「ポール・スミス」を 日本で広めた第一人者「ロフトマン」会長・村井修平さんインタビュー【アメトラをつくった巨人たち。】

「今回は初の関西編。来年創業50周年を迎える『ロフトマン』創業者にして現会長・村井修平さんを紹介します。80年代前半、ぼくがまだ『バーンストーマー』の営業だった頃からのお付き合い。出張時は村井宅に泊めていただくのはもちろん、彼らが上京した際にはウチに泊まってもらったりする仲にして、1984年には『ロフトマン』の裏手にあった教会にて、村井さん仲人のもと妻と挙式を上げさせてもらったほど、公私にわたってお付き合いさせていただいてます。社長業を木村さんへと譲り『オレはもう引退した身だから』と、取材はずっと固辞されていましたが、来年は50周年、さらには『まずは会長の深掘りから』と、木村さんや専務の洋平さん(息子さん)の後押しもあってどうにか取材に漕ぎ着けることができました。」

【案内人】「Pt.アルフレッド」・本江浩二さん
「ロフトマン」会長・村井修平さん|1952年生まれ、兵庫県出身。1976年、京都は一乗寺にジーンズショップ「キャプテン」をオープン。その5年後となる1981年にインポートアイテムの拡充を図ったセレクトショップ「ロフトマン」をスタートさせ、同市内の寺町京極商店街内に4店舗+EC部門、大阪梅田に3店舗、東京代々木上原にも1店舗を展開。現在事業の多くを二代目社長となる木村氏に引き継ぎ、街興しや地域貢献にも尽力するとともに先述商店街組合の役員なども務めている

学園紛争を端緒とした出会いとつながり

日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Ptアルフレッド代表・本江さんのナビゲーションでお届けする連載企画。今回ご登場いただくのは、 今や国内9店舗を展開する関西発のセレクトショップ「ロフトマン」の創業者にして、今年で御年73歳を数える村井修平さん。

大学進学を機に京都へと拠点を移した村井さんが、初めてアメリカ文化に触れたのは1974年。学園紛争を端緒とした「人との出会いとつながりに導かれた」と当時を振り返る。

「姫路の田舎で育ち、大学入学とともに京都へ移ったものの、当時は学生運動の真っ只中にあって学校はほぼロックアウト。3畳一間の下宿先で出会った先輩方、くわえて彼らが読んでいた本に感化されていきました。基本的には環境問題など難しい本ばかりでしたが、唯一ぼくでも読めたのが小田実が書いた『何でも見てやろう』という貧乏旅行記。学校へも行けず、特にやることもなかったため、まずは神戸港から沖縄へと向かいました。向こうで知り合った方がたまたま有力者にして医師でもあり、彼のツテから米軍基地の催事に入れてもらうことになり、そんな基地内のマーケットで見たTシャツやスニーカーが、ぼくにとっては初めてのメイドインUSAでした。

それから東南アジア辺りをブラブラするワケですが、肝心の学問では4つの単位が未修。でも、未修課目の担当教授が魅力的な方だったので、旅の記録を彼へと一方的に手紙で送り続けていたんですね。すでにダブることは覚悟していましたし、その分の学費をアルバイトで貯めてもいたのですが、教授の図らいからかすべての単位をなぜかクリアしていて。もちろん嬉しくはありますが、浪人するつもりでいたため就活なんて一切していなかった。それから急いで仕事を探すにあたり、これまでの旅の経験から貿易関係に進みたいと考え、京都にあった中国との貿易会社へと飛び込みました」

とはいえ、政治的な社風に反発し、わずか1年で退社。そして次なる仕事を模索するなかで、再び京都へと拠点を移した。

「寺町にわずか4坪の狭小店舗ながら1日に300本ほどジーンズを売り上げるショップがあり、そこへどうにかアルバイトとして入り込み、商売のイロハを学ぶことにしました。当時最も売れたジーンズは1本4200円、さらに『リー』の200番台が8000円くらいしていました。それを平日でも1日平均300本売るのですから、単純計算でもひと月6000万円もの売上になる。こんなに儲かる仕事なら是非やりたいと短時間でデニムのリペアや仕入れ術を叩き込み、24歳で独立したのです」

キャプテンからロフトマンへ

こうしてキャリア初となるジーンズショップ「キャプテン」を当時からの盟友でもあり、長らく番頭を務めた西井さんとともにスタートする。

「当然ながら順風満帆とはいかず、当初は『ハーフ』という国産デニムブランドの商品を委託販売しながら徐々に軌道へ乗せていったのですが、知恵が付いてくるとアメリカものやヨーロッパものなど国産以外の言わば“本物”を扱いたくなり、インポートアイテムの拡充を図っていきました。そうしているとだんだん国産品を扱うのがイヤになってしまって(笑)。かといって、急に取引しなくなるワケにもいかず、言わば苦肉の策として1981年に『ロフトマン』という屋号を新設し、今出川に第1号店をオープンさせました。『リーバイス』501に『Jプレス』のネイビブレザーという『ロフトマン』の象徴的なスタイルは次第に認知されるとともに、美容関係者を中心に、様々な職種の方々から注目され、ようやく軌道に乗り始めたと」。

インポートをメインに展開するにあたっては、現「シップス」の前身となる「ミウラ&サンズ」や「バックドロップ」のような東京の有力店を何より参考にしたという。

「それぞれに憧れはありました。とはいえ、あそこまで濃いめの商品構成ではなく、ぼくらの個性を加えながら英国をはじめとした欧州モノをミックスしていこうと考えていました。そんなぼくらの試みを見た関西の同業者からは“まるで東京みたいなことをやってますね”と揶揄されましたけど、では逆に“関西らしさ”とは何だったのかを今にして考えてみても全くわからないのです(笑)」

どこよりも先に、優れた先進性の賜物

そんな「ロフトマン」におけるブレイクスルーをいくつか挙げていただくと、その多くは日本未上陸や国内初といった先見の明に集約されていた。

「80年代の半ば頃にはアメリカだけでなく、英国やフランスにもバイイングに出ていましたし、日本未上陸でも気になるブランドがあれば直談判したり、直接買い付けたりもしていました。わかりやすいところで言えば『ポール・スミス』ですね。フレンチカジュアルやプレッピーが流行していた85年、コベントガーデンにあった彼のオフィスに直接会いに行き、サイドアジャスターパンツとネクタイを数種買い付けてきました。ブランド自体あまり知られてない上に決して安価なものではなかったですが、飛ぶように売れたのを覚えています。

また、寺町通り沿いで多店舗展開するにあたっては“他ではできないことをやろう”と事前に策を練り、『ロフトマン1981』のオープンに際しては、当時は直営店ですら在庫確保が難しかった『レッドウィング』を数カ月にわたって集め一気に350足ほど放出したり。さらにアウトドアショップ以外取り扱いが許されなかった『パタゴニア』をいわゆるアパレル系セレクトショップでは日本で初めて正規取扱店として展開したことでも話題となりました。そういった新しいことにチャレンジすること、そこに面白さを見出せるスタッフが集まってきたことも、『ロフトマン』の成長には欠かせない財産だったと思いますね」

第二の故郷寺町への思い

「ロフトマン」の拠点となる寺町京極商店街は、安土桃山時代に寺院街として造営され、その名の通り静かに佇む寺社仏閣とは対照的に、今日に至っては多くのショップたちが軒を連ねる府内でも屈指の人気ストリートのひとつとなっている。

「隣筋の新京極通りはぼくらが寺町へと移る前から修学旅行生などで賑わう名物通りでしたが、ぼくはそのうち寺町も必ず賑わうだろうと考えていました。でも、実際に出店した1997年当時、インポートセレクトショップはウチしかなかった(笑)。周りからも“なんで寺町なんかに?”と怪訝な顔をされましたが、ぼくにはなぜか自信がありましたし、“寺町でダメなら解散する”とスタッフにも事前に伝えていました。

それから数年かけ、当時この街に目を付けていたリーシング業者と一緒に他のセレクトショップさんなどにお声がけしながら、徐々に盛り上げていたらいつの間にかここまで大きくなっていたと。京都に店に構えて来年で50周年とはいえ、ぼくらも地元の人からしたらよそ者に過ぎない。ですから、初心を忘れることなく、商店街の方々と積極的にコミュニケーションを図りながら徐々に信頼を獲得していきました。次の代へと引き継ぎ、第一線を退いてはいますが、今後も単なるアパレルショップではなく、何かしら街に貢献できる存在でありたいと願っていますね」

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2nd 編集部
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