日本初のハードロック/ヘヴィメタル専門番組
80年代の前半はFM局の開局ラッシュであった。FMは音楽中心の編成で、『FMステーション』を片手にエアチェックをする音楽ファンも増えていく。音楽評論家・伊藤政則にとっても、大きな出来事であった。
「85年の12月には横浜エフエムの放送が始まったんだよね。バイリンガルのDJを使ったりして、おしゃれな雰囲気があってさ。そこにニッポン放送にいた水野さんという方が編成で移ったんで『TOKYOベストヒット』のなかで『水野さん、オレに仕事ください!』って放送中にラブコールを送っていた。最初のうちはスタッフも笑ってくれていたんだけど、あまりにしつこくやるから『伊藤さん、そろそろそういうのはやめてください』って釘を刺されちゃった(笑)」
すでにこの頃のセーソクさんは、さまざまな音楽番組を担当している。特筆すべきは、83年からラジオ日本でハードロック/ヘヴィメタル専門番組『ROCK TODAY』をスタートさせたことだろう。
「もともとは土曜の深夜帯に湯川れい子さんの『全米トップ40』があって、それに続けて深夜2時から大貫憲章さんと今泉圭けいこ姫子さん(※5)の『全英TOP20』を1時間やっていたんですね。3時台には八木誠さん(※6)が担当されている『全日本ポップス120』という番組があったんですが、八木さんが辞められることになった。そうしたら、そこにメタルの専門番組をやらないかと、吉崎(四平)さんというプロデューサーが声をかけてきたんだよ」
吉崎はラジオ関東のコールサイン「JORF」を”JOロックフレンズ”と読ませるなど、音楽番組によって若くコアなリスナーを獲得したことで知られる名プロデューサーだ。
「吉崎さん、ツェッペリンとかが好きな人でね、『モビー・ディック』のテーマも、番組のタイトルも勝手に決めて、『じゃ、しゃべるのと毎回の選曲は伊藤くんに任せたよ!』って」
前番組の『全日本ポップス120』が地方にもネットされていたこともあり、『ROCK TODAY』はセーソク節に乗せた最新メタル情報が広く聴かれていった。
「ハードロック/ヘヴィメタルの専門番組を1時間、帯でやるなんて僕にも初めてのことだったし、周りもどんなものかわからなかったしね」
とはいえ、時代が後押しした。1984年には音楽情報誌『BURRN!』が創刊されるなど、ハードロック/ヘヴィメタルのブームも到来し、専門番組である『ROCK TODAY』にはリスナーのはがきが殺到する。
「テーブルいっぱいのはがきがくるんだけど、スタジオが準備と収録を含めて1時間半しか使えなくてね。しかもそのスタジオは直前まで芥川隆行さんが演歌番組の収録で使われている。芥川さんが喉を気にして加湿吸入器を使っているから、テーブルも湿っていて、はがきを置けなかった。そんなドタバタのうちに収録時間になっちゃう。スリリングな収録でしたよ」
ところが、この『ROCK TODAY』は89年に突然の終了を迎えてしまう。
「ラジオ日本が会社の方針としてロックの番組を全部止めると言い出したんだよね」
当時の会長が”社会の木鐸”宣言を行い、若者を対象とした番組を次々に終わらせていった。当然、局内でも反発が出た。
「すると、吉崎さんがラジオ日本を辞めて新しく開局するbay fmに移籍するから、半年くらい間が空くけど、そっちで『ROCK TODAY』をやろう、と声をかけてくれたんです。新たなスタートだから『POWER』をつけて『POWER ROCK TODAY』にして」
bay fmは89年9月からサービス放送を始め、翌月正式に開局する。
「試験放送でも1回担当しているんだよね。これが今でも続いているんだから、おもしろいもんだよね」
※5…旧名は今泉恵子、愛称はスヌーピー。『全米トップ40』のアシスタントからDJを始め、音楽評論、訳詞家としても活躍。
※6…音楽評論家。軽妙な語り口で、『パックインミュージック』などを担当。日本のラジオDJを代表する存在だった。
アイアン・メイデンの新曲が発売半年前に流れる?
「AMからFMになって変わったこと? ないね。しゃべりも流す音楽も変わらないし、僕の遊び場みたいな番組だから」
伊藤が『ROCK TODAY』や『POWER ROCK TODAY』を語る際に、何度も「遊び場みたいなもの」という言葉が飛び出してきた。
「『ROCK TODAY』時代のディレクターさんがおもしろくてさ。ある時リスナーから『前回の終わり方は衝撃的でした!』ってはがきがきたんだ」
伊藤が「それではゲイリー・ムーアの『パリの散歩道』(※7)でお別れしましょう」とひと言入れ、印象的な泣きのギターイントロが流れる。
「そうしたらそこに時報が被ってブツッと終わっちゃった。編集しないでそのまま納品しちゃったんだって。さらに事情聴取をしたら、それまで一度も編集したことがなかったって言うんだよ。とんでもねぇな、と(笑)」
エンディングまで時間どおりに編集して納品するのが普通なのだが…ただ、笑い話であると同時に、ほぼ時間どおりにコアな情報満載のトークをまとめる、伊藤政則のすごさを物語っている。
「一応時間どおりに収まるように気にしてはいるよ。5曲かけたから、あとはこれくらいの話をすればいいかっていうね。でも正確に計っていたわけじゃないからさ」
やはりハードロック/ヘヴィメタルの番組らしく、破天荒な出来事にはことかかない。
「昔は、情報の解禁とかもあやふやだったんだよね。僕がニューヨークにとあるバンドのコンサートへ行った時、ホテルのバーでばったり(アイアン・メイデンの)スティーヴ・ハリスと一緒になったんだ。そこで彼が『新しいアルバムのレコーディングが終わって、半年後くらいに出そうと思っているんだ』って言うわけ。『いいね、ちょっとテープくれよ』ってもらったんだよ。そしたら、めちゃくちゃいいわけさ。だから日本に帰って『ROCK TODAY』で『アイアン・メイデンの新曲です』ってかけちゃった。そうしたらレコード会社の人が来て『伊藤さん、あの曲どうしたんですか?』って(笑)」
現場主義の伊藤ならではの直送音源だったとはいえ、衝撃的なエピソードである。
「コーナーも好き放題だったしね。『真夜中のスラッシュメタルタイム』っていって、リスナーたちが窓を開けて、ボリュームをいっぱいにラジオをかけて、スラッシュメタルファンを増やそうという企画があってさ。当時は中学生高校生が多かったから、遊びが利いていたよね」
さらに番組主催で年1回「ヘヴィメタル王座決定戦」というイベントも行われた。
「イベントをやるとおもしろそうじゃない? と僕からもちかけたんですよ。日本ではバンドを呼ぶことは難しいから、クイズで知識を競うイベントにしてね。1回目は東芝さんの一社提供で、優勝者は”モンスターズ・オブ・ロック”というフェスに連れて行く。それと、アイアン・メイデンのステージでコーラスとして一緒に歌わせるという(笑)」
ただ、場所は当時まだ開発の進んでいない東京・晴海の倉庫街。多少の不安はあったという。
「招待状も出さない、番組告知だけのイベントだったから、何人来るのかな、って。そうしたら黒いTシャツを着た軍団が次から次とバスに乗ってやってきて…うれしかったねぇ」
※7…近年はフィギュアスケートの羽生結弦がショートプログラムで使用したことでも知られる。
重要なのは”またコイツ同じこと言ってやがる”
さて、『POWER ROCK TODAY』をはじめ、セーソクさんの番組のオープニング曲といえば、MR.BIGのポール・ギルバートによる「Masa Ito」だ。
「MR.BIGってビッグ・イン・ジャパンと言われる、日本でだけ飛び抜けて人気のあるバンドなんですよね。で、ポール・ギルバートが『Burning Organ』というソロアルバムを出す時に、日本限定で仕掛けを作りたいと言うんで、国内盤だけのシークレット・トラックで僕のテーマを作ってくれることになった。それがウケて、ポール・ギルバートが『Masa Ito2』という曲も作ってくれたんだけど、そっちは特番の『MAXIMUM POWER ROCK TODAY』のテーマとして使っています」
『MAXIMUM POWER ROCK TODAY』は毎年成人の日に放送される、新成人を祝う長時間特別番組だ。
「新成人のロックファンと話をする…ただ、今はなかなか探さないといないんだよ。去年も新成人は一人だったかな。だからダブル成人式で40歳、それでも足りなくてトリプルの60歳も入れたりしているよ」
最もハードロック/ヘヴィメタルブームになった時期のファンは、すっかり大人になった。
「番組を聴く年齢層は上がってきているよね。それこそ昭和50年男前後の人たちじゃないかな。特にコロナ禍以降は自分にとっての名曲についてのエピソードメールが多くなったかな。『これを昔、別れた彼女と聴いていた』とか、そんなファニーな話も増えたよね。そういうエピソードと、新しい情報の割合とかを最近は気にするようになったかな」
radikoが普及し、新型コロナで在宅勤務が増えラジオを聴く機会が生じたのを期に、あらためて番組に帰ってきてくれた人もいるという。
「あぁ、まだやっているんだ、と。ただ、この継続性って大事で、『POWER ROCK TODAY』をやっていていちばん勉強になったことだね」
それを象徴する出来事が、90年代末にあった。
「バックチェリー(※8)というバンドがなかなかよくて、『Lit Up』という曲を8週連続で流したんだよ。でも飽きちゃってさ、もういいかな、って思っていたところに『あの曲は衝撃だ』っていうリスナーのFAXがきたんだ。そうか、普段聴いていないヤツがたまたま8週目に聴いて、影響を与えることがあるんだ、と。こうやって定番化、継続化させることが大事なんだよね。自分の仕事をリスナーによって気づかされた」
セーソクさんは「だから」と続けた。
「”またコイツ同じこと言ってやがる”くらいに思わせないとダメなんだよね。そうやっていかないと、いいものは広がらないんだ。これこそが、ラジオの希望なんじゃないかな、って」
だから『POWER ROCK TODAY』は、いやセーソクさんは今も変わらぬ名調子で、ロックの楽しさを語っている。
※8…1995年結成。アルバム発売前から、KISSのツアーに同行するなどして注目を集めていた。2002年に一旦解散するが、3年後に再結成、現在もメンバーチェンジを経て活動中。
伊藤政則/いとうせいそく
昭和28年、岩手県生まれ。音楽評論家、DJ。ロックに没頭する青春期を過ごす。『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のADを経て1975年から『オールナイトニッポン』第2部DJを担当。79年渡英時にNWOBHMを経験し、ヘヴィメタルを日本に紹介した。『POWER ROCK TODAY』(bayfm)は前身番組から含めると40年以上の歴史を誇る。
(出典/「昭和50年男 2023年11月号 Vol.025」)
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