普通は通らない大変な作品だからこそ挑戦を
板野一郎といえば、『超時空要塞マクロス』や劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』などで”板野サーカス”と呼ばれる唯一無二のアクションを表現し、その名を世に知らしめたアニメーターだ。無数のミサイルが乱舞する動きや軌跡、空中を自在に移動するカメラワーク、被写体の位置にレンズ効果を切り替える描写など、彼が作り出したアニメーションワークは、今なお語り草となっている。
そんな板野の経歴を大雑把に振り返ると、70年代後半に動画時代を経て、『機動戦士ガンダム』(79〜80年)の途中で原画制作に昇格。『伝説巨神イデオン』(80〜81年)とその劇場版作 (いずれも82年)に参加し、次に安彦良和監督の劇場版『クラッシャージョウ』(83年)に参加する。当時、安彦が所沢に作った作画スタジオ、九月社に詰めていたそうだ。そこに同作でメカデザインを務めた河森正治が来るようになる。
「河森がコルドバっていう巨大戦艦をデザインしていて、安彦さんに『こんなゴチャゴチャしたもの大変だから、責任とってお前が描け』って言われててね。でも河森は動かし方を知らないから、私がセミシートとか原画の描き方を教えてあげたんです。それで話すようになって。実は河森は『ガンダム』のファンでね、『板野さんの戦闘シーンが好きなんです。自分たちが今動かしている企画が通ったら、メインで作画をやってもらえないですか』と言われたんですよ」
その企画というのはもちろん『マクロス』だ。本当は『クラッシャージョウ』が終わってから参加する予定だったが、『マクロス』が思ったよりも早く動くことになり、板野は途中でそっちに移ることになる。
「そこでデザインを見せてもらいましてね。『ガンダム』も大変だったけど、これは全然大変さが違うって思いましたね。F-14に近い戦闘機が変形して、ちゃんとロボットになる。しかも絵だけじゃなくて、レゴで作った玩具も見せてくれて、これはすごいなと。大変な企画だし、この絵では普通はどこにも通るはずがない。テレビの制作スケジュールでやるには、劇場版クラスの線の多さですから。しかも、ジェット機って難しいんですよ。架空のSF戦闘機なら誰も実物を見たことがないわけだから、こんなもんだと思えるんですけど、クルマとか飛行機はみんな本物と比べられちゃうからすごく難しい。だけど、このバルキリーってデザインはセンセーショナルですごくいい。これを自分がどこまでやれるか、挑戦してみたかったんです」
さらに、こう振り返る。
「宮武(一貴)さんが描いたマクロスもごちゃごちゃしていて、大変なんです。1枚描くにも1時間以上かかるし、それも変形する。巨大感があるんで、パースがある程度ちゃんとしていないといけない。でもパースを使っちゃうとパースガイドに沿って動かすから、真ん中とって真ん中とってという中割りができないんです。だから普段より全然大変で、原画も多くなるし、描ける動画も少なくなる。でも、だからこそ、これはやりがいがあるなって思ったんです」
板野としては、これまでに参加した作品で、いろいろと思うところがあった。大人の事情で余計とも思えるメカが登場するとか、動画が演出に勝手に中抜きされて、2コマの動きが3コマにされるとか。板野はそんな当時の現場に忸怩(じくじ)たる思いがあったため、この『マクロス』を成功させたいと思ったようだ。
しかし実際に制作の段階になると、事情が異なってくる。アニメ制作は、石黒 昇監督率いるアートランドを中心に、タツノコプロの子会社であるアニメフレンドと、アニメフレンドからグロス請けした海外のチーム。しかし、その海外チームも板野が3ヶ月ほど教えたにもかかわらず、腕を上げた人材は他の作品にいってしまう。一方のアートランドも、新人がほとんどという状況だったらしい。
「だからひどかったじゃないですか、アートランドの回以外。平野(俊弘)さんたちが助けに入った回とアートランドぐらいがマシだった。しかも、こっちが真面目に進行して2話まで準備していたら、同じ日曜昼枠で始まるはずの別番組が、1話を落としちゃって。そのしわ寄せで、こっちで完成していた2話を1時間スペシャルとして放送しちゃったもんだから、ストックがもうなくなって、結局スケジュールがカツカツという状況になってしまったんです」
初回の1時間スペシャルについてははいろんな人が証言している有名な話だが、板野は作画の最前線にいた作画監督なので、特にこの状況にいちばん悩まされていたわけだ。
先人たちを見習ってよいものを進化させる
そんななかでスタートした『超時空要塞マクロス』で、板野は精一杯自分ができる最善を尽くす。
「オープニングで背景動画をかましたりとか、戦闘シーンでのこだわりはちゃんとできました。ただ、テレビって普通だったら、試して、16mm(フィルム)でラッシュで観てとか、2回ぐらいできるはずなんですけど、スケジュールがなかったから、結局ぶっつけ本番だったんです。周りからは動きが速過ぎるとか、納豆ミサイルとか、空であんなクネクネ曲がっても意味ないとか、そういう意見は聞こえていたんですけど、こっちとしては関係ないやって。三点透視図法で、空間認知と被写体進路を計りながらやってるし、速度がマッハ3ならこのぐらいだなとかもわかっていたから」
こうした板野のリアリティへの追求には、単なるクリエイターとしての探究心や創造性だけでなく、ある思いがあった。
「結局、テレビとか劇場とか関係なくて、やっぱりみんないいものを観たいんです。『ガンダム』でも、安彦さんがテレビらしくないものをやってたじゃないですか。だからあぁいうものがどんどん出てくれば、みんな目が肥えてくるから、そういうものを作っていかなきゃいけない。僕は安彦さんや湖川(友謙)さんたちから、そういうことを教わったんですよ。僕が『ガンダム』でやり残したことだけじゃなくて、それを進化させなきゃいけない。せっかくこんなにセンセーショナルな可変メカなんだから、どうやってちゃんと見せられるかなって、常に考えていました。
バルキリーも空母にいる時は空母にいる艦載機として、みんなが見たことあるようなリアルなものとして描くけど、ガウォークとバトロイドになってからはリアルじゃなくて、カッコよく描くんです。安彦さんのガンダムも、操縦しているんじゃなくて、モビルスーツだからスーツとして、人が中に入って動いているような感じだから、カッコいいんです。やっぱりそういう部分は、一生懸命見習っていました」
偉大な先輩たちの言わば”手描きアニメの魂”を継承、進化させ、次につなぐ気概というものがあって、初めて板野サーカスは成り立っている。それは時代の流れで、後にアニメクリエイターがフィーチャーされる80年代OVA時代が到来することとも無縁ではないだろう。
「それまでにも、ロボットアニメだったらこう、みたいな売れるパターンがあったけど、でもそうじゃないものを『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』でできて、大人も楽しめるものが登場したでしょ。せっかく作ってくれた路線を広げなきゃいけない。そこで、河森や美樹本っていうオタクが好む、”僕はこういうのを描きたいんだ”っていう作品が『マクロス』だったんですよ。彼らが提示したものと化学反応を起こして、アニメの次の世代に取り入れて、またもう一歩先に行くんじゃないかって思っていた。だから、自分は『マクロス』のそこに賭けていましたね」
そんな板野自身が『マクロス』で”つかめた”と思えたのはどのあたりだろうか。
「ちゃんとできたなって思うのは、やっぱり劇場版の『愛・おぼえていますか』ですよ。テレビでもマックス・ミリア戦(18話「パイン・サラダ」)とか、部分的に構想を広げてがんばったところはあるんです。でもそれも自分的には試作段階で、それがまとまって完成したのが、劇場版という認識なんです。ラストの、歌で戦争を終わらせるシーンとか。歌で戦争を終わらせるために輝(ひかる)がボドルザー艦の通路でバカバカ撃ちまくって、くるくる回りながら、回廊で最終的にやっつける。あのあたりがやっぱりいちばん大変でしたね。宇宙を埋め尽くす大艦隊、どこからも発射される無限のミサイル…字だけなら簡単ですよ。でも、誰が描くんだ(笑)。ミンメイが歌っているなかでも、後ろでずーっと戦っているじゃないですか。ミンメイにピントが合って、戦闘シーンはループでぼけていてもいいのに、それを全部真面目に描いてしまうんですからね」
板野は『マクロス』を「等価交換で身を削った作品だ」と言うが、あれはまさに命を削った渾身の作画。よいものを作れば、絶対に視聴者にも伝わるし、次世代にもつながる。それをまさに全身全霊で表しているのが、あの作品なのである。
時間と空間のデフォルメを3Dに継承
板野は『愛・おぼえていますか』で、時間をかけて納得できるものを完成させたことで、もう当分『マクロス』はできないと思っていた。しかし、『マクロ スプラス』(94年)でカムバックし、板野サーカスの極地を披露することになる。
「AICが作った『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』(92年)を観た時に、この方向で『マクロス』が続くのは嫌だなって思って、それが『プラス』をやることにつながるんです。たぶん、自分たちも若かったんだろうけど、20代から30代になって、『マクロス』を観直して、『マクロス』ができること、『マクロス』がやんなきゃいけないことってどういうことなんだろうって考えたんですね。それでアメリカに飛んでいろんな取材をしたり。『プラス』の時代はまだCGのコストが高かったから、じゃあ自分がどんだけできるかっていうことで、ゴーストX‐9が撃ったミサイルを避けるやつ、とかをやったんです」
板野としても、この『プラス』で作画の限界をやり切ったという思いに至るのだが、『マクロス ゼロ』(02年)で再び参加。この時に彼は、河森作品を作画でできる人は、他社のメカ班など限られているという見解だった。そのため、デジタルアニメーションに特化した制作会社であるサテライトでやるなら、もう3DCGにした方がよいと提案し、3Dアニメーターたちに『マクロス』ならではの動きを指導する特技監督として関わることになる。
「その時に教えたのは、2Dの時間軸のデフォルメと見せ方なんです。『マクロス』の戦闘シーンのキモって、時間と空間のデフォルメなんです。3Dソフトでやると補完割りといって、キーフレーム間を自動で補完しちゃうんです。でもその動きはぬるぬるして気持ち悪く、CGくさくなる。でも、そうなっちゃいけない。ジャパニメーション の2Dは、枚数が使えなかったリミテッドアニメである分、空間を歪めたり、急に速くしたりするので、そういうメリハリがすごく大事になるんです」
この他にも、板野は「真正面の絵は設計図にしか見えないから絶対NG」であるとか「AからBにカメラがパンする時も、カメラの動きをR(曲率)に湾曲させて、時間軸にメリハリをつける」といった、昔で言うと爆発にエアブラシでグラデーションをかける特殊効果のような役割も身につけてもらうなど、3Dのアニメーターに教え込んでいる。こうしたやり方を教えたことで、『ゼロ』ではジャパニメーションのデフォルメのよさを、3Dの映像のタイミング、レイアウトに落とし込めたのだという。その時のチームが、以降の『マクロス』シリーズを支えている。
先輩たちが作り上げたものを板野は学び、それを板野サーカスなどで表現し、今はそれが最先端の3D技術を操る後輩たちに引き継がれている。こういう魂の継承があるから、『マクロス』シリーズの映像は高い水準を維持しているのである。
※情報は取材当時のものです。
(出典/「昭和50年男 2023年7月号 Vol.023」)
取材・文:サデスパー堀野 撮影:坂本光三郎
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