遠州地方から始まった、国産バイク(YAMAHA・SUZUKI・HONDA)の夜明け。

  • 2021.10.24  2020.06.27

昔から織物、楽器、家具などモノづくりが盛んな地域として知られる遠州地方(現在の静岡県西部)。中でも最も有名なのがヤマハ、ホンダ、スズキと世界に誇る3社のバイクメーカーの発祥地であるということ。そんな遠州のバイクメーカーを比較しながら、国産バイク、そして遠州という土地柄を深掘りしていこう。

国産3大バイクメーカー「ヤマハ」「ホンダ」「スズキ」とは?

まずは、国産バイクメーカーのトップ3である、ヤマハ、ホンダ、スズキの特徴を簡単に紹介。

1.YAMAHA(ヤマハ)

YAMAHA SCR950

始まりは輸入オルガンの修理業だったヤマハ。1955年にバイク製造部門を立ち上げ、ヤマハ発動機がスタートする。現在ではバイクだけでなくマリンジェットや四輪バギーなど多くの製品を展開。創業時からデザイン性の高い製品を作り続け「デザインのヤマハ」とも呼ばれる存在に。

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2.HONDA(ホンダ)

HONDA CB1100RS

日本を代表する技術者である本田宗一郎。1946年に彼が軍で使用していた無線機用の小型エンジンを改良し、自転車に取り付け試走したのがバイクメーカーとして歩んだ最初の一歩。常に斬新な技術を生み出していた本田宗一郎のモノづくりの精神は、現在でもしっかりと受け継がれている。

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3.SUZUKI(スズキ)

SUAUKI HAYABUSA

もともとは織機メーカーとして1909年に創業していたスズキ。戦後である1952年に自転車にエンジンを搭載したバイクを発売し、1952年には日本初の軽四輪自動車「スズライト」を発表するなど高い技術力を見せつけた。

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3大バイクメーカーの故郷は浜松にあり!

戦後の浜松では数多くのバイク・自動車メーカーが林立。もちろんヤマハ、ホンダ、スズキの3メーカーも浜松にてバイク製造に着手していた。特にホンダとスズキはどちらも浜松駅近くに本社を構えている近所同士で、ヤマハも同じ市内に存在していた。

3大バイクメーカーの第一号車のスペックを比較してみよう。

それぞれのメーカーが手掛けた製品第一号はどんなものだったのかをスペックを見ながら比較していく。面白いことに当時からそれぞれの個性がすでに垣間見えていた。

【YAMAHA「YA-1」】デザインのこだわりは最初から。

  • 製造:1952年製(昭和27年製)
  • エンジン:空冷2サイクル単気筒
  • 排気量:125㏄
  • 最高出力:5.6 ps/5000rpm
  • 重量:94kg

当時は黒いボディが当たり前だったが、濃いワインレッドと白のツートンカラーを発表するところにヤマハらしさを感じる。そのカラーリングから赤トンボの愛称で親しまれた。

【HONDA「ホンダA型」】市民の足として活躍したホンダの一号車。

  • 製造:1947年製(昭和22年製)
  • エンジン:空冷2サイクル単気筒ロータリーバルブ
  • 排気量:50㏄
  • 最高出力:1ps/5000rpm
  • 最高速度:45km/h
  • 重量:10kg

ホンダの初の製品として作られた原動機付き自転車。正確には自転車用のアシストエンジンで、市販の自転車に簡単に取り付けられることから大ヒットした。通称バタバタと呼ばれ親しまれた。

【SUZUKI「パワーフリー号」】ミッション付きでライバルを圧倒!

  • 製造:1952年製(昭和27年製)
  • エンジン:空冷2サイクル単気筒
  • 排気量:36㏄
  • 最高出力:1馬力
  • 重量:─

ライバル社に差をつけるべく二段階変速器を搭載した革新的バイク。「パワーフリー」という誰もがその性質をわかりやすいネーミングセンスにもスズキらしさが現れている。

3大バイクメーカーの偉大なる創業者の人物像も比較!

世界的なバイクメーカーを生み出した創業者は一体どんな人だったのか? 生い立ちと共に彼らの人物像を浮き彫りにしていこう。

【ヤマハ発動機創業者 川上源一(1912年1月30日~2002年5月25日)】第1号車開発の陣頭指揮を執り、わずか8カ月で完成。ヤマハ発動機設立9日後のレースに出場し初優勝。

ヤマハの前身、日本楽器製造の社長川上嘉市の長男として、静岡県浜名郡豊西村(浜松市)に誕生。1934年の大学卒業後、別企業を経て日本楽器製造に入社。’50年4代目社長に就任。同社をピアノ生産量世界一に導いた。バイク製造に乗り出したのは’54年。第1号車のエンジンを自ら組み立て、試作車の走行テストも行うなど開発の先頭に立っていた。わずか8カ月余りで第1号車YA-1が完成した’55年、日本楽器製造から独立したヤマハ発動機株式会社を設立。同社は世界的なバイクメーカーに成長し、源一はヤマハ中興の祖と称えられている。

【本田技研工業株式会社創業者 本田宗一郎(1906年11月17日~1991年8月5日)】求めたのは100%ではなく120%の完成度。世界のホンダを作り上げた天才エンジニア。

鍛冶屋だった父と機織り職人であった母の長男として、静岡県磐田郡光明村(天竜市)誕生。少年の時に初めて自動車に心を奪われたという。1948年、42歳で本田技研工業を設立。ドリームやカブなど、現代に続く優れたバイクを開発。社員からオヤジさんと慕われた宗一郎は、人の真似が嫌いで独自の製品開発を追求していた。常にユーザーを一番に考え、100%ではなく120%の完成度を目指せが口癖だった。世界一になってこそ初めて日本一なのだと、’59年にマン島TTレースに参戦。’61年には表彰台を独占し無名だったホンダを世界に知らしめた。

【スズキ創業者 鈴木道雄(1887年2月18日~1982年10月27日)】大工からエンジニアとなって画期的な織機を開発。その改良と発展に尽くし成功をおさめスズキの礎を築いた。

静岡県浜名郡芳川村(浜松市)の農家の次男として誕生。手先が器用だった道雄は14歳で大工に弟子入り。日露戦争後、師匠が足踏織機の製作を始め彼も織機製作の技術を習得。1908年に独自の足踏み織機を開発し、翌年に後のスズキとなる鈴木式織機製作所を興した。さらに画期的な織機の開発と生産を続け、’30年代には世界各国へ輸出され高い評価を受けていた。同じ頃自動車の開発も始めていたが、第2次世界大戦で断念。2輪と4輪の開発を再開したのは戦後で、パワーフリー、コレダなどのバイクを製造。’55年には軽自動車の製造販売も始めた。

失敗を恐れず新たなことに挑戦する気風の地・遠州が生んだ、国産バイク。

静岡県西部地方は江戸時代までは遠江(とおとうみ)という国で遠州とも呼ばれた。明治時代の廃藩置県で遠江国は浜松県に変わり、1876年には静岡県に編入されている。

江戸時代の遠州は綿花の産地として知られ、綿花を栽培していた農家は綿織物も作っていた。明治時代になると紡績工場が設立され織機の開発が進み、繊維産業がめざましい発展を遂げ織物の一大生産地に。繊維産業の発展と共に、複雑な機構を持つ織機をはじめ、さまざまな機械の研究や開発、加工技術が発達。やがて浜松は有数の工業都市となり、明治から昭和にかけて楽器やバイク、自動車など国内屈指のメーカーが本拠地を構えさらなる発展を遂げる。

ピアノ、バイク、軽自動車など日本初の国産製品も多く、優れた工業製品を生み出してきた技術者や経営者の根底には、この地に根付く「やらまいかの精神」があるという。これは、どんなことでもまずはやってみる、失敗を怖れず自ら進んで物事に取り組む事。ホンダ、スズキ、ヤマハの創始者たちも、やらまいか精神のもと、多くの困難を乗り越え歴史に残る名車を生み出してきた。そして世界をリードするバイクメーカーとなったのだった。

(出典/「Lightning 2017年5月号 Vol.277」)

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