1976年創業。関西セレクトショップの草分けとして礎を築きあげた「ロフトマン」を当時の写真で振り返る
スタッフ総出のDIYで作り上げたという「ロフトマン1981」1号店。当時はアウトドアショップでしか取り扱いが許されなかった「パタゴニア」を他に先駆けていち早く展開したことでも話題を集めた。
かつて「ドゥ・ワン・ソーイング」への別注シャツをメインに展開していたというオリジナルレーベル「ロフトマン セレクション」のタグ。
「ロフトマン」の前身となるジーンズショップ「キャプテン」。わずか6坪の狭小店舗ながらデニムの本格リペアなども展開。元スタッフにより現在も運営中。
キャプテンの開店から5年後、1981年に満を持してオープンした「ロフトマン」の1号店。当初は紺ブレ、デニム、ローファーという定番のアイビースタイルを提案。
アメリカからヨーロッパまで。幅広い氏の嗜好がセレクトにも活きている
これらは「ロフトマン」の商品ではなく、村井さんが長らく愛用してきたという私物。村井さんの型にハマらない嗜好の幅広さが垣間見え、それは間違いなく「ロフトマン」のセレクトにも反映されている。「エル・エル・ビーン」のハンティングジャケット、「マクレガー」のドリズラージャケットなど、定番的なアメトラアイテムもあれば、イタリア製「リーバイス」のジャケット、オーストリッチの「ラッセルモカシン」、リザードの「ジェイエムウエストン」など、実に多種多様な顔ぶれである。
パラブーツの魅力をどこよりも早く提案
まだ国内では広く知られていなかった「パラブーツ」もいち早く展開。村井さんのお気に入りは足にも優しい上品顔のローファー「ランス」。毎日のように履いていたとか。
「ポール・スミス」を日本で広めた第一人者もロフトマンだった
欧州の展示会で出会った「ポール・スミス」の優れたクオリティと将来性にいち早く着目し、まだ日本に総代理店がなかった80年代末頃から独占的に販売を開始。「決して安いものではなかったけど、時代の気運と共鳴しながら飛ぶように売れた」と当時を振り返る。
【本江MEMO】
修学旅行から数え、もう京都へは50年以上通い続けています。9年前、ほぼ表に出ないことで知られる修平さんが、関西の雑誌『カジカジ』でロフトマン40周年の話をされていました。今まで散々お世話になってきたぼくは、節目の50周年に何かできることはないかと考え、ついには直談判したと。今では100人以上ものスタッフ抱える大きな会社の会長、寺町商店街の会長も務める修平さんですが、ぼくにとってはいつまでも公私ともに頼れる京都のオッちゃんなのです。
MA-1が主流だった80年代、お世話になった先輩のマネをしてロフトマンで購入した初期「アヴィレックス」のG8。ヴィンテージハワイアンは、ぼくが同店で初めて購入したアイテム。その昔、転職して鞄屋に来ないかと誘われた際、修平さんに相談したら「あんたはバタくさいパンツを作ってるのが合ってる」と一蹴され、このシンプルな英国「ダッファー」のパンツを託され勉強しました。
(出典/「2nd 2025年5月号 Vol.211」)
Photo/Yoshika Amino Text/Takehiro Hakusui Illustration/Maki Kanai
- 1
- 2
関連する記事
-
- 2025.05.05
アイビーリーグとは? アイビールックの由来であるアイビー8校を解説
-
- 2025.03.29
目利きへの第一歩。スウェットシャツの歴史と変遷をヴィンテージとともに紐解こう!
-
- 2025.03.16
「スポルディング」のカタログを見ればスウェットシャツ発展の過程がわかる!