「最初は、ふざけて贋作シリーズなんて呼んでいましたが、要は遊びですよね」
1995年に1stアルバム『かせきさいだぁ』でデビュー。ポップミュージックの歌詞を引用したラップで注目を集め、現在までにオリジナルアルバムを6枚リリース。ミュージシャン、ラッパーとして活動する一方、イラストレーター、漫画家としての顔も持ち、4コマ 漫画『ハグトン』は昨年20周年を迎えたばかり。現在はアート活動を軸に表現の場を拡げている。
「間違ったことを繰り返しながらも誰もやってない表現の隙間を見つけ出す」
己の世界観をいかに独自の形で作品に込めて表現するか。 このミュージシャンや芸術家にとっての永遠の課題に対し、「とにかくカワイイと言われたい」の一心で挑む男。それが、今回の主役、かせきさいだぁさん。8ビット、超合金、 コロコロコミックetc ……、他とは一線を画すサンプリングフィルターを介して生み出される、世にもPOPなイラストは名作絵画に始まり、アジの開きまで。オリジナリティとは何か。そのヒントは彼の言葉の中にあった。
——子供時代は、いわゆる優 等生だったとか。
小学校の生徒会長で、ソフトボールクラブでも主将、子供会では会長みたいな感じで、絵画コンクールでやたらと賞 をもらうような子供でしたね。人と同じことをするのは面白くないから、意識的にパンチの効いた構図やタッチで描いたりして。「とにかく周囲と違うことをすればいいんだ」って考えていました。
——高校時代は、絵の学校に も通っていたんですよね。
美大を目指す人が通う予備校だと思って行ったら、ただのカルチャースクール的な絵画教室(苦笑)。好きな絵ばっかり描いていました。
——その後、桑沢デザイン研究所に入学します。
当時は洋服にも興味があったし、半分は絵の授業もあると聞いていたのでドレス科に入りました。ですが、当時はデザイナーズブランド全盛期。オシャレなだけの服への興味 を失ってしまい、絵にばかり力が入ってしまって。そこで1日中絵だけ描かせてもらえる仕事ってなんだろうと考えて就職したのが、ゲーム会社のナムコ。桑沢でスチャダラパーと知り合って、当時すでにラップも始めていたので、いつでも休めるように準社員として、ですけどね。
——そこでは、どんな仕事を していたんですか?
当時で言うところのドッター(※現在はドット絵師と呼称されている)です。最初はドット絵を描くのがすごく苦手で、出社しようと電車に乗ったら気持ち悪くなるくらいでしたが、ビットの限られた色数で表現する技術や、自分の個性を出すのも大事だけど、いかに多くの人々を喜ばせることができるかといった部分を学べたことは、今すごく生きていると思います。
——元々絵を描くのが好きだったと伺っていますが、どんな絵を描いていたのですか?
漫画家の大友克洋先生や江口寿史先生の影響で、細い線 で緻密に描いていたんですよね。ちみちみと。大友先生に多大な影響を与えたフランスの漫画家メビウスに、アラレちゃんの鳥山明先生……オシャレな絵の先生はみんな細いですから。でも上手い人には敵わないし、時間もかかる。なんだかんだで結局影響を受けたのは色彩ですね。皆さん色使いがオシャレですから。
「最初は、ふざけて贋作シリーズなんて呼んでいましたが、要は遊びですよね」
——ナムコを退社して、ラッパーとして本格的に活動するように。絵はずっと描き続けていたんですか?
自分のライブのフライヤーや、2001年から『ハグトン』というマンガを描いていましたが、2005年にカフェでのイラスト展示を依頼されたのをキッカケに、せっかくだからハグトンをキャンバスに描いてみようって。それがなんだかんだで売れて、200枚は描いたかな? もう死ぬほど描いて飽きたというか、やり尽くしたなって。 そこで試しに名画を模写して みようと思ったんです。ゴッホの絵をディック・ブルーナ(ミッフィーで知られるオラン ダの絵本作家)のように色数を減らして線を単純化してみたのをキッカケに、名画シリーズが誕生しました。最初は、ふざけて贋作シリーズなんて呼んでいましたが、要は遊びですよね。ラップも遊びの延長線上でしたし。
——ラップとアートで、同じ 表現するということでも違い はありますか?
僕にとってラップの歌詞を書くのは、言葉という画材で 絵を描く感覚なんですよね。聴いた人間の脳裏に絵が浮かぶ歌詞といいますか。今やっていることも、いわばサンプリングですし、怒られるか怒られないかのギリギリを試しながら、いかに面白いことをするかという点でも同じかなって思っています。
——なるほど。作品の話もお 聞かせください。
使っている画材は、リキテックスと業務用マーカーです。 昔の『コロコロコミック』の表紙で描かれていたドラえもんって、線が太いんですよ! 作中のタッチでは細いということで、デザイナーが藤子不二雄先生に「表紙用には、水性マーカーを使って太い線で描いてください」って頼んだらしく。その事実がすごく衝撃で。今のタッチはその影響ですね。
——シルバーの背景も、今やかせきさんのシグネチャーと なっています。
ちょうどキャンバスに描き始めた頃が、イラストレータ ーがキャンバスに作品をプリンアウトし出した時代で、正面から勝負しても絶対に負けてしまう。ならば、プリンターでは表現できない絵の具を使えばイイのでは? とシルバーや蛍光色を使うようになりました。そうやって試行錯誤している中で、背景をシルバーで塗り潰してみたら、すごく評判が良くて。「背景が半分主役でもありますよね」なんて言ってもらえたので、ずっと続けています。イメージ は、ポピーの超合金のオモチャのパッケージ。シルバーの縁の中にキャラクターの写真があって黒でバキッと文字が書いてあって、子供心に「美しい!」と感じていました。
——完成までかなり時間を要 するのでは?
どのくらい線を減らすかを試行錯誤しながら、手のひら サイズくらいの原画を描くのに何日かかかります。いざO Kとなったら、実際のキャンバスの大きさに拡大して、A 4サイズの紙にプリントアウト。それを繋げてキャンバス に転写して下絵が完成。そこからですからね、色を塗ってラインを描いてっていうのは。で、その絵の具が乾く間に、気分転換で釣りに行ったりしつつ。シルバーなんて7〜8回は塗り重ねているので。
——このカラバリ展開というのも、かせきさんならではのスタイルですね。
自分では変わっていないつもりですが、同じモチーフを 何度も描くうちに、洗練されていくというか変わっているんだと勝手に思っています。普通は同じモノを何度も描かないけど、僕は同じものを描きまくるので、少しずつ上手くなっているはず!って(笑)
——沢山描いていると、配色にも悩みそうですね。
それが僕の場合、すべて原色で描くので全然悩まないん ですよ。混ぜちゃうと色も濁るしカワイイ感じにならない気がして。だったら制約がある中で自由さを求める方がいい。知人のアーティストたちには「かせきさんはズルイ! 絵の具を混ぜていないし、名作絵画を模写してるし」って言われています(笑)。でもいいんです、ズルくて。これは僕の考えですが、売れてないのは「絵」なんです。売れることで「アート」になるというか。大事なのは、自己満足で終わらせず、売れることも 考えたモチーフを見つけ出せるかどうか。
「静物画ってカワイイよなぁって ある時に気付いちゃったんです」
——その結果、オリジナルモチーフで新作も発表。それにしても、なぜアジの開き??
静物画ってカワイイよなぁって、ある時に気付いちゃっ たんです。絵の予備校に通っている時は、習作というか練習用でよく描いていたんですよ。日本の洋画家も干物とか描いていますし。笑っちゃうじゃないですか、焼き魚がドーンと鎮座していて「アート です」って(笑)。今後は、旧き良き日本の心象風景というか、小津安二郎的世界観をポップに表現できたらカワイイ かなと思っています。
——他の人には負けたくない と思ったりしますか?
上手い人は沢山いますが、配られたカードで勝負するっ きゃないですからね。僕は間違うことが一番重要なんじゃないかって思っているんです。 結局、正解は誰かの後追いなので、いくらやっても意味がない。だったら間違ったことを繰り返しながらも、誰もやってない表現の隙間を見つけ出すっていう。例えば、ファッションはお金を持っている人が勝ちって部分があるじゃないですか。そこで高価な腕時計をするのではなく、「マリオウォッチもベルトを変えると、すごくカワイイ〜!」って自分なりの楽しみ方を見つける方が、「勝ち」だなって。
——たしかにどの作品からも、かせきさん自身が楽しんで描いているのが伝わってきます。
「楽しんでるもん勝ち」というのと「カワイイと言われたい」というのは、ずっと変わらないんじゃないですかね。
——今年、予定されている動きを教えてください。
京都で安斎肇さんとのアートユニット、アンザイさいだ ぁの展覧会が1月15日から開催されます。自分自身の個展 は夏頃を目標に準備中です。あと、アート活動とは別にこれまでデザインしてきたアイテムを揃えた通販サイトを開 設準備中です!
(出典/「2nd 2022年3月号 Vol.180」)
Photo/Yoshika Amino Text/Tommy Special Thanks/WATOWA GALLERY
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