日本中を駆け巡ったポール逮捕のニュース
それは1980年1月16日のこと。時間まで記せば夕方6時頃。なぜ、具体的な日時まで覚えているのかというと、その時間にポール・マッカートニーの逮捕がテレビのニュース番組で報じられたからである。自らのバンド、ウイングスを率いて公演のために来日したものの、成田空港の税関で大麻所持の現行犯で逮捕、警視庁に連行されたのち、9日間拘留されるという一大事があったのだ。
いつも観ているニュース番組で大きく取り上げられたこの事件。なんだ、この騒動は? と思い興味本位で見ていると、その主役がビートルズの元メンバーで、その映像のバックに流れるビートルズやウイングスの曲を歌っているポール・マッカートニーという人間と知り、身体の中に電気が走った。なんてかっこいいんだろう。冷静に見れば、犯罪者なのだが、その飄々とした感じ、これぞイギリス人というジェントリーな振る舞いに心打たれた。目、耳、そして全身の毛穴でポール・マッカートニーを受け入れたというのか。「初めて自分のアイドル」を見つけた気持ちになった。
以降10日間くらい、メディアではポールを巡って上を下への大騒ぎとなったのだが、テレビやラジオで情報を収集していくうちに、ポール熱に浮かされ、もっと知りたい、全部知りたいと言う気持ちが高まっていく。ネットがない環境下ゆえ、簡単に音楽が聴けるわけでも、写真を拝めるわけでもない。ラジオでビートルズ特集を見つけては曲を聞き、録音し、近所のレコード屋に出かけては、買わずにレコードを見るという行為を繰り返した。ポール以外のメンバーの顔と名前がいまいち一致しないが、それまでは野球とか、マンガとか、アイドルが出る歌番組とかにしか今日にのなかった自分が、ビートルズ一色の毎日になっていく。
そして、3ヵ月くらい経った頃、中2になったタイミングでようやくレコードを買うに至る。最初に買ったレコードはビートルズの『ヘルプ!』。「イエスタデイ」が入っているという明快な理由で、親ウケを気にしての選盤だった。江東区南砂町トピレックプラザ内にあったイトーヨーカドーの新星堂だったと記憶。
期待外れだった『ヘルプ!』
やっと買ったレコードなのに、このアルバムはどこか地味で、期待していたビートルズとは違った印象。「イエスタデイ」以外はたいしてはまる曲はなく、その次の「ディジー・ミス・リジー」の曲調、音質、音圧のギャップに毎回驚いた程度。『ヘルプ!』は映画のサントラなので、映画を観ないではその醍醐味も半減だったのかもしれない。それでもせっかくなけなしの小遣いで買ったレコードなので、学校に帰ってから毎日通しで聞くというルーティンを続けていると、不思議と耳に馴染みだした。
「アナザー・ガール」っていいよね。「涙の乗車券」の最後がかっこいいね、「夢の人」っていいタイトルだよね等々。それから間もなくして、今度はポールのニューアルバム『マッカートニーⅡ』がリリースされた。それは西大島にあったダイエーで購入。リアルタイムでポールの新作が聴けることに興奮するも、テクノ要素を用いた実験色の強い内容に戸惑いを隠せず、『ヘルプ!』同様、毎日修行のようにレコードを聴くことに。実際、当時の音楽雑誌や音楽評論家の間でも好評を得ることはなく、ポールのキャリアで最大の問題作とされていた。それでも、「カミング・アップ」のビデオ(ポールがひとり10役を演じているユニークな映像)をテレビ神奈川(tvk)の『ファンキートマト』で見るにつけ、徐々に好きになっていくのだが。
自己探求心に目覚めた少年の異常なビートルズ熱
この当時、ビートルズ関連のレコードを出していた東芝EMIは、販促方法として、ポスタープレゼントを積極的にやっていて、『ヘルプ!』『マッカートニーⅡ』を買ったとき、レコード屋でビートルズとウイングスのポスターをもらった。それがなんともうれしく、「レコードを買うとポスターがもらえる」という自分の中の方程式が出来上がり、レコードを買う楽しみができた。早速、ポスターを部屋の壁に貼り、音楽と一緒にビートルズのルックスに魅了される生活を送るのだった。与えられのではなく、自分自身のセンスで好きになったビートルズ。当時13歳という背伸びをしたいざかりで、自己探求に目覚めた少年にとっては、のめり込むには十分な対象であった。
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