時代と環境が生んだ絶対的ヒーロー“Z-BOYS”。
アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンタモニカの海岸地区の南隣、ここが通称“DOGTOWN”と呼ばれているスケートカルチャー発祥の地である。サーファーやストリートギャングが集まり、ヒッピーなアイデンティティーを保つ最も鮮烈でエキセントリックな魅力を持ったエリアとして知られているが、’70年代のサンタモニカは“あらゆる漂流物が海に流れ出す場所”とも言われ、街並みは荒れ、貧困と犯罪の溢れる街だった。
「LAなどの大都市と比べて賃料も安いし、貧乏人向けの政府のアパートがあったんだよ。その分ドラッグの売買も頻繁に行われていたゲトーなエリアだったけど、ドアーズのジム・モリソンやジャニス・ジョプリン、リッキー・リー・ジョーンズといった、ありとあらゆる個性的な人が住んでいたね。ローラースケートもすべてヴェニスから始まり、そこからNY、日本へと渡っていったんだよ」
そう当時のことを話すのは’76年に渡米し、DOGTOWN のメンバーと彼らの出来事を目の当たりにしてきた白瀬さん。DOGTOWN がカスタムカー、グラフィティ、ストリートギャング、そしてサーフボードでも中心地になっていったのは、ボードカルチャーに適した環境と、この地域一帯に漂う独特のローカリズムが醸し出す緊張感があったからに他ならない。そこでストリートを生き抜く為のセンスとスタイルが磨かれていったのだという。
「Z-BOYS は今振り返るとひとつの文化を生み出したチームだったよね。本当に個性的なメンバーが集まっていたよ。でも当時は文化になるだとかそんなことは全く考えていなかった。ハイになってとにかく好きなこと、スケートボードをしまくっていただけなんだ。それでいてズバ抜けてカッコ良かったんだよ」
どの時代にもヒーローはいるが、この時代はZ-BOYS がカウンターカルチャー界における絶対的なヒーローだったことは間違いない。
DOGTOWNによって、現在のストリートスケートの概念が生まれた。
Z-BOYSはどのようにして時代の寵児と呼ばれるほどにまで成り上がったのだろうか?
それは彼らが今までとは全く違うライディングスタイルを生み出し、現代の確立されたスケートカルチャーの礎を築いたからにほかならない。当時のヴェニスビーチはまるで廃墟のようで、不良達がサーフィンすることで有名になった、いわば見捨てられたビーチだったのだが、そこにはジェフ・ホウ、スキップ・イングロム、そしてクレッグ・ステシックらが共同経営するZEPHYR サーフショップがあった。
そこには人種も年齢もバラバラで、貧困で崩壊寸前の家庭を抜け出し、心の隙間を埋めるように日々サーフィンとスケートに打ち込むティーンエイジャー達が集まっていたのだが、彼らを集めてできたスケートチームこそがZ-BOYS だったのだ。
彼らは’60年代まではフラット(平地)での逆立ちやウィリーしかやっていなかったスケートボードに、激しいポンピングやスライドターンなど、サーフィンの動きを表現したスタイルを取り入れていった。それは滑る場所がフラットから格好のダウンヒルスポットだった駐車場や、周りがバンクで囲まれている学校へと移っていくことを意味し、ストリートスケートの概念が生まれた瞬間でもあった。
またそれだけではなく、現在のボウルやバーチカルランプの原型となるプールライディングを生み出したのも彼らであり、かの有名なDOGBOWLと名付けられたプールは、Z-BOYS のメンバーだったシドが病気に侵されたため、父親が自宅のプールを何カ月も空にしたまま彼らに解放したことから生まれた。
友人の家で警察の目を気にせず好きに滑れるとあれば、その数カ月でスケートボードのトリックレベルが格段に進化していったことは想像に難くないだろう。
そうしたZ-BOYS のスタイルは、’60年代の滑り方を引きずっていたスケートボード界に大きな衝撃を与えたことは言うまでもない。横暴で喧嘩っ早く、危険な雰囲気を持ちながらも、圧倒的なスキルでクールかつ大胆なライディングを見せるZ-BOYS は大きなカリスマ性を放ち、瞬く間に若者の人気を集めていったのだ。
中でも突出したスキルを有していたのがジェイ・アダムス、ステイシー・ペラルタ、トニー・アルヴァの3名。結果として彼等の名声が高まると同時に、それぞれが己の価値観に基づいたスケートボードのキャリアを求めて旅立ち、チームは終焉を迎えることになるのだが、Z-BOYS のメンバーだったジム・ミューアがDOGTOWN SKATEBOARDSを設立したり、ステイシー・ペラルタがPOWEL PERALTA を立ち上げたりと、彼らがスケートボード界に遺したものは果てしなく大きいと言える。
DOGTOWNの歴史を後世に伝える、百瀬さんの貴重なアーカイブ。
百瀬さんが現在も保管している当時のスケートシーンを垣間見ることのできる貴重なアーカイブを特別に拝見させてもらった。当時のにおいがいまにもしてきそうだ。
シルクスクリーンプリントシート
Tシャツにシルクスクリーンプリントを施すための試し刷りの版。所属ライダーだったエリック・ドレッセンやアーロン・マーレー、ティム・ジャクソンなど、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。
ステッカー制作用シート
’90 年代のアメリカ在住時にステッカーを制作するために使った版。今ではPC 上でデザイン可能なステッカーも、当時は一枚一枚型を作って制作していた。
スケーターズ・タトゥーカレンダー
制作して即完売したスケーターのタトゥーカレンダー。基本的には出ているのはジェイ・アダムスらDOGTOWN の仲間達のみ。巻末のスペシャルサンクスには白瀬さんの名前も。
オリジナルステッカーセット
1970〜’80年代当時のデッドストックもある貴重なステッカー。グラフィックはほぼブルドッグアート(ブランド創設者のひとりであり、メンバー達のデッキをデザインしたオリジナルアーティストであるウェス・ハンプストン)ながら、“Genuine DOGTOWN Brand”と描かれたものは別デザイナーによるもの。
デッドストックのTシャツ
アーロン・マーレーモデルのロングスリーブ T シャツと、風合いのある擦れたプリントが特徴のノースリーブT シャツ。生地が部分的に破れても、このように自分で切ってカスタムして着ていたそうだ。
クロスロゴのオリジナルタグ
DOGTOWNが気に入ったお客にあげようと作ったオリジナルのタグ。今思えばもっと重厚感ある作りにすれば良かったとの白瀬さん。それでも歴史の重みは十分である。
非売品のクロスロゴプレート
オフィスには世界のDOGTOWN 好きが自分でデザインしたものが届くことが多いそうで、これもそのひとつ。気に入ったものはこうして大切に保管している。
’80〜’90年代のウォレット
DTS(DOGTOWN SKATES)と書かれたモデルは、レザーショップに出したサンプル。そこから時が経つにすれてレザーに刻印したりと進化の工程が伺える。
デッドストックのベースボールキャップ
’80年代後半から’90年代初頭にリリースしたベースボールキャップ。リアルなクロスタグを刺繍したシンプルなデザインと、時代を経た風合いの変化に時代の重みを感じる。
白瀬さんは現在、ロサンジェルスのウエアハウスを彷彿とさせる建物にて、現地で買い付けた上質なラテン・ユーズド家具を取り扱う雰囲気抜群のショップも営んでいる。興味がある人はぜひ訪れてみてほしい。
【DATA】
Mar-Vista Garden
神奈川県茅ヶ崎市東海岸南2-11-15
TEL0467-38-4141
休み/不定休
(出典/「Lightning Vol.288」)
Text & Photo / Y.Yoshida 吉田佳央
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