あらゆるタイトルをフラットに観られる世代、昭和50年男のアニメ私観

  • 2024.06.03

アニメーションの多様化の歩みと合わせるように齢を重ねてきた昭和50年男。幼少期から青年期にかけて発表されていた数々の名作に、リアルタイムでどのように接してきたのか。キャラクターや物語に注目してアニメ作品に絶えず触れてきた作家、さやわかがこの世代のアニメ体験を振り返る。

『ジャンプ』アニメの嚆矢『Dr.スランプ アラレちゃん』

さやわか|昭和49年、北海道生まれ。ライター、物語評論家として『ユリイカ』などの雑誌に執筆。著書に『キャラの思考法 現代文化論のアップグレード』『世界を物語として生きるために』など

昭和50年男にとって、アニメは常に身近にあるものだった。家に帰ってテレビをつければ、そこにはオレたちのヒーローやヒロインがいて、心躍る物語があった。それは、我々と同世代である昭和49年生まれの作家、さやわかにとっても同じだった。

「僕にとって、アニメはすごく大事なカルチャーだったんです」

現在、物語評論家、マンガ原作者、そしてサブカルチャー全般を語るライターなど幅広く活躍する男にとって、アニメの入り口はどこだったのだろうか。彼の思い出から、”オレたちのアニメ”の歴史を追体験していくことにしよう。

「以前、ゲーム雑誌の記事(昭和50年男2023年9月号)でもお話ししたと思うんですが、家が厳しかったんですよ。ゲームはゲーム&ウオッチのやりすぎで買ってもらえなくなってしまいましたしね(笑)。その頃、『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)のマンガに出会いまして、『コロコロコミック』や単行本を買ってもらっていました。幼稚園生でしたね。それでアニメ化された『ドラえもん』を観て…」

ドラえもん』(’79~’05)|昭和50年男が幼少期に観ていたのが、ドラえもんを大山のぶ代が演じたテレビ朝日系放送だろう。藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』(小学館)は電子版も配信中 https://www.shogakukan.co.jp/pr/fzenshu/ ©藤子プロ・小学館 ©藤子プロ・藤子スタジオ

『コロコロコミック』は77年創刊、79年4月から現在同様に月刊化された。これはテレビ朝日系でアニメ化された『ドラえもん』に合わせたものだった。
折しも70年代後半は『宇宙戦艦ヤマト』以降のアニメブームが起こり、テレビで放送される作品数が増加しつつあった。

「少しして『Dr.スランプ』(鳥山明)の単行本を買ってもらいましてね。忘れもしない、3巻です。おもしろくて、さらにさかのぼって読むようになって、そこから『週刊少年ジャンプ』も読むようになったんです。ただ、『Dr.スランプ』がウンチとか出てくるから下品だというので親からマンガを禁止されて。それからは必死に店頭の雑誌を立ち読みしまくるようになりました(笑)」

『 スランプ』3巻が発売されたのが80年12月、翌年の4月からは『Dr.スランプ アラレちゃん』としてフジテレビ系でアニメ化されることになる。

「いろいろ禁止されたんですけど、テレビだけは自由だった。『Dr.スランプ』もアニメなら何も言われず観ることができたんです」

『〜アラレちゃん』は81年12月16日の放送で36.9%という脅威の視聴率を獲得、これ以後『ジャンプ』作品は々アニメ化されていくことになる。

「人気マンガが必ずアニメになって、その相乗効果でみんな学校で話題になる時代でしたよね。だから僕には、テレビアニメしかなかったんですよ(笑)」

再放送から入った『機動戦士ガンダム』

我々の世代は、リアルタイム以前のアニメも、再放送で享受できた、ある意味贅沢な世代だった。

「僕も70年代の人気作品は再放送で押さえていました。北海道にいた頃は小学生でしたから、『ハクション大魔王』(本放送:69〜70年)や『一休さん』(本放送:75〜80年)といったキャラクターの立った作品が好きでした。あと、後に関西にもいたことがあるんですけど、『ルパン三世』は日曜のお昼からの再放送だったんですよ。関東の人に聞くと、だいたい夕方の帯で流れていたというので、そのあたりは地方によって感覚が違っていると思いますね(笑)」

そして、我々の世代が再放送で直撃されたテレビアニメと言えば、『機動戦士ガンダム』だった。最初の放送は79〜80年、当初は視聴率に苦しんだと言われており、後に本来のターゲットよりやや上の中高生のファンを中心に再放送の要望が上がり、放送を重ねる度に視聴率が上がり、81年には劇場映画『機動戦士ガンダム』が公開され、人気の波が徐々に大きくなっていった作品だった。

「70年代生まれは、いわゆる”オタク第二世代”と言われますが、ここにも幅があるじゃないですか。たとえば『宇宙戦艦ヤマト』もオタク第二世代の作品とされるのですが、僕たちの年齢の人間には、あまりピンとこないと思うんですよ」

そう、『宇宙戦艦ヤマト』も74年からの初回放送では人気が伸びなかったが、コアなファンがついて再放送、そして77年に劇場版が公開されるに至り、社会現象化していった作品だ。つまり、昭和50年男がアニメにハマるちょっと前の話なのだ。

「『ヤマト』以降に、松本零士ブームというか、『宇宙海賊キャプテンハーロック』があって、『銀河鉄道999』も劇場版で盛り上がりましたけど、僕たちにはちょっと上の作品なんですよね。 だけど『ガンダム』の再放送は、もともとその前から『超電磁マシーン ボルテスV』(77〜78年) とかを皮切りに、”ロボットかっけー”な脳になっている子供たちを直撃した(笑)。…まぁ、 厳密に言うと、僕たちはガンプラの世代なんだと思うんですよ」

ガンダムのプラモデル=ガンプラが発売されたのは、放送終了後の80年。前述のように尻上がりな作品人気の上昇とともに、またマンガ誌『コミックボンボン』などで大きく取り上げられたこともあり、81年頃には品切れ店も続出したという。

「個人的に収集癖はそこまでなかったんですが、ガンプラ以外にも、『ガンダム』のメンコを集めましたね。あれを『白い恋人』の缶に入れてしまっていました(笑)。そういった周辺の文化をひっくるめて、再放送でも『ガンダム』は僕たちの世代の作品だったと感じるんでしょう」

思春期のアニメ離れvs.アニメ誌での情報収集

「先ほどもお話ししたとおり、とにかく本屋さんでマンガ雑誌の立ち読みをしていたんですね(笑)。それと同時に、アニメ雑誌も読むようになって、積極的に情報を取り入れるようになっていきました。小学校の高学年くらいでしたか。この頃から自覚的にアニメを観るようになっていったんだと思います」

この頃、本屋に行くと数々のアニメ雑誌が並んでいた。78年に『宇宙戦艦ヤマト』の人気に合わせて『アニメージュ』(徳間書店)が創刊された。81年には学習研究社(現・Gakken) の『アニメディア』、85年には角川書店(現・KADOKAWA)の『月刊ニュータイプ』という現在も続く大判のアニメ雑誌が創刊されている。

『月刊ニュータイプ』 (’85〜/KADOKAWA)|大判のアニメビジュアル誌(音楽、映画などの記事もあった)。『機動戦士Ζガンダム』(’85〜’86) の放送開始と同時期に創刊されたため、表紙、特集と『Zガンダム』一色

「アニメのグラビア的な役割を果たした大判の雑誌でも、たとえば『アニメディア』とかは投稿ページにもページを多く割いていて、思い返すと結構遠慮のない意見が書いてあるんですよね。”このアニメのラストには納得いかない”みたいな」

『月刊OUT』(みのり書房/77年創刊)『ふぁんろ〜ど(ファンロード)』(ラポート他/80年創刊)といった、常連投稿者がプロになるような雑誌もあった。

「僕らにとっては、ちょっと上の世代のお兄さんお姉さんが交流している印象でした。二次創作が盛んになる時期だったんですが、子供の僕には、まだわからなかったですね。何せ、『ドラえもん百科』(片倉陽二)で”藤子先生の絵じゃない!”って言ってた頃でしたから(笑)」

こうしてさやわかは、オタク心が熟成されていく思春期に差しかかる。

「僕はそのままアニメ雑誌を読み続けていたからわからなかったんですが、中学生になると、周りがアニメを観なくなっていくんですよね」

確かに、我々の世代では、多くの中坊はこの時期に一旦アニメを卒業する風潮があった。

「急に『とんねるずのみなさんのおかげです』(88年〜)がいいだとか、『シティーハンター』(87年〜)でもアニメの内容じゃなくエンディングのTM NETWORKの話をしていたりして…中学2年生くらいになると、周りはみんなアニメから離れていっちゃったんですよね」

 

思春期にアニメから離れていく友人たちを見て、さやわかは 「こんなにおもしろいのに、なんで観ないんだろう」とひとりつぶやいていた。この時期、特に夢中になって観ていた作品があるという。

「『魔神英雄伝ワタル』(88〜89年)ですね。個人的な趣味としても、アニメ史的にも絶対に外せない作品です」

3等身ほどにデフォルメされたキャラクターやロボットが活躍するファンタジー作品だ。

「それ以前にガシャポンから始まるSDガンダム(85年〜)のフォルムが好きだったんです。『ワタル』では、デフォルメされたロボットに乗ってガンガン動かすんですよ。その動きに感動しましたね」

さらに、RPG的な要素もひとつの魅力だったという。

「虹の色を取り戻すために山へ登っていくというストーリーは、ゲーム世代にとって親しみやすい構成で、試練となるひとつひとつのステージが凝ったつくりで、惹かれましたね。あとはもちろん、ワタルをはじめとするキャラクターの魅力も大きかったと思います」

キャラクターデザインは芦田豊雄。『銀河漂流バイファム』(83〜84年)などのキャラクターデザインや、『北斗の拳』(84〜87年)のシリーズディレクターなどを務めた。

「芦田さんのパキっとした塗り方は、最終的に鳥山 明に影響を与えているんですよね。鳥山さんが原作・脚本で、芦田さんが監督したOVA『小助さま力丸さま -コンペイ島の竜-』(88年)でタッグを組んだ時に、塗りを教わったと言うんですから。それくらい多方面に大きな影響を及ぼした作品なんです」

それまでアニメ誌を立ち読みしていたさやわかだったが、この頃から毎号『ニュータイプ』を買うようになったという。

「各アニメのあらすじや、スタッフが載っている欄をむさぼるように読んで、情報を得ていました。このあたりから誰が作っているのか、というスタッフを意識して観るようになりました。『ミスター味っ子』(87〜89年) で”うま〜い!”を撮っている監督は、今川(泰宏)さんと言うんだ、とかね。後に『ジャイアントロボ THE ANIMATION – 地球が静止する日』(92〜98年/OVA)で名前を見て驚くという(笑)」

こうして、一人の立派なマニアができ上がっていく。

「系列の単行本『ニュータイプ100%コミックス』が盛り上がっていて、別冊付録も盛んだった頃だったんですよね」

その別冊付録で出会った作品に、さやわか少年が大きな影響を与えられる。『機動警察パトレイバー』だ。

「もともと、ゆうきまさみさんが架空の企画を立てる”企画ごっこ”をしていたところから始まった作品なんですよね。そこからアニメにするには脚本や各種デザイン、プロデューサーや監督、いろんな人材が必要になる…という、アニメの作り方というものを知ったのは『パトレイバー』からでした」

ゆうき原案の企画に、メカニックデザインの出渕 裕が加わり、 脚本家の伊藤和典、キャラクターデザインの高田明美…と仲間が集まっていき、最終的に監督の押井 守が加わった「ヘッドギア」が”原作”としてクレジットされている。

マンガ版をゆうきまさみが88年から『週刊少年サンデー』に連載、少し遅れてアニメ版がOVAとして作られた。 「あの頃、OVAのセル価格が1万円を超えるものも多かったですよね。そのなかでセルを4800円にして、レンタルショップにも大量に流通した。その功績も大きいと思います」

OVAの流れで、劇場版も制作される。

「もちろん、リアルタイムで観ました。映画(『機動警察パトレイバー the Movie』、89年7月公開)も前売りを買って観に行きました。テレビシリーズになればいいのに、と思っていたら、すぐに『〜ONTELEVISION』(89年10月〜90年9月)が始まったのを覚えています」

『パトレイバー』の独自性は、 警察の業務用レイバーが社会に 溶け込んでいる世界という発想 にもあっただろう。 「僕が熱中したのも、もともと 作業車みたいなものが好きだったのもあったんでしょうね。最 初に買ったガンプラもビグロで したし。それはともかくとして(笑)、ロボットアニメのターニ ングポイントだと思うんですよ。80年代までのロボットアニメの隆盛期が終わって、実現しそうなリアリティを取り入れたのが『パトレイバー』だった」

けれど、とさやわかは続ける。

「それとは逆に、ある種荒唐無稽で起こりえないシチュエーションだけれど、どこか人間の心理に届くような作品を作れるのもロボットアニメのいいところだと思うんです。90年代に入ってからの作品では、『機動武闘伝Gガンダム』(94〜95年)がその一例だと思います」

総監督は『ミスター味っ子』を手がけた前出の今川泰宏だ。地球の各コロニー国家が持ち寄るモビルファイターを戦わせる大会「ガンダムファイト」によって覇権を争う世界。ロボットバトルの一方で、地球を滅亡に追いやるデビルガンダムを我がものにしようとする権力者たち、振り回されながらもそれに抗おうとする若者たちの姿を描く。

「『Gガンダム』は子供向けのパッケージなんですが、大人も楽しめて、最終的には感動がある。物語がもつ根源的なパワーをもったロボットアニメだったんですよ」

アニメが変わった『新世紀エヴァンゲリオン』

そして、95年に社会現象となるロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(〜96年)が登場する。監督は『トップをねらえ!』(88〜89年/OVA)、『不思議の海のナディア』(90〜91年)を手がけてきた庵野秀明だ。

「テレビシリーズの『エヴァン ゲリオン』は、従来のロボットアニメがやってきた!ロボットアニメ”らしい描写を徹底的にやったんだと思うんですよ。それが次回予告でミサトさんが言う”サービス、サービスぅ”って言葉に表れていると思うんです」

そう、24話までは。最終2話、ロボット同士のバトルシーンはなくなり、シンジの精神世界が描かれる。それまで宗教や哲学、生物学などの専門用語によってつむがれてきた謎は、謎のまま終わりを告げるのだ。

「僕はちょうど就職したばかりで関西にいて、リアルタイムで観てはいませんでした。流通系の仕事に就いたので、研修でレンタルビデオ屋に入ったんです。ちょうど『エヴァ』のビデオが3巻くらいまで出た頃だったんですが、常に貸し出し中。これはまずいと、フィルムブックを買って一生懸命追いかけ始めました(笑)」

『エヴァ』の衝撃は、ビデオ、再放送などを通じて大きな広がりを見せ、空前の社会現象となった。それに伴いフィルムブックから謎本など、さまざまな書籍も登場した。

「日本でブームになる作品って、『ヤマト』の昔から口コミの量で広がっているんですよね。SNSなどに手段は変わっても」

『新世紀エヴァンゲリオン』(’95〜’96)のブームは、出版界にも大きな影響を与えた。フィルムブック、マンガ版のみならず、『スタジオ・ボイス』などのカルチャー誌、果ては非公式の謎本なども多数発売され、それぞれが大ヒットを記録した 撮影:小林岳夫

とはいえ、『エヴァ』で大きく変わったことがひとつあるという。

「『エヴァ』以降、間違いなくアニメの観方、作り方、両方とも変わったと言えると思います」

まずは、観る側の変容だ。

「特に『エヴァ』は謎が多かったので、ビデオで繰り返し繰り返し観るようになった。一時停止して”ここではどんなことが描かれているんだろう”ということを確かめたりもする。それまでは熱心なアニメファンがやっていた行為が、一般的なものになった」

そして、作り手側にも影響があったと指摘する。

「いわゆるセカイ系的な物語の内容や。キャラクターデザインといった部分の影響もありましたが…」作中にある謎を、観ている側に対して読み解かせるような話作りをする作品が増えたと思います。簡単に言えば、”このアニメは何かをやってくるから慎重に観なきゃ”と思わせるような作りということです」

受容の変化は、00年代に入り、DVD、ハードディスクレコーダーといった映像のデジタル化でさらに深まっていった感がある。

「もうひとつ付け加えるなら、そういった知識がインターネットを通じて共有されていったところも大きいでしょうね」

リメイク、リブートのしあわせなかたち

時を経てーー近年、過去の名作をリメイク、リブートするという例が増えている。

「人口の多い団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアといった世代に向けた作品が増えてくるというのは、ある意味ビジネスの面で見たら当然のことでもあるんでしょう」

そういったなかで、数々の話題作が生まれている。

近年のテレビシリーズでは『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(20〜22年)は評判がよかったですよね」

『〜ダイの大冒険』は、ゲーム『ドラゴンクエスト』の世界観を モチーフに、89年から三条 陸(原作)・稲田浩司(作画)が約7年にわたって『週刊少年ジャンプ』に連載したマンガが原作。91年にアニメ化されているが、惜しまれつつ1年で放送終了。最新版では当時の視聴者が観たかった、その先の物語までていねいに描かれている。

「同じ『ジャンプ』作品だと、原作者の井上雄彦さん自身が監督した映画『THE FIRST SLAM DUNK』(22年)が ありましたね」

『SLAM DUNK』は90〜96年に『ジャンプ』で連載されたメガヒット作品。アニメ(93〜96年)も4度劇場版が作られ るなど、ファンの多い作品だった。だが、『THE FIRST SLAM DUNK』では、以前のアニメ版にない山王工業戦を、宮城リョータを主人公に、新たな試みを詰め込んだ作品となっている。

「結果的に昔のアニメを観ていた人も完全な山王戦が観られたと喜んで、過去を知らない人も劇場に足を運んでいる。リブート作品の幸せな例だと言えるでしょうね。ただ同時に、アニメの技術は日々向上しているので、”リブートするにしても『THE FIRST SLAM DUNK』くらいやらないと”というハードルの高さも感じられる一本だったと思います」

『SLAM DUNK』(’90〜’96)|説明不要のバスケットボールマンガの金字塔。原作者の井上雄彦が監督・脚本を手がけた『THE FIRST SLAM DUNK』が2022年12月に上映され、国内外で大ヒットを飛ばしている。写真は『SLAM DUNK 新装再編版』 (井上雄彦/集英社) ©井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

リメイクやリブートで、懐かしい作品が映像化される際、どうしてもオリジナル信仰のようなものがつきまとう。原作のまま、昔のまま…というやつだ。

「もちろん、原作にパワーがあるなら、今の技術で完璧にアニメ化できる、という感覚はあると思うんですよ。でも、結果的にリメイクやリブートが成功する作品って、キャラクターがもっている芯の部分を作り手側が抽出しながら、その時代に合ったアップデートをきちんと施しているものなんですね」

そのアップデート感を強く感じたのは、世界的にヒットした『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(23年)だという。当然、あのゲーム『スーパーマリオ』シリーズを原作とした日本・アメリカ合作のアニメ映画である。 「ファミコンのゲームのイメージから言えば、ピーチ姫って、クッパにトロフィーワイフとしてさらわれて、マリオに助けてもらう…という感覚がありますよね。でも、この映画では、ピーチ姫がめちゃくちゃ抗戦するんです(笑)」

大魔王クッパを迎え撃とうとしたり、ドンキーコングのいるジャングル王国と手を組もうとしたり、「キノコ王国の平和を守りたい」というピーチ姫の”芯の部分”をピックアップした結果、たまたま現代の理想の女性像とマッチしたと言えるだろう。

「これまで40年近くにわたって培われてきた『スーパーマリオ』の世界に、ぽつぽつと断片的な情報として置かれていたものを、現代という時代のなかで一本にまとめた結果だと思います。単に表層的な感覚だけで『スーパーマリオ』を作っていたら、これだけおもしろく、世界的なヒット作にならなかったかもしれないですよね」

まさに”エンターテイメントは時代を映す鏡”。これまで我々を通り過ぎたアニメも、その時代を映してきたのである。

※情報は取材当時のものです。

(出典/「昭和50年男 2023年7月号 Vol.023」)

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