1979年に突然現れた〝香港からの新たなる龍〞
それまで〝ジャッキー〞といえば、ビューティ・ペアのジャッキー佐藤だったが1979年夏。〝香港からの新たなる龍〞ジャッキー・チェンはオレたちの目の前に突然現れた! 前年にブルース・リー未完の遺作と称された『死亡遊戯』(78年)が公開されたことで、燃え尽きた感もあったカンフー映画熱を再燃させるだけでなく、モンキー・パンチによるイラストポスターや「酔えば酔うほど強くなる」のキャッチコピー、デコトラブームをけん引していた『トラック野郎熱風5000キロ』との全国二本立て興行。そんな子供心をもくすぐる要素も相まっての『ドランクモンキー酔拳』の日本公開である。
当時はもちろん、香港では『スネーキーモンキー蛇拳』のヒットにあやかった続編として製作されていたことも、ジャッキーが演じた主人公が若き日のウォン・フェイフォンー『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(91/日本公開94年〜97年/日本公開99年)でお馴染みの伝説の武術家ーという設定だったなんてことも知らない。でも、スクリーンに映し出された『酔拳』は、ひたすら楽しく、カッコよく、新しかった。そして、ジャッキー・チェンという新たなスター誕生を誰もが確信したのである!!
さて、『酔拳』は何が楽しく、カッコよく、新しかったから、オレたちの心をつかんだのか? それは間違いなく、それまでのカンフー映画のイメージを覆すコミカル路線を突き詰めたことにある。カンフー映画といえば、復讐(敵討ち)の展開が定番であることからシリアス路線になりがちである。だが、あくまでも『酔拳』はケンカと女好きで親泣かせのドラ息子の成長物語。そして、そんな主人公の成長に大きく絡んでくるのが、奥義「酔八仙」を伝授する師匠(こちらも伝説の武術家〝乞食のソー〞こと蘇乞兒がモデル)による斬新で過酷な修行シーンである。
常に強い、弱そうに見えても実は強い、修行いらずのブルース・リー映画の主人公とは異なり、口だけ番長な主人公がコテンパンにやられ、修行を通じて、師匠と心を通わせ、どんどん強くなっていく。いわば、日本人の大好物なスポ根&『週刊少年ジャンプ』のテーマ同様〝友情・努力・勝利〞である。そして、そこに大きく影響したのが、大きな鼻と愛くるしい笑顔が特徴的なジャッキーのキャラクターだった。
常にストイックで、一気に怒りを爆発させる印象が強かったリーとは異なり、喜怒哀楽だけでなく、全身で痛さやつらさを表現するジャッキーのリアクションは観る者の笑いを誘い、感情移入させ、思わず応援したくなってしまう。過去にリーを育てたロー・ウェイ監督の下、『ドラゴン怒りの鉄拳』(72年/日本公開74年)の続編として製作された『レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳』(76年日本公開11年)の主演に抜擢されるなど、〝第二のリー〞として売り出され、失敗に終わったジャッキーの大きなイメチェンが功を奏したと言えるだろう。
日本に吹き荒れるジャッキー旋風
『酔拳』を日本配給した東映(洋画)は、そんなジャッキーのスター性を確信していたこともあり、『蛇拳』の他に、『少林寺木人拳』、『成龍拳』(77年/日本公開84年)、『蛇鶴八拳』といったシリアス路線だった過去作の配給権をまとめて購入。そんな先見の明にも驚かされるが、それらを〝拳シリーズ〞と称して、立て続けに公開し、名画座で「ジャッキー・チェン大会」「ジャッキー・チェン祭」と称された定番プログラムとなっていく。
そして、81年1月にはジャッキー人気は大きな転換期を迎える。土曜の夜、『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ系)における『酔拳』のテレビ初放送である。これを機に、従来のアクション&カンフー映画ファンだけでなく、お茶の間のニューヒーローとしての人気を獲得し、週明けの学校の教室の隅において、男子の誰かがジャッキーのカンフーをマネしている光景が当たり前になっていく。
また、このテレビ放送時にジャッキーの日本語吹き替えを務めた石丸博也も、アニメ『マジンガーZ』(72〜74年)の兜甲児を超えるハマり役となり、〝ジャッキー=石丸博也〞という認識が世間に浸透する(※)。その後、82年11月に『月曜ロードショー』(TBS系)で放送された『少林寺木人拳』では驚異の24.1%(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、常に高視聴率を叩き出すジャッキー映画は、各テレビ局で放送されていた映画番組において人気プログラムのひとつとなった。
80年代に入り、時代の流れを察したジャッキーは、〝♪ドン・ドン・ドン・ドン〞のジングルでお馴染み、ゴールデン・ハーベスト社に電撃移籍。時代遅れのカンフー映画と決別し、現代アクションへと移行するため、自身のカンフー映画の集大成として『ヤング・マスター/師弟出馬』を製作する。この作品から日本配給に、同じハーベスト作の『Mr.Boo!』シリーズ(76〜78年/日本公開79年・第2作は13年ソフト発売)をヒットさせた東宝東和も乗り出し、東映配給作と異なった妙に大作感を煽るお得意の誇大宣伝を展開する。
一度目のハリウッド進出作となった『バトルクリーク・ブロー』で本編では発しないブルース・リーばりの怪鳥音が飛び出す予告編を製作したかと思えば、明らかにバート・レイノルズ主演である『キャノンボール』を、端役にすぎない(スバル・レオーネを運転する日本人役の)ジャッキーの主演作のように売り出した。そのため、82年の正月映画である『キャノンボール』が、同時期に公開された『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81年)を上回る配収13憶円を記録するまでに! 当時のただならぬ、ジャッキー人気を物語るエピソードだろう。
そんな東宝東和の宣伝戦略の極みと言えるのが、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』のポスタービジュアル。〝香港映画50周年記念作品〞〝ゴールデン・ハーベスト超特作〞と意味不明の冠がつけられた他、『死亡遊戯』のカリーム・アブドゥル=ジャバーにしか見えない黒人男性や謎の美女など、劇中に全く登場しない欧米人キャラのオンパレード。もはや詐欺商法とも言えるのだが(笑)、香港警察に最高の敬意を示したジャッキー渾身の一作のあまりのおもしろさに、そんなことはどうでもよくなってしまったほどだ。
また、新作が夏休み映画や正月映画として封切られるなど、日本での映画興行においてもドル箱作品となったジャッキー映画だが、85年の12月には『ポリ・スト』の他に、『七福星』も公開。そこからさらに、6月に『プロテクター』、8月に『香港発活劇エクスプレス大福星』、9月に『ファースト・ミッション』と、一年で5本が連続公開されるという劇場大渋滞という現象も起こした。
さて、『ヤング・マスター』以降のジャッキー映画上映館ではパンフレットの他にも、缶ペンケースや下敷き、パスケースといったアイドル並みのグッズ販売が定番に。過去作のチラシ集めで精一杯なオレたちのおこづかい事情に、さらなる打撃を与えていくなか、このあたりから女子ファンによるアイドル的人気が過熱する。毎号のようにグラビアを飾った映画雑誌『ロードショー』(集英社)では、毎月の人気投票で1位を連続キープし、年に一度の「シネマ大賞」では男優賞を82年から88年まで7年連続受賞という史上初の快挙を果たすことに(その記録はいまだに破られていない)。
その集英社から出版された写真集『まるまる1冊ジャッキー・チェン』(82年)や初の自伝『愛してポーポー』(84年)はファンにとってのバイブルと化し、五輪真弓作詞・作曲による本格的なデビュー曲「マリアンヌ」(83年)でのたどたどしい日本語を思わずマネしまうほど、その魅力の虜になっていった。
香港ビッグスリーを生んだ『プロジェクトA』
ジャッキーソングといえば、『酔拳』の「拳法混乱(カンフージョン)」、『少林寺木人拳』の「ミラクルガイ」など、東映配給作時代からインパクトある日本オリジナルの主題歌も忘れられないところ。『ヤング・マスター師弟出馬』の主題歌「さすらいのカンフー」以降、『プロジェクトA』の「東方的威風」、『ポリ・スト』の「英雄故事」など、エンドロールに流れるのはジャッキー本人による主題歌+NG集が基本セットとなっている。
ここで『ポリ・スト』と共に、80年代ジャッキー映画の金字塔である『プロジェクトA』について触れておこう。東宝東和による誇大広告的には「ジャッキー・チェン10周年記念超大作」であり、当時の香港映画界における盗作やパクリを防止した仮タイトルが正式に採用された『プロA』だが、もはや学校でマネできない〝デス・スタント〞の裏側を収めたジャッキー映画定番のNG集がここから始まっている。
参考にしているのは、スタントマン出身のハル・ニーダム監督が『グレート・スタントマン』(78年)の頃からエンドロールで流していたアクションシーンと言われており、『キャノンボール』でニーダム監督と組んだジャッキーの映画製作者へのリスペクトと受け取ることもできる。また『プロA』は幼少時代、中国戯劇学院で京劇や中国武術を学び、その選抜メンバーで構成された「七小福」で活躍していたジャッキーが、当時の兄弟子であるサモ・ハン・キンポー、弟弟子であるユン・ピョウと、喜ばしい一作でもある(過去に『ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門』(76年)などで共演経験アリ)。
配収16億円を叩き出した『プロA』の日本でのヒットを機に、3人はタモリ・ビートたけし・明石家さんまの〝お笑いBIG3〞よりも早く、〝香港ビッグスリー〞(後に〝ゴールデントリオ〞と呼ばれる)と称され、84年7月には『五福星』(83年)公開記念として「ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、ハン・キンポーin武道館」なる一大イベントを開催。『五福星』の特別試写やアトラクションの他、全国から日本武道館に集結したファンを前にジャッキーが「マリアンヌ」を、ユン・ピョウが谷村新司の「昴」を、そしてサモ・ハンが森 進一の「女のためいき」を熱唱。
さらに、ザ・ロッカーズ解散後、ソロとしてイキってた陣内孝則が『五福星』の主題歌「SUPERSUPERSTAR」を披露したかと思えば、明らかに『プロA』つながりのネーミング「キリン生Aビール」のCMでジャッキーと共演した渡辺 徹が「約束」を披露するなど、ジャッキー映画ファンにとっての〝伝説の一日〞となった。
伝説には続きがある。87年3月に国立競技場にて開催された「ドリームカップ第1回日本・香港芸能人友好サッカー大会」では、ジャッキーと『チャンピオン鷹』(83年/日本公開85年)で華麗なボールさばきを見せたユン・ピョウ率いる「明星隊」が、明石家さんま&木梨憲武率いる「ザ・ミイラ」相手に一戦を交えている。そんな日本のイベントでは黄色い歓声が飛び交っていたのは言うまでもないが、ジャッキーとユン・ピョウにとどまらず、『プロA』の〝大口〞ことマースや、〝ひょうきん〞ことタイ・ポーなど、その人気はジャッキー率いるスタントチーム「成家班(シンガバン)」メンバーにまで及んでおり、「第2回ドリームカップ」(88年)の対戦相手でもあった「たけし軍団」に近いアイドル人気だったと言える。
当のジャッキーといえば、83年に台湾女優であるジョアン・リンと結婚。この件に関しては、ジャッキーの異常なアイドル人気もあって公表されていなかったが、一部メディアで報道されてしまったことにより、ファンが自殺するという悲劇が起きてしまった。
さて、スペインを舞台にゴールデントリオが大暴れした『スパルタンX』は、公開とほぼ同時期にアーケードゲーム化もされた。映画とは関係ないストーリーで『死亡遊戯』に近い内容の横スクロールアクションではあったが、後にファミコンソフトに移植。テレビ放送や当時主流であった劇場公開から間もないビデオリリースと共に、お茶の間におけるジャッキー人気をさらに後押しすることに!
『サンダーアーム/龍兄虎弟』(86年)撮影中に頭蓋骨骨折の大ケガを負い、死亡説まで飛び出したジャッキー。そこから奇跡の復活を遂げ、「七小福」時代の仲間でもあるユン・ワーがトリッキーな悪役を魅せた『サイクロンZ』を最後に、ゴールデントリオ共演を封印。そして、自身の集大成としてドラマ性重視の『奇蹟/ミラクル』を製作したことで、80年代を締めくくった。そんな80年代に手がけた作品群の功績がクエンティン・タランティーノ監督らに認められ、90年代に念願のハリウッド進出を果たすことになるが、そのあたりから、知らず知らずのうちにジャッキーを卒業してしまった昭和50年男も少なくないだろう。
ちなみに来年、古希(70歳)を迎えるジャッキーは、いまだ現役バリバリ。2022年末に中国大陸で公開された『龍馬精神(原題)』(22年)の他、公開待機作や製作待機作が目白押しだ。23年に入り、日本でも2月に『ゴールデントリオコンプリートBOX』が、3月には『80’sアクションエクストリームBOX』といった映像アイテムがリリース。5月にはテレビ番組『マツコの知らない世界』(TBS系) で紹介されたことで、再評価も高まりつつ、80年代ジャッキーを知らない若い世代にもジワジワ響き始めている。3月には声優・石丸博也の現役引退という報せがあったが、石丸ジャッキーの引退作として、最新作となる『プロジェクトX-トラクション』(23年)が、7月からNetflixで配信されたばかり!
今もジャッキーは、あの時の笑顔のまま、オレたちを待っている。さぁ、今こそジャッキー映画で、あの頃のアツい瞬間を取り戻す時がきた!
※…ちなみに2019年には「同一俳優の映画吹替を最も担当した声優」として、ギネス世界記録に認定された。
(出典/「昭和50年男 2023年9月号 Vol.024」)
文・資料提供:くれい響
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