幼少期にリアルタイムでビートルズを聴いていた
竹部:ちょっと遡りますが、野口さんがリットーミュージックに入られたのはいつですか。
野口:86年入社で、『ギター・マガジン』編集部に配属されたのが88年。それから93年までいて、94年から96年まで出版課で単行本を作って、97年にまた戻ったんですよ。
竹部:それで98年から編集長と。入社時点からビートルズ・ファンだっていうことは社内では知られていたのでしょうか。
野口:そこまで大袈裟じゃないですけど、社内でビートルズ・バンド的なものはやっていました。まわりにビートルズ好きも多かったですし。ちょうど初めてCDが出た頃でした。
竹部:87年ですね。
野口:でもまだぼくはCDプレイヤーを持っていなくて、ついに買おうみたいな、そういう時期でした。
竹部:ビートルズは他のバンドに比べると、CD化が遅かったんですね。だから待望の、という感じでした。これも祭りでしたよね。
野口:シングルでしか聴けなかった曲が入っていた『パスト・マスターズ』は感動しました。
竹部:確かに。リットーミュージックに入る動機というのはやはりビートルズというか音楽の仕事に就きたいという気持ちがあったからなのでしょうか。

野口:子どもの頃から編集者になりたいと思っていました。小学校の頃に流行っていた『トイレット博士』という漫画が大好きで、その中にスナミ先生っていうキャラクターが出てくるんです。その人は作者のとりいかずよし先生の担当編集者がモデルなんですけど、コマの外から実際の編集者の角南(スナミ)が漫画にツッコミを入れるシーンが作中に出てくるんです。
竹部:『トイレット博士』大好きでしたよ。
野口:そこに担当編集者と漫画家との関係とか、こうやって漫画が出来上がるということが描かれていたんです。それを読んで、世の中には編集者っていう仕事があることを知って、自分も将来こういう仕事がしたいなって思った。
竹部:それはかなり早い時期から編集者志望だったんですね。
野口:自分は漫画が好きだけど、漫画家にはなれない。でも編集者ならなれるかもしれないという思いはずっと頭の中にあった。そのうち音楽が好きになって、中1でビートルズを聴くようになるんです。正確に言うと、3歳くらいの頃に叔母にビートルズを聴かされていたようなんです。僕は1963年生まれなんですが、僕が3〜4歳頃に高校生だった叔母がグループサウンズやビートルズが大好きで、僕にも聴かせていたらしく。
竹部:リアルタイムで聴いていたと。
野口:どうやら「抱きしめたい」とかを聴いていたみたいで。ということは、リアルタイムですよね(笑)。それでさっきの話につながるんですが、中1のときに友達の家でビートルズを聴かされて「この曲聞いたことある」と思ったんですよ。『赤盤』『青盤』だったかな。どの曲もめちゃくちゃ良くて。ちなみにその頃ぼくらは『赤盤』『青盤』じゃなくて『赤ジャケ』『青ジャケ』って言い方していたんですけどね。
竹部:それは何年の話ですか。
野口:76年だと思います。で、その友達がベスト盤みたいに編集したカセットテープをくれて、ずっとそればっかり聴いていましたね。そのあと、ラジオの『軽音楽をあなたに』だったと思うんですけど、そこでビートルズ特集があって、『プリーズ・プリーズ・ミー』から『アビイ・ロード』までのアルバムを全部かけてくれたんです。何日かかったのかな。半月ぐらいやったと思うんですけど。
竹部:NHKFMの夕方ですよね。
野口:そうそう。とにかく録音しなきゃっていうんで、学校からすぐ帰ってきて、カセットテープに録音していました。当時はタイマーがなかったですから。まだレコードは1枚も持ってなかったので、この番組でビートルズのあらましを知ったわけですよ。で、最初に買ったL Pが『マジカル・ミステリー・ツアー』。
竹部:そこですか(笑)。77年だと国旗帯版ですかね。
野口:確かそうだったと思います。その次に買ったのは、当時新譜だった『ハリウッド・ボウル』。
竹部:出ました『ハリウッド・ボウル』。この間、藤本国彦さんのイベントで『ハリウッド・ボウル』を大音量で聴くと言うイベントがありまして。素晴らしかったです。
野口:2曲目の「シーズ・ア・ウーマン」はアルバムに入っていない曲だったから、ここで初めて聴いて、感動したのを覚えています。そこから時間はかかりましたけど全部のアルバムを集めたんです。
竹部:ということは、小遣いをもらったらレコードみたいな。
野口:当時もうバイトをしていたから、バイト代は全部レコードにつぎ込んでいました。カセットテープと。
竹部:中学生で?
野口:していましたよ。いろんなバイトをしました。いちばんよかったのはゴルフ場のキャディ。自転車で山を登ってゴルフ場に行くんですよ。ハーフとラウンドとラウンドハーフっていうのがあって、ハーフが5000円、運がいいとラウンドハーフにあり付いて、1日で10000円ぐらいになるときがあって。滅多にないんですけど。大体ラウンドで7〜8000円くらいもらっていたと思いますよ。
竹部:どういう仕事なんですか。
野口:電動カートにバックを4つぐらい乗っけて、コースを移動していくんです。丸一日つぶれるけど、5000円って結構でかいでしょ。
竹部:中学生ですもんね。ぼくは中学校のときの小遣い一ヶ月3000円でしたから。それが1日で5000円もらえるって。
野口:月に4回行ければ、すごい金額じゃないですか。それを全部レコードとカセットテープにつぎ込んでいました。
竹部:カセットは重要なメディアでしたし、高価でしたよね。
野口:主にエアチェック用ですね。ビートルズはノーマルじゃなくてクロームテープで録りたいとかあるわけですよ。
竹部: 77、78年ぐらいの話だとすると、そのあとはどんな感じですか。
野口:中2でギターを始めるんですよ。アリアプロⅡのフォークギターを買いました。最初は友達が好きだったかぐや姫や風、イルカの曲を弾き始めて、あとは当時のヒットソングをコピーしていました。それからいろんな音楽を聴くようになったんですけど、徐々に洋楽寄りになっていって、キッスやチープ・トリック、ボストン、エアロスミス、イーグルスとかを聴いたり弾いたりしながら、一方でビートルズが常に底流に流れていて、忘れたことはなかった。まさにこのコーナーのタイトルのようにビートルズのことを考えない日は一日もなかったですよ(笑)。
竹部:ありがとうございます。新しい音楽が主流になってくと、ビートルズは古いっていうイメージになっていったと思うんですが。
野口:それは全然なかったです。ぼくの周りはビートルズ・ファンが多くて、皆同じような考え方でした。ぼくが持っていないレコードを友達が持っていたり、その逆だったりして、レコードの貸し借りもよくしていたし。ギターでコピーもしていたし。
竹部:それは恵まれた環境ですね。先ほど名前で出てきたバンドの中でビートルズだけ昔のバンドじゃないですか。

野口:言われてみるとそうで、不思議なんだけどそこに差を感じたことはなかったです。それでギター3人のグループを作るんです。ぼくの場合幸い、ギターの上手い堀内くんっていう友達がいて、彼から基礎的な部分は全部教わって、それでギターが好きになっていったんです。学園祭とかに出ていましたね。
プロのギタリストを目指していた学生時代
竹部:中学校時代にギターで学園祭というのはませてますよね。
野口:そこからディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなんかを聴くようになって、そうなったら、エレキが欲しくなるじゃないですか。で、「ハイウェイ・スター」とか、そういう曲をやるようになるわけですよ。
竹部:初めて買ったエレキは覚えていますか。
野口:中3の春休み。だから高校に入る前3月にエレキ買うんですよね。グヤトーンのストラト。大月市の楽器屋で買いました。
竹部:当時の中高生が初めて買うエレキはアリアプロⅡ、グヤトーン、グレコとかその辺ですよね。
野口:雑誌は『ヤング・ギター』。フォークをやっていたときは『ヤングセンス』を必ず買っていたんですが、エレキになると『ヤング・ギター』なんです。高1ぐらいから読み始めたんだと思います。まだ『ギター・マガジン』はなかったので。
竹部:あとは『プレイヤー』ですかね。その頃憧れていたギタリストは誰でしょう。ジョージではないんですか。
野口:やっぱりジェフ・ベック。技巧派に憧れましたね。ビートルズは技巧派ではないじゃないですか。そして高中正義。フュージョンも流行りだしたから、そういう時代ですね。高中はコピーしました。
竹部:この間、『北の国から』の再放送を観ていたら、児島美ゆき演じるこごみさんの家に高中のレコードがあって、五郎さんが「この高中って誰ですか」みたいなシーンがあって、当時、みんな聴いてたんだなって思いました。
野口:みんな聴いていましたよ。だから高校生の頃はビートルズをギターで弾くってことはあまりなくて、メインはハードロックでした。バンドでやっていたのはレイジーとか。アイドルバンドからイメチェンしてヘヴィメタル宣言をして『宇宙船地球号』を出した頃です。そこに入っている「Dreamer」っていう曲がめちゃくちゃかっこよくて、それをコピーしていました。あとはランディ・ローズかな。ランディが死んだときに『ヤング・ギター』で特集されたのを覚えています。ずっと憧れていました。
竹部:ヴァン・ヘイレンはいかがですか。
野口:それは当然。初めて見たのは、『ぎんざNOW!』でした。番組内に洋楽のビデオを紹介する日があったんですよ。そこで「ユー・リアリー・ガット・ミー」が流れたんです。それが衝撃で、なんだこの人って。こんなの絶対無理と思いながらライトハンド奏法を練習しましたけどね。
竹部:ぼくもハードロックは通りました。マイケル・シェンカー・グループの武道館に行きましたから。
野口:高校から大学生の頃は東京ニューウェイブも好きでした。自称YMO世代って言っているんですけど、YMOは大好きで、ほかにゼルダ、フリクション、プラスチックス。それからシーナ・アンド・ロケッツ。コピーはしていなかったんですけど、音楽として好きで、東京ニューウェイブと言われるバンドのライブはよく行っていました。とくにゼルダが好きでした。
竹部:ぼくもゼルダは好きでした。とくに初期がいいですよね。
野口:ファーストとセカンドあたり。まさにそれです。
竹部:サード『空色帽子の日』に入ってるギターがすごいハードな曲あるじゃないですか。「FOOLISH GO-ER」って曲、いいんですよね。
野口:結局雑食なんですよね。歌謡曲も大好きだったし。
竹部:根底にビートルズがあるからいろんな音楽が聴けたっていうのはあるんじゃないですかね。
野口:それはあるかもしれないです。
竹部:野口さんはギターの上達は早かったのでしょうか。
野口:胃の中の蛙ってやつですよ。田舎の高校なんで、そこそこ弾ければ注目されて鼻が高くなるみたいな感じだったんですけど、大学に入ったら、こんなに上手い人がプロになっていないのに、自分なんかになれるわけがないって、現実を見させられました。サークルは入っていなかったんですけど、学祭とかにいろんなバンドが出て演奏しているじゃないですか。皆うまいんですよ。アラン・ホールズワースを弾いている先輩がいて、それを見て完全に無理だと思いましたね。忘れもしない。そこで諦めた。
竹部:実際にプロへのアクションはしなかったんですか。
野口:当時は作詞作曲もやっていて、オーディションにテープを送ったりしてましたけど、満足のいくものはできないし、全然通らなかった。ライブハウスにも出たことはありますけど、複数のバンドが出るイベントみたいのぐらいでした。
竹部:実はぼくもバンドをやっていて結構真剣だったんですね。とくにギターのやつがすごくうまくて。センスもテクニックもプロ級だったんだけど、結局プロにはならなかった。
野口:そういう人いっぱいいるんですよ。でも、音楽に関わる仕事はしたいっていうのと、先ほど言ったように小学校の頃から編集者への憧れがあったので、じゃあ音楽系の出版社を受けてみようと思ってリットーミュージックを受けたんです。『ギター・マガジン』を出している会社っていうのが大きかったと思いますね。
竹部:『ギター・マガジン』って何年創刊なんですか。
野口:80年です。ぼくが高2のときに創刊されたんですけど、1回も買ったことがなかった(笑)。というのも、大学生のときに家庭教師をしていた中学生の男の子が『ギター・マガジン』を購読していたんですよ。その子のところに行くと、音楽の話になって、レコードを聴きながら『ギター・マガジン』をネタにしていたわけ。全然勉強せずに。でもその彼は後にプロのベーシストになんだったんですよ。そういうわけで『ギター・マガジン』にシンパシーがあったんです。
竹部:妙な縁を感じますね。
野口:大学4年の夏休みにバンドメンバーだったやつが、『朝日新聞』にリットーミュージックの募集広告が載っているのを教えてくれて、それで応募したら受かったっていう経緯ですね。
竹部:楽譜を読めなきゃいけないみたいなダメみたいな条件はあったんですか。
野口:ぼくは楽譜があまり読めないんですよ。お玉杓子は無理です。当時はコードもそんなに知らなかったと思いますけど興味はあって、『ギター・マガジン』の仕事するようになってから自然に身についたっていうか、勉強もしましたね。知らないと追いついていけないので。仕事を始めてからは聴く音楽も変わっていったし、まったく聞かなかったジャズやソウルも聞くようになって。
竹部:どんな音楽にもギターは使われてるわけだから、いろんなジャンルの音楽を聴かないといけないですもんね。専門的な人にサポートしてもらったりしながら、知識を高めていき、ビートルズを仕事として関わるようになるんですね。そうなるとビートルズの聴き方も変わっていきますよね。プレイヤーとしてのビートルズの魅力を知っていくわけで。
野口:そうです。ビートルズは楽器が下手だって言われていましたが、とんでもないです。ハードロックやフュージョンなどのテクニックに比べれば、技巧という意味では劣るかもしれないけど、下手のレベルじゃないですから。ロックギターの基礎を作ったのはビートルズだと思うので。
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