスナップ企画に載っていても、まったく違和感のないスタイルと言えるだろう。

足元には革靴を合わせているが、砂や小石の侵入を防ぐためのゲーターまで白で揃えて、実にスタイリッシュで抜け目のない仕上がりとなっている。地方の農村を巡る調査研究なので、作業着のラフな格好を選んでもいいはず。だが、それを許さなかった柳の美意識が見てとれる。民藝の美に傾倒していった男は、そもそも自身の在り方にこだわりの強い洒落者であったのだ。

木もく喰じき五ごぎ行ょう《 地蔵菩薩像》 1801年 日本民藝館|1924年、柳は山梨県で江戸時代 後期に木喰上人が彫った仏像に偶 然出会い、微笑をたたえた表情に魅せられ、全国を巡る調査研究を 開始。その旅が日本各地に眠る民衆的工藝の裾野の広がりを知る契 機となり、1925年末に旅の途上で「民藝」という新語を作った

こうしてスタイリッシュに装った旅の途中で、「民藝」という言葉も生み出している。そんな出来事からも柳の装いへのこだわりと民藝運動は密接に関係していると感じてならない。このスタイリングひとつで、多大なるシンパシーが生まれる。

柳宗悦は学習院高等科在学中に武者小路実篤、志賀直哉らと『白樺』の発刊に参加し、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業。芸術と宗教に立脚する独自の思想により、宗教哲学者としても後世に名を残している。

スリップウェア皿を持つ柳宗悦 アメリカ・ケンブリッジにて 1930年 写真提供:日本民藝館

ハーバード大学に招聘されて仏教美術の講義をしていた1930年の写真を見ると、ツイードのスーツを着ているのが分かる。手にしているのは、米国渡航の前に米国で購入した18世紀後半から19世紀前半のスリップウェアだ。ツイードとスリップウェアのマッチングが英国のカントリーサイドを彷彿とさせるもので、これもまた非常に洒落ていて、柳という偉人に対し、ますますシンパシーが湧いてくる。

《スリップウェア皿》 イギリス 18世紀後半~19世紀前半 日本民藝館|柳は、1929年ハーバード大学に招聘されて渡米。現地では仏教美術の講義などを行なった。米国に渡航する途中、英国に立ち寄ってロンドンの骨董店でスリップウェアの大皿を入手。この英国の手仕事の器からも柳は美を見出し、濱田や河井とともに日本に紹介した

柳が直接的に日本の服飾文化の発展に寄与していたとの証拠もある。彼は英国で生み出されたホームスパンの愛好家でもあった。後にホームスパン作家として知られるようになる及川全三は、柳に勧められたことによって小学校教員から工藝家へと転身した。

ホームスパンを着る柳宗悦 日本民藝館にて 1948年2月 写真提供:日本民藝館

柳は及川に「英国では植物染料の染めでないとホームスパンとは言わない。木のボタンを付け、洒落者はその洋服を手縫いで作る」と諭したという。

及川は羊毛の植物染色の実用化を目指し、5年の歳月をかけて実験を積み重ねて染色方法を生み出した。及川のホームスパンが民藝運動を推進した『工藝』に初めて紹介されたのは、1934年のことだった。英国生まれのホームスパンが日本の民藝品に登録されたのである。当然ながら、柳も及川のホームスパンを着用した。

その実物も今回は展示されている。『2nd』の読者であれば、しばらくその場所から動けなくなるだろう。どこかのブランドが、これを復刻してくれないだろうかと願ってしまう出来映えだ。ほしくてたまらなくなる。

《茶地縞ジャケット(柳宗悦着用)》 及川全三 岩手県盛岡市 昭和中期 日本民藝館|柳は、スコットランド・アイルランド原産の手紡ぎ・手織りの毛織物=ホームスパンを好んで着ていた。上のジャケットは、柳からホームスパンを見せられた及川全三が岩手にて生産した草木染めのホームスパンで作られている。民藝運動は、服飾文化の発展にも貢献

民藝集団の服装術には行雲流水の境地があった。

吉田璋也ポートレート 写真提供:鳥取民藝美術館

また、鳥取では、柳から贈られた英国のホームスパンの毛糸のネクタイを手本にして、1931年に独自の新商品を考案する強者が現れた。ツイードのスリーピースを着こなす耳鼻科医、吉田璋也だ。彼は、後に柳宗悦の息子であるインダストリアルデザイナーの柳宗理がアレンジすることになる染め分けの皿を新作民藝として発案するなど、民藝の進に献した。

《ににぐりネクタイ》(デザイン指導:吉田璋也)向国安処女会ほか(鳥取県) 1931年(デザイン)鳥取民藝美術館 撮影=白岡晃|1931年、吉田璋也は柳から贈られた英国のホームスパンの毛糸のネクタイを手本に、ににぐり糸(屑繭で紡いだ糸)を用いて新しいデザインを考案。農家の女性が副業として生産を担った。たくみ工藝店の人気商品となって類似品が出回るほどだったという
吉田璋也は牛ノ戸窯の小林秀晴にデザイン指導して緑黒釉掛分皿を生み出すなど、新作民藝のプロデューサーとして活躍。ツイードのスリーピース、にくぐりネクタイと懐中時計提げ紐、竹製ショルダーバッグという出で立ちからも分かるように稀代の洒落者だった

吉田発案のネクタイには屑繭で紡いだににぐり糸が用いられ、農家の女性が副業で生産したという。家庭用に使われていた屑繭を有効活用する取り組みは、現代のエシカルファッションの先駆けと言える。このネクタイもまた、ほしくてたまらなくなる。紺ブレやボタンダウンシャツに間違いなくフィットするだろう。いずれ、タイムマシンが開発された暁には、この時代にすぐさま行って買い占めたいほどだ。

《作務衣(濱田庄司着用)》公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館 ※展示終了|こちらは濱田庄司が着ていた作務衣。TPOに合わせて服装は自在にスイッチ。東京高等工業学校窯業科時代からの盟友・河井寬次郎らの制作風景が新聞などで紹介されたことで、陶芸家の仕事着=作務衣のイメージが一般に定着

柳愛用のホームスパンジャケットが展示されていたコーナーには、濱田庄司が着用した作務衣もあった。陶芸家の濱田庄司や河井寬次郎が焼物の仕事をする時には、もともと禅宗の修行僧が掃除などの労働作業(作務)を行う際に着ていた作務衣がユニフォームになっていたのだ。

禅の修行僧のことを雲水と呼ぶが、これは行雲流水という禅語がもとになっている。行く雲や流れる水のように、ひとつの事柄に執着することなく自然に生きる様を表した言葉だ。雲としての自分、水としての自分を無理なく、偽りなく表現し、周囲と調和しながら進んでいくことの大切さも表している。

こうした仏教哲学も自分分たちの活動に取り込んでいたのだろう。柳も含めて、民藝の人々は洋装であろうと和装であろうと、実際の行動・哲学・服装が緊密に連携していたようだ。それも行雲流水のごとく。ひとつに執着しないで自然に振る舞っているのがいい。これぞ、稀代の目利きである民藝集団の服装術と言えるだろう。

河井寛次郎は島根県安来市生まれ。中学時代に焼物の道を志し、1910年に東京高等工業学校窯業科に入学。2年後輩だった濱田庄司と親しく交わり、1925年には「日本民藝美術館設立趣意書」の起草に参加。柳とともに民藝運動の推進者として多方面に影響を与えた。作品を手にする河井寬次郎 自宅庭にて 1935年9月 写真提供:河井寬次郎記念館
《眼鏡(河井寬次郎着用)》 河井寬次郎記念館|陶芸家、詩人、造形作家、インテリアデザイナーなど、多様な顔を持つ河井寬次郎もまた生粋の洒落者だった。べっ甲に透かしで装飾を入れたメガネがお気に入りで、型違いでいくつか所有していた。河井だけでなく、柳宗悦や棟方志功も同じタイプのメガネを持っていたという

今こそ、異形の扮装で柳らの遺志を継ぎたい。

本稿の冒頭でも述べたが、民藝運動の推進者は日本各地へ集団で旅をするのが常だった。あまりにもスタイリッシュな彼らが連れ立って地方を歩く姿は、異様だったに違いない。柳宗悦、バーナード・リーチ、河井寬次郎、濱田庄司、水谷良一が九州に向かう旅の移動中、私服警察官から職務質問を受けたというエピソードがある。民芸運動の支援者で内務省統計局労働課長だった水谷は、こう振り返っている。

「西洋人を中に挟んでの一行の面々異形の扮装、挙動——手織の洋服、異様の帽子、台湾袋、朝鮮袋、大きな紙挟み、方眼紙、設計、十六ミリ撮影機、そして和英両語チャンポンの鴃舌等が車掌さんの神経を刺激」。水谷が内務省統計局の名刺を出したことによって、一同は疑惑から開放されたという。この逸話にもシンパシーを感じる読者諸兄は、これからも胸を張って異形の扮装で勝負したい。

柳宗悦没後60年記念展「民芸の100年」

会場 : 東京国立近代美術館
会期 : 2022年2月13日まで※会期中一部展示替えあり
休館日 : 月曜日(ただし2022年1月10日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月11日
開館時間 : 10:00~17:00(金曜、土曜は~20:00)※入館は閉館30分前まで
観覧料 : 一般1800円、大学生1200円、高校生700円、
中学生以下無料
https://mingei100.jp/

(出典/「2nd 2022年2月号 Vol.179」)

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