ブルックリンで出会ったタコスとブリトーと。
NY、マンハッタン島からブロードウェイを下る。橋を渡ってブルックリンに入るとすぐ洒落たカフェやレストランが集まるエリア、ウィリアムズバーグにたどり着く。その端っこにあるヒューズストリート駅の近くに、添田健介さんは5年ほど住んでいたという。
「いかにもブルックリンって感じの天井の高い殺風景な部屋に何人かのルームメイトといました。最初の頃に歓迎パーティで振る舞われたのがタコスやブリトーだったんですよね。忘れられなくって」
脂でほろほろに豚肉を煮込んだカルニタスのあの独特の食感。絞ったライムの爽快感。そいつをヒップホップの鳴る元倉庫で嗜む静かな興奮。その記憶。
同じような味と雰囲気を添田さんは今、東京・恵比寿で提供している。NYにあるようなちょっとぶっきらぼうなタコス店。店の名を『440ブロードウェイ』という。思い出の地からつけた。
「住んでいた部屋の住所を店名にしたんですよ。ここでタコスに出会っていなかったら、今も美容師をしていたかもしれませんから」
そう、添田さんはNYで働く美容師からタコス店オーナーになった。なかなかにスパイスの効いた経歴を持つ人物だ。
「まあ美容師をしたくてNYに渡ったわけじゃないんですけどね」
カリスマを目指して、代官山のサロンに入った。
『カッコいい仕事に就きたい』 実にシンプルな理由で選んだ職業が美容師だった。仕方がない。1982年生まれ。高校卒業直前、ちょうど木村拓哉の『ビューティフル・ライフ』が放映され、カリスマ美容師ブームが絶頂だった。
「地元の八王子から新宿の美容専門学校まで通いました。それまでは地元の友人とただただ遊んで過ごしていたけど。時間を取り戻すかのように学んで、寝る間も惜しんでウィッグを巻いてました」
努力は実る。卒業後は代官山の人気サロンに就職。3年で早くもスタイリストとして独り立ちした。その後すぐ同じく代官山のサロンへ移籍。芸能人やファッション業界人が多く出入りするような感度の高い店に入った。
「単価も高く、とがったオーダーも多かったので緊張感がありました。ただ何より刺激的だったのは店で交わされる会話でしたね」
『いまNYでこんなファッションが流行っている』『カリフォルニアにこんなレストランができた』
当然のように感化された。
「海外に行きたいってより、なにか別のことがしたくなってきて」
当時25歳。すでに多くの常連客を持ち、独立しようと思えば店を立ち上げられた。ただゴールが見えるのがつまらない気もした。
「美容室って日本に25万軒くらいある。6万軒ないコンビニよりずっと多いんです。そんな完成された大きな市場に、ただ飛び込むのってどうかなと思い始めた。新しいなにか、もっとカッコいい仕事がしたいと思ったんですよね」
美容師ではない別のカッコいい仕事は何か。見えなかったので、探しにいくことにした。どこに? もちろんNYだ。
「ファッションでもビジネスもアメリカで火がついたものが遅れて日本に、って流れがやっぱりあった。新しい何かを見つけるならアメリカ、中でもNYだと思って」
日本通ニューヨーカーの「アレだけがない」の声。
英語もできない。向こうに友人もいない。ただ行動力があった。2008年、添田さんは貯金を片手にまず渡米。サロンのオーナーのツテを辿ってイーストヴィレッジにある日本人オーナーが経営しているヘアサロンに入った。
「あくまで次のビジネスを見つけるためにNYに渡り、手段として美容師の資格が活きたわけです」
もともと腕前は文句なし。仕事は意外とスムーズにできた。
「美容師にかぎらず、NYのプロフェッショナルって『コンフィデンス(自信)』って言葉をよく使う。堂々と自分の腕に自信を持って振る舞うのがプロだって。かっこいいですよね。自分もそんな意識を持つようになってましたね」
住まいは先述したブルックリンのイカしたアパート。タコスで歓迎してくれたルームメイトたちも最高だった。もっとも美容師として成功するために来た街じゃない。サロンの仕事後や休日は、NY中の話題の店を視察した。ウエストヴィレッジにできたらチョップドサラダの店、ヘルズキッチンにできたシーフードレストラン。少しずつ増えた友人たちと遊びに行き、味と雰囲気を見た。気がつけば「自分がやるなら飲食業だな」と思い始めた。
「NYの飲食店って食堂だろうが、星付きのフレンチだろうが個性があって渋い。母親がずっと飲食業をしていたことも影響したかな」
そしてタコス店にたどり着く。NYのみならずアメリカ全土にはやたらとテックスメックス(メキシコ風アメリカ料理)の店が多かった。日本におけるラーメンのようにルーツは隣国でも、国民食として根付いていると感じた。
「そういう普通の食事を提供したかった。しかもレシピができてしまえば調理は難しくない。誰でも再現性が高いのも魅力だなと。あと大きかったのが、サロンのお客さんから聞いた一言でした」
頻繁に日本に出張に行くニューヨーカーがよくこう言っていた。『東京は美味しいバーガーの店やピザを食べさせる店が増えたよね。ただタコスやブリトー、メキシカンだけ本物がないんだよ』。それなら自分がアメリカらしいタコス店をやってやろう! “新しい何か”を見つけた瞬間だった。
決めた後は自分の味を探し求めた。友人が振る舞ってくれたあのタコス。何度も通った人気店のブリトー。ロックアウェイビーチで夏場だけ出るタコトラックのフィッシュタコス。美味いと感じたタコスをなぞりつつ自分のレシピを研究。試作してルームメイトに振る舞う試食会で味を磨いた。そしてレシピができたタイミングで帰国した。
「それが2013年、4年半ぶりの日本でした。アメリカのようなタコス店を作るために帰った」
昼見た顔を夕方また見る。アメリカ人が唸った味。
最初はキッチンカーからはじめた。店を出すより資金がかからない。それもあったが、アメリカではキッチンカー=タコトラックと呼ぶほど、タコス店は移動販売こそがスタンダードだったからだ。場所は広尾。在日外国人が多く集まるインターナショナルスーパーマーケット前と決めていた。NYで温めていたアイデアだった。
「イーストヴィレッジに日本食ばかり置いたスーパーがあって、そこによく行っていた。そしていつも思っていたんですよ。『ココにラーメンの屋台出したらめちゃくちゃ儲かるだろうな』って」
懐かしいあの味を求めてくる外国人の眼の前に、出来たてのソウルフードを食べさせるキッチンカーがあればたまらない。絶対頼む。強く実感していたわけだ。行動力をここでも発揮。キッチンカーもまだないのにアポをとり、広尾のスーパーに「店前でタコスを売らせて欲しい」と直談判した。
そして1年後、軽トラックを改造したキッチンカーとともに添田さんはタコス店をスタートする。『440ブロードウェイ』は、こうしてクルマ一台から始まった。
「初日は心配で心配で仕方なく、ものすごく緊張しましたね」
心配は稀有に終わった。オープン当日から大勢のお客さんがタコスやブリトーを求めて並んだ。狙い通り、スーパーに訪れた外国人が半分以上。中には「好物だったカリフォルニアのブリトーと比べてやるよ」なんて笑顔で挑発してくるお客さんも。痛快なのは、彼のその後の反応だ。
「テイクアウトのランチに来たお客さんでした。ところが、夕方にまた来てくれたんですよ」
親指をあげながら「最高。夕食もブリトーにするよ」と言われた。その後、あまりに忙しくなると中学時代の友人であるサトシさんとミサトさんに声をかけ、手伝ってもらうように。3年後の2019年には恵比寿の今の場所に店舗も構えはじめた。今や「東京でうまいタコスといえば」と周囲はもちろん遠方から人が来る店だ。さらに某大手企業と『440ブロードウェイ』の冷凍ブリトーの製造販売の計画も進行中らしい。
「どこまでいけるかわからないですけどね。やれるところまでやっていきたい。お客さんのために、何よりも店の仲間のためにもね」
自信アリな顔で言った。コンフィデンス。確かにかっこいいな。
【DATA】
440 ブロードウェイ・タコショップ
東京都渋谷区恵比寿1-25-3 レジデンサプリマベェラァ201
TEL03-6356-9267
営業/11:00〜21:00
休み/なし
https://www.440broadway.com
※情報は取材当時のものです。
(出典/「Lightning2023年3月号 Vol.347」)
Text/K.Hakoda 箱田高樹(カデナクリエイト) Photo/S.Kai 甲斐俊一郎