(写真中央)谷村有美/たにむらゆみ|シンガーソングライター。ピアノを駆使し叩くように演奏するライブには定評がある。エッセイ、特にラジオ・FMプログラムでのDJとしての実績も多数
(写真左)横内伸吾/よこうちしんご|昭和30年、富山県生まれ。2ndアルバム『Face』から谷村有美のプロデュースを担当した。他に手がけたアーティストに、五輪真弓、区麗情などがいる
(写真右)西脇辰弥/にしわきたつや|昭和39年、愛知県生まれ。1987年に音楽ユニットPAZZのメンバー(キーボード)としてデビュー。88年からは音楽プロデューサー、作曲家、編曲家として活躍している
西脇作品はデモの段階から最終的な世界観が表現されていた
アイドル冬の時代と称された1990年代初頭、それに代わる勢力となったのが女性シンガーソングライターやボーカリストたち。92年の『GiRLPOP』誌発刊も契機となり、国内音楽シーンにおいてはガールポップムーブメントが席巻することになる。そのけん引役として活躍した一人が谷村有美だ。
93年リリースの名盤『愛する人へ〜A MON COEUR〜』以後、自身の作詞作曲プロデュース路線が定着するが、その手前に発表された『PRISM』『愛は元気です。』といった作品群は今もファンから絶大な支持を集めている。
コンポーザー、アレンジャーでありマルチプレイヤーの西脇辰弥との黄金タッグで生まれた、クロスオーバーやAOR、ワールドミュージックのテイストも融合した強烈な音楽性に、筆者自身も当時とてつもない衝撃を受けた。その実現に尽力したのが、当時CBS・ソニーのディレクターだった横内伸吾である。
シティポップブームの追い風もあり谷村有美の再評価が高まるなか、ソニーミュージック・レーベルズにて「Tonight /HALF MOON」の7インチアナログレコード化が決定。「HALFMOON」は3人で制作した楽曲だ。それぞれの親交は現在に至るまで続いているというものの、そろって会うのは十数年振り。3人に今も鮮烈な記憶として残る当時の濃密な制作創作エピソードに耳を傾けてみたい。
作曲者冥利に尽きる要素が有美ちゃんの声にあった
―3人の出会いは?
横内 谷村さんが所属されていたハートランドの当時社長だった(『BELIEVE IN』などのプロデュースも手がけた)春名源基さんからお話をいただいたんですよね。
谷村 オーディションで優勝して、大村雅朗さんプロデュースでデビューアルバムを作らせていただいて。で、2nd『Face』のレコーディングに入る時に横内さんが担当になられて、「大村さんや大御所の方たちのすばらしさはわかった。次は谷村有美と世代が近い、今絶対に“すごい人”たちを集めたから」とおっしゃって。その筆頭でいらしたのが西脇さんでした。
横内 僕は『BANANAFISH』(※1)以後のPAZZを担当してたんです。西脇さんの才能を間近で見る機会があって、谷村さんを担当する時は西脇さんに絶対に参加してもらうと思ったわけです。「曲書かないの?」って話をしたら「書いてますよ」と。
西脇 多重録音マニアだったので十代の頃から書き溜めていたデモ音源が結構な数がありました。横内さんに聴いていただいたなかから、「かもめのように」と「朝は朝 嘘は嘘」が選ばれました。それまではインストや実験ばかりやっていたんですけど、「やっぱり歌を作らなきゃな」って19歳の時に初めて作った歌の曲が「かもめのように」だったんです。
横内 西脇さんが名古屋から上京した日は忘れもしない。いきなりショルダーキーボードを持ってきて。
西脇 PAZZのオーディションでは、自分でマイナスワン(※2)の音源を作って、それを流しながらキーボードを弾いて。昔のショルダーキーボードは音源が内蔵されてなかったから、ヤマハ・DX7をスタジオで用意してもらってMIDIでつないで。歪ませるためにプロコ・RAT(ギター用エフェクターのディストーション)も持っていって。オーディションのために用意したのはその二つ。高校生の頃からシンセを歪ませて、ピッチベンドを使ってギターっぽくやるのが好きだったの。
谷村 誰に習うわけでも弦にするでもなく、鍵盤であのギターソロをやろうと思ったんですよね?
西脇 当時の『キーボード・マガジン』に「ヤン・ハマーはギタリストを食いかねない演奏をシンセでする」と書いてあった記事にインスパイアされて。
―「朝は朝 嘘は嘘」を初めて聴いた時は衝撃的でした。
谷村 あの曲は人気でした。それこそ南野陽子さんからもこの曲が好きなんですというお手紙をいただいたこともありました。
横内 デモテープのなかで輝いてたね。私も「これだ!」と思った。谷村さんなら高い声が出るから大丈夫だろうと、相当キツめのキーだったけども。予想どおりの出来栄えになりました。
西脇 偶然ですけど、僕が作った時のキーが最適解だったんですよ。
谷村 私はもともとピアノばかり弾いていて、フュージョンバンドかピアノでデビューしたかったんです。だけど「ピアノじゃ食えないよ。歌うべきだよ」と言われて、「歌ね」と思ったものの自分の曲を歌うなんて考えていなかったですし。「予感-I’mReady to love-」(『BELIEVEIN』収録)では「本当にこれ歌うの!?」みたいなキーですけど。『Face』での西脇さんのメロディはそれ以上のすごいキーなのに歌に合うというか。あのイントロをイメージして「♪霧雨の日曜日ブランチを食べにゆこう」と歌い出した瞬間からあの世界観ができましたね。
西脇 確かDX7のハーモニカの音でメロディを入れてたかもしれないですね。
谷村 そんな感じの音でした。歌入りを聴いてどうでした? 違和感はなかったですか?
西脇 全然なかったし「いいのができた!」と思った。作品を作っていくなかで、有美ちゃんの声はシンガーとしてのエゴがないというか、「この人に歌ってもらったら自分の作ったメロディをダイレクトにサウンドしてくれるのでは!?」と思っていましたね。有美ちゃんの声には楽器的なところもあるでしょう? コーラスで重なってもすごく活きるし。作曲者冥利に尽きる要素が有美ちゃんの声にいっぱいあったと思ってます。
横内 西脇さんの作品はデモの段階から最終的な世界観が表現されているんですよ。「谷村さんの声が乗ったらどんな風になるのかな!?」というイメージをふくらませて、これしかないという感じで進めていたので。その辺の迷いはなかったですよ。
―有美さんはデビュー時からすべて自作曲でやることを目標にしていたのですか?
谷村 ハートランドの春名さんの第一声が「これからの時代はシンガーソングライター“やから” 」と。曲を書くことが課せられたけど、インストゥルメンタルばかり聴いてきたので、本当に歌ものを知らなくて。後追いで学んでいって「あ、こんな世界があるんだ!」と夢中になっていった感じでした。「アーティストだったら詞曲書けた方がいいよね」という雰囲気もあって、「全部書いてやる!」という気構えはあるけど、「いや、(提供いただいた)この曲は絶対にいいし…こういう詞は私には書けない」という葛藤もありました。自分が引っくり返っても出せないものをいただけて、それを自分の曲として世に出せることは幸せなんじゃないか。そういう気持ちが大きかったと思います。
※1…西脇が所属していた音楽ユニットPAZZが発表した唯一のアルバム。2022年にソニー・ミュージックのオーダーメイドファクトリーよりリイシュー。
※2…楽曲からひとつのパートの音を抜いた音楽
西脇さんとのコラボがいちばん強力じゃないか
―ファンとしては谷村有美作詞作曲のシングルが増えていく喜びがあったなか、「がんばれブロークン・ハート」は西脇さんの作曲で、それまでにないファンキーな谷村有美が衝撃でした。
谷村 デモテープを聴いた時に「もらった!」と思いました。シングル「ガラスの午前4時」から横内さんが担当になって、次の「Boy Friend」の2曲はがっつりマンツーマンで、ピアノで弾いて作っていたんですね。それはそれで好きだったんですけど、これを聴いた時に「自分が行きたい世界はここ!」と思ったんです。「西脇さん、さすが!」と思いながらも自分の血のように感じていました。
西脇 ストックではなく書き下ろしました。音楽的にいうとベースだけ聴くとファンクだし、ポップでキュートなふりをしたがっつりAORみたいな(笑)。あとチャチャチャのリズムが内包されていたり。僕はユーミンさんが好きなのですが、彼女はフックにしたいところで意図的にペンタトニックスケールを使うんですよ。(アレクサンドル・)スクリャービンというクラシックの作曲家もそういうところがあるんですけど。だから「がんばれブロークン・ハート」はサビでペンタトニック全振りしてるんですよ(笑)。
谷村 確かに。本当だ!
西脇 結構あざとく作ったかもしれない(笑)。いいメロディは跳躍が多かったりして決して歌い易くはなかったりするでしょう? とにかくヒット曲というかみんなにウケる曲を作りたかった。有美ちゃんに歌ってもらうからには成果を挙げたいと思っていたし、そういう戦略はあったかもしれないですね。
―この衝撃が3rdアルバム『Hear』に発展していき、さらなるコラボの境地になったのが、『PRISM』と『愛は元気です。』でした。
横内 その後の彼女の作品の一つの柱になったと思います。師事していたベテランプロデューサーの伊藤八十八(※3)さんが、「横内の音ができたな」と言ってくださったのがうれしかったですね。僕にとっても一つのマイルストーンというか、そういう作品なんですよ。
―『Hear』まで有美さんのブレーンになる可能性のある方がたくさんいらしたなか、とりわけ西脇さんを起用したのはなぜですか?
横内 当時はまだ試行錯誤だったと思うんです。すごく早い期間で谷村さんに成長してほしかったし、させなきゃいけない使命感があったなかで、いろんな方とのコラボレーションは成長に役に立つだろうと。そのなかで彼女の世界観、声がどんどん収斂(しゅうれん)されていく過程で「やっぱり西脇さんとのコラボがいちばん強力なんじゃないか」という気持ちが固まっていったんです。
谷村 状況的にブレイクしないといけない使命感がすごくありました。タイアップをいただく、番組もたくさんもたせていただくという、切々と売れなきゃいけないという圧の下で、『Face』は一つきちんとできた実感があって。『Face』は当時(CBS)ソニーですごく評価していただいて、ヒット賞のトロフィを初めていただきました。次の『Hear』は、私が何を言いたいのか伝えたいのか、この気持ちを聞いてほしいという意味で名づけたんです。じゃあ次はという時に横内さんから「西脇さん一本でいきたいんだけど…」と言われて、「いよいよいきますか!」みたいな感じでしたよね。フュージョン好きだし、そういう世界でいこうというので『PRISM』ができました。
西脇 めちゃくちゃ楽しかったですよ。そういう想いしかないです。
谷村 いつも「めっちゃいい! 最高!」って喜んでた(笑)。
谷村有美 ディスコグラフィ
2nd 『Face』( ‘88.9.1)
3rd 『Hear』( ‘89.6.21)
4th 『PRISM』( ‘90.5.12)
5th 『愛は元気です。』( ‘91.5.15)
mini album『White Songs』( ‘91.12.12)
6th 『Docile』( ‘92.12.12)
>>後編につづく
【谷村有美最新INFORMATION】
https://www.sonymusic.co.jp/artist/YumiTanimura/info/557181
@tanimurayumi ブログwww.yumi-tanimura.com 谷村有美 official YouTube channel @yumitanimura_official
【西脇辰弥最新INFORMATIONはこちらより】
@xixiechenmi 公式サイトhttps://nishiwakitatsuya.com
(出典/「昭和50年男 2024年1月号 Vol.026」)
取材・文:北村和孝 撮影:吉場正和
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