なぜ堀口珈琲は横浜に焙煎所をつくったのか。
堀口珈琲の開業は1990年のこと。コーヒーの自家焙煎の珈琲御三家(「カフェ・ド・ランブル」「カフェ・バッハ」「もか」)に対して、カフェ形式ではなく自家焙煎のビーンズショップとして登場。当時としては異色のスタイルだった。
堀口珈琲が目指すべきコンセプトは明確だった。「コーヒーの評価基準であるピラミッドのトップに位置する最高のコーヒーを提供すること。これまでにない味で感動してもらいたいと思っていました」と振り返るのは創業者の堀口俊英さん。ショップを開店するにあたり3年間、世界中を巡ったという。
ちなみに現在よく耳にする「スペシャルティコーヒー」というワード。SCAA(アメリカス ペシャルティコーヒー協会)は’82年からあったものの、’90年代の日本ではまったく浸透していない。だが、堀口さんは新しいコーヒームーブメントの機運を肌で感じていた。
日本でSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)が設立されたのは随分あと。2003年のことだ。堀口珈琲は1999年に狛江に出店し焙煎能力を増強。2000年代は店舗を拡充し、生豆共同購入グループ(LCF)で全国店舗とネットワークを形成。2017年には上海にブランド初の海外出店を実現させた。
そんな堀口珈琲が横浜の港町・新山下に新しい焙煎所を始動させたのは2019年の6月のこと。理由のひとつは、横浜港に到着した生豆の輸送コストの削減だが、実はもっと重要なミッションがあった。
従来の自家焙煎店とは次元が異なる、豆のクオリティコントロールを行うためである。生豆と焙煎後の豆が混在しないようフロアを完全にわけ、焙煎後の豆がクリーンで衛生的でいられるように徹底。さらに異物や不良豆を極限まで除去できるような体制をつくりあげた。焙煎過程のすべてを管理した、まさにスペシャルティコーヒーの究極の焙煎所である。
サードウェーブのムーブメント以降、自家焙煎するロースターが増え、COE(カップオブエクセレント)を受賞するような豆を扱う店も出始めている。だが、その間、堀口珈琲は次のステージへと進もうとしていた。
大切なのはその豆がどう管理されて製品になるかということ。味の追求は、衛生管理も当然含まれることを横浜ロースタリーは教えてくれる。ピラミッドのトップクオリティを生み出す。堀口さんの理念は、設立30年目にして、今本当の意味で実現されたのだ。
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