ビートルズがいた場所の歩き方|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談VOL.5 白木哲也氏

  • 2024.11.19  2024.08.19

ビートルズのファンなら誰も一度はしてみたい巡礼の旅。その行き先はイギリス・ロンドン、そしてリバプールである。しかしマニアはアビー・ロードやストロベリー・フィールズのような一般的に観光地化されたところでは物足らず、いつのまにかどんどん無名な場所を探して足を運んで行く。そのひとりがソニーミュージック・インターナショナルでピンク・フロイドやブルース・プリングスティーンなどを手掛けている白木哲也さんだ。今回、「ビートルズのことを考えない日は一日もなかった」対談のテーマはビートルズ巡礼の旅。白木さんのライフワークともいえる、その徹底したビートルズの歩き方を聞きました。

89年、ひとりで歩いたリバプールのゆかりの地

リバプールのマシュー・ストリートにあるビートルズ・ショップ

竹部:僕が最初に白木さんに会ったのは2000年頃だったでしょうか。ブルース・スプリングスティーンについての記事の相談でソニーミュージックに伺った際に、Mさんから「ブルース・スプリングスティーンの白木さんです」と紹介されたんです。なので、ブルース・スプリングスティーン=白木さんという印象が強かったんですが、話をしていると筋金入りのビートルズ・ファン であることがわかって。以来親しくさせてもらっています。2013年以降のポールの東京ドーム公演も何度かご一緒しましたし、その前の2008年、ポールのリバプール公演でも現地で会いましたよね。

白木:そうでした。あのときが初めてのリバプール泊だったんです。それまで何度かリバプールに行ったことはあったんですが、すべて日帰りだったので、あのときはライブの前後に初めてリバプールの街中をゆっくり回ることができたんです。以来、海外でポールを観ることが楽しくなって、旅行感覚でいろいろなところでポールを観るようになっています。ポールが元気で歌っているなら行くしかないと思って。

竹部:今までどれくらい見ているんですか?

白木:海外だとこれまでに16回、シェア・スタジアムのビリー・ジョエルのライヴにポールが飛び入りしたのを加えると17回ですかね。

竹部:それはすごい!そして今年もポールのライブのために海外遠征されるんですよね。

白木:年末12月にスペインのマドリードでやるんですよ。それを観に行こうと思っていて。マドリードでポールのライブとサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードの試合を見るってのが一つの夢でしたので。と思ったら、その週のレアルはアウェイだった……。

竹部:白木さんはレアル・サポ なんですよね。ぼくはユナイテッド・サポ でして。白木さんはビートルズ話とサッカー話ができる貴重な存在なんですが、そう考えると2008年に一緒にアンフィールドでポールを観られたというのはよかったですね。本当ならお互いリバプールサポだったらもっと美しかったんですが……。

白木: そうですね(笑)。

竹部:今日のテーマは、そのリバプール及びロンドンのビートルズゆかりの地巡りについて話を進めていこうと思います。これまで会うたびにそんな話をしていましたが、そのまとめ的な感じで話を伺いたく。

白木:了解しました。

竹部:そもそも、白木さんの初渡英はいつなのでしょうか。

白木:最初は89年ですね。ヴァージン・アトランティック が就航することになったときのツアーで初めてイギリスに行ったんです。当時、ぼくはCBS・ソニー の大阪営業所に勤務していたんですが、その先輩と一緒にモスクワ経由でロンドンに行ったんです。

竹部:ありました。ヴァージン・アトランティック 就航記念便。

白木:6月ぐらいだったかな。FM 802が募集したツアーだったんですが、どうも金額を間違えていたらしく、めちゃくちゃ安く行けたんですよ(笑)。

竹部:そんなことあるんですか。その時代だと1£250円くらいの時代ですかね。このときビートルズ名所巡りはしたんですか。

白木:当時はまだ情報が少なかったので 、ロンドンではアビー・ロード やアップル・ビル などのメイン所だけしか行けませんでした。

竹部:当時、ビートルズのゆかりの地を紹介した本って『ビートルズ事典』『ビートルズ・イングランド』ぐらいしかなかったんじゃないですかね。あと、旅行雑誌『ガリバー』のビートルズ特集号あたり。

白木:ネットがない時代ですからね。そのときリバプールにも行こうっていう話になったんですが、急に先輩が風邪引いてしまって……。でもぼくはどうしてもリバプールには行きたかったんで、ひとりで行くことになったんです。日帰りで。当時のリバプールは暗くて、しかも駅についたら雨が降ってきて……。『DISCOVER BEATLES LIVERPOOL』っていう地図を参考に、 一通り回りました。

竹部:『DISCOVER BEATLES LIVERPOOL』ってありましたね。赤い表紙のやつ。

白木:ライム・ストリート 駅を降りてすぐのところにあった観光案内も兼ねているようなカフェ で縦長サイズの『DISCOVER BEATLES LIVERPOOL』を売っていたんです。それを頼りにメンバーの家を回りましたね。初の海外で英語もしゃべれず、たった一人で大丈夫かいな 、みたいな感じでしたけど。 すごく寂しい気持ちになりながら。自分が落ち葉を踏む音しか聞こえないくらい静かな中をひたすら歩いて……(笑)。

竹部:わかります。ぼくが初めてロンドン、リバプールに行ったのは91年だったんですが、確かにリバプールの街は寂しくて、すさんでいて、夏なのに寒い気持ちになった記憶があります。

白木:まずはタクシー でリンゴの家行ったら、タクシーの運転手が「ここらへんはクルマの通りがないから待っていてあげるよ」って言ってくれて。「じゃあ次はどこ行きたい?」って聞かれたので「ペニー・レーン 」と言ったらそのまま 連れて行ってくれて。すごく親切な運転手でした。ペニー・レーン のプレートのところで落としてもらって、そこからペニー・レーン に向かってその道をずっと歩いたんですが、これもまた寂しい道で(笑)。今にも雨が降りそうな、イギリス特有の曇空の下、ひたすら ひとり歩きました。それから ストロベリー・フィールズまで行きました 。そのときは、とにかくストロベリー・フィールズに行きたくて。

画期的だったビートルズ本『The Beatles London』

名曲が生まれたストロベリー・フィールズの門

竹部:わかります。ストロベリー・フィールズっていう名称に惹かれるんですよね。実際には何もない。ナッシング・イズ・リアル。

白木:門は感動しましたけど、暗くて中は鬱蒼としてて、なんか 怖い感じもしましたね 。そこから地図見ながらジョンの家とかエリナー・リグビーの墓、ジョンとポールが出会ったセント・ピータース・チャーチまで行ったかな。でも日帰りだったので時間がなくなっちゃって、そこで終わり。

竹部:かなり歩きましたね(笑)。ぼくは最初にマジカル・ミステリー・ツアーのバスに乗ったんですよ。でも、大勢の皆さんと一緒なのであまり感動はなくて、翌日ビートルズ観光専用タクシーを呼んで、細かい所をいろいろまわりました。おばちゃんの運転手がカセットかけながらガイドしてくれるんですが、そのときはさすがに感動でした。

白木:僕も最初はマジカル・ミステリー・ツアーに乗ればよかったんですかね。

竹部:マジカル・ミステリー・ツアーはあまりバスから降りられなくて、ちょっと物足りなかったですね。ストロベリー・フィールズくらいしか降りられなかったような。

白木:二度目の94年はロンドンでの仕事の合間を縫ってリバプールに行ったんですが、また日帰りで。その次がポールのライブを観た2008年ですかね。でもロンドンには仕事でよく行っていたんで、時間が空いたら『ビートルズの歩き方』を片手に行った場所をつぶしていくってことをしていました。

竹部:出ました、『ビートルズの歩き方』。日本語訳が出たのは95年ですが、オリジナルの洋書『The Beatles London』が出たのは93年。ぼくもその頃ロンドンに行ったときは洋書版を持ち歩いて探しまくりました。『The Beatles London』はとにかく画期的な本でしたね。最初に買ったやつは使い古してしまって今2冊目です。これは本当に思い出深いですよ。

白木:縦長っていうのもまた良かった。

竹部:日本語版は洋書のフォーマットをそのまま踏襲しているところがいいですよね。表紙のデザインは違うけども、中面のデザインは同じですからね。

白木:定型じゃないのによくオリジナルを踏襲しましたよね。ぼくも最初は洋書を頼りにいろいろ回っていました。その前は先ほど話したリバプールで買った地図のロンドン版『DISCOVER BEATLES LONDON』を持って探していました。

竹部:青い表紙の! ぼくも買いました。実際にその場所に行ってみてどんな感想をもちましたか。

白木:アビー・ロードやアップル・ビル のような名所化されているところよりも、何気ない写真に写っている場所を見つけたときのほうが感動するんですよ。何十年か前に4人がここにいたんだってことを想像しながら 、その余韻を感じられるところ。マニアックではあるけど、その感覚にはまっちゃましたね。

竹部:わかります!日本だとビートルズの名所って日本武道館とキャピタル東急くらいしかないじゃないですか。キャピタル東急ももう違うし。ロンドンにはいたるところに名残りがあるんですよね。90年代にはまだたくさんありましたよね。

白木:それで当時の写真と見比べる。名残がないところもあるけど、残っているところに出会えたときの喜びは本当格別でした。写真で見るのと実際に行ったときの印象が全く違うっていうのはよくあることで、それもまたおもしろいんですよ。

変わっていないセント・パンクラス・オールド・チャーチ

68年7月のフォト・セッションで4人が訪れたセント・パンクラス・オールド・チャーチ

竹部:そのなかでも印象的な場所はどこでしたか。

白木:68年7月28日の、いわゆる”マッド ・デイ・アウト”で4人が回った場所ですね。

竹部:”マッド ・デイ・アウト”の写真って、昔からいろいろ見ていたのに、詳細はわからなくて。『The Beatles London』が出て、初めて一日であれだけの場所でフォト・セッション をやっていたことを把握することができた。

白木:そうなんですよ。『The Beatles London』が出るまで”マット・デイ・アウト”のことは全然わかりませんでしたよね。こういう本でその場所を知ったら、ファンなら行きたくなっちゃいますよ(笑)。でも『The Beatles London』だけではわからないので『AtoZ』を照らし合わせながら行っていました。

竹部:『AtoZ』!『AtoZ』は便利ですよね。ぼくも初期は『AtoZ』を活用していました。写真に写っている通りのプレートを『AtoZ』で探して。95年頃、Idol Laneっていう、場所を探したときは感動しました。

白木:ぼくも行きました!

竹部:ロバート・フリーマンのセッションでポールの撮影で使った通りですよね。なんと。白木さんも行かれていたんですね。なんかすごく苦労していった記憶があります。金融街のシティにあったような……。

白木:そうでした。でも今はグーグル・マップ があるからどこにも行けちゃいますからね。グーグル・マップ 恐るべしですよ。

竹部:とはいえ『AtoZ』世代の私から言わせてもらうと、原始的な作業こそがゆかりの地めぐりの醍醐味のような気もします。

白木:たしかに自分の手で一生懸命で探して、あそこかな、ここかなみたいな感じで、写真と見比べていく、あれが楽しいんですよ。一つひとつ制覇してくことがこの頃のモチベーションになっていました。

竹部:グーグル・マップ を使ってみんなが行けるようになって、YouTubeなんかに動画をあげてしまうようになると、個人的にはなんか覚めてしまって、興味なくなっちゃうみたいなところがありまして。天邪鬼なので。ポールの来日の追っかけとかも、今はSNSで情報を得て、皆ホテルで出待ちしますよね。僕が追っかけをやっていた頃は、情報が全然なくて。でもない中 で、「どうやら今回はオオクラじゃなくてフォーシーズンズらしいぞ」なんて感じでやるのがおもしろかったんですよね。“マッド・デイ・アウト”に話を戻しまして、いくつかある中 で印象に残っている場所はありますか。

白木:好きなのはセント・パンクラス・オールド・チャーチですね。『赤盤』『青盤』のインナージャケットで4人と一緒に映っている柵、教会、水飲み場、ベンチ、あそこの中にあるものはどれも今も変わっていないんですよ。町並みは変わってしまっても公園や教会というのはあまり変わっていないところが多い。なかでも、ここは当時と変わっていないから不思議な感じがしますよ。

竹部:最初に『赤盤』『青盤』の写真を見たとき、4人と一緒に写っている人たちが誰なんだろう?と思っていたら、実はやじ馬だったという。そんなことも『The Beatles London』で知りました。ぼくが最初にセント・パンクラスに行ったときはあの柵がなくて、ここら辺なんだろうなとか想像して写真を撮りました。『The Beatles London』で有名になったから観光客用に柵を立て直したんじゃないですかね。今はプレートもあるじゃないですか。68年、ビートルズはここでフォト・セッション を行ったという。当時はそれもなかったです。

白木:そうなんですね。セント・パンクラスはロンドンに行くたびに結構訪れています。地図で行くと右手に現在のソニーのロンドン・オフィスがありまして。そっちは再開発されてずいぶん変わってしまいましたが、セント・パンクラス・オールド・チャーチだけは変わっていないですね。

竹部:公園といえば、ユーストン駅のラッセル・スクエアも当時はまだ60年代の印象を残していましたが、今はどうなんでしょう。

白木:ラッセル・スクエアは変わっちゃいましたよね。噴水とか今時になっちゃって 全然面影ないですよ。

竹部:そうなんですね。ぼくが初めてラッセル・スクエアに行った頃は花壇も噴水もビートルズがフォト・セッション をやった当時のまま残っていました。あの辺に泊まること多かったので、あの近辺のゆかりの地はいろいろ行きましたね。プレジデント・ホテルの横の路地とか。

プレジデント・ホテル横の道。ここで撮られた写真は『オン・エア~ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2 』のジャケットになった

白木:『オン・エア~ライヴ・アット・ザ・BBC Vol.2 』のジャケットになった場所ですよね。

竹部:同じ構図で写真撮りました。当時は、ラッセル・スクエアから大英博物館の前を通って、トッテナム・コート・ロードの裏道にある中古レコード屋を覗いて、ヴァージン・メガストアに入って、そこからMPLへ向かうみたいなことをよくやりましたね。そういえば91年に最初にロンドンに行ったとき、現地の友達がいろいろ案内してくれたんですが、自分の車で『ブロード・ストリート』のカセットをかけながら、映画『ブロード・ストリート』のロケ地巡りをしてくれて。最後はOLD JUSTICEっていうパブに行ったんです。劇中でポールがマスターテープを探しに立ち寄るんですけどね。あれはまだあるのかな。『ブロード・ストリート』ではソーホーのあたりも出てくるんですよね。

白木:あの辺だとルパート・コートも感動しましたね。

竹部:いいですよね。63年にデゾ・ホフマンのフォト・セッションでまわったソーホーのあたりも、当時はそのまま残っていましたよね。

白木:それを自分の目で見るっていうことが大好物になっちゃった。

阿部卓二氏のおかげで行くことができたジョージの生家

映画『ハード・デイズ・ナイト』に出てくる階段

竹部:あとは『ハード・デイズ・ナイト』で出てくる場所はどうですか。

白木:冒頭で4人が駆けてくる路地のある メリルボーン駅はもちろんですが、『ハード・デイズ・ナイト』でよくメインカットで使われている写真を撮った場所も行きましたよ。4人が飛んでいるようなポーズをしている写真の。

竹部:そこは探せなかったんですよ。区画整理していて、どこかわからなかった。でも「キャント・バイ・ミー・ラヴ」のシーンに出てくる階段は行きました。

白木; ハマースミス・オデオンですね。中には入れなかったので、周りをぐるりと回ったんですけど、どの階段か特定できなくて。

竹部:そうです、ハマースミス・オデオン。勝手に入って行って、裏側にまわったらあったんですよ。そのまま残ってました。

白木:『ハード・デイズ・ナイト』だと、あとはリンゴの散歩コースですよね。リンゴが牛乳瓶の写真を撮ったりするところ。あれはポートベローですよね。まだ面影はありました 。

竹部:散歩の途中でリンゴが古着屋に入って変装するじゃないですか。ぼくが最後に行ったとき、あの古着屋がデザイナーのアトリエになっていて、たまたま一緒に行った人の知り合いがそこで働いているとかで、あの場所の中に入ることが出来たんですよ。建物自体は違うんですが、やっぱりうれしかったですね。そこで働いている人たちは、そこが『ハード・デイズ・ナイト』のロケ地であることに気づいてなくて(笑)。

白木:ラストの方で4人が駆けていくシャーロット・ミューズもいいですよね。

竹部:あそこはそのまま残っていますね。最後の演奏シーンを撮ったスカラ・シアター がなくなってしまって残念なのですが、その気持ちをシャーロット・ミューズが救ってくれると言いますか。

白木:ここは違うかなというところ含めて結構行きましたが、まだまだですね。それも『The Beatles London』のおかげですが、リバプールはそういうマニアックな本は出ていないですよね。

竹部:リバプール編が出るのかと思ったら出ませんでした。

白木:だからリバプールは先程言った『DISCOVER BEATLES LIVERPOOL』に載っているところくらいしか行けなかったんですよ。

竹部:メンバーの生家といっても何度か引っ越しをしているわけですが、一般的なガイドには有名な場所しか載っていないですからね。

白木:今だとリバプールに関しては藤本さんの本(『ビートルズはここで生まれた 聖地巡礼 from London to Liverpool』)がいちばんいいんじゃないですかね。とっても役に立ちました。地図も載っているし。でもリバプール観光でいちばんありがたかったのは阿部卓二さんですね。

竹部:リバプールといえば阿部さんですよね。

白木:先程話した94年はピンク・フロイドの仕事でロンドンに行ったんですが、その際、アテンドしていた方の希望でリバプールに行くことになって、そのときに阿部さんにガイドを頼んだんです。その時は前に自分が回ったようなところプラス・アルファ ぐらいだったんですけど、そのときの阿部さんのガイドが本当に素晴らしくて。なので、今度リバプール行ったときは阿部さんに頼みたいなって思って 。お願いできたのは計3回かな。最後は亡くなる前だから2018 年ですかね。

竹部:それはぼくも体験したかったです。

リバプール・スピーク地区にあるジョージのの家

白木:何がありがたいかっていうと、車じゃないと行けないところまで行ってくれて、細かく案内してくれるんです。人柄もいいし。そのおかげでいろいろなところを回ることが出来ました。ポールのライブをリバプールに観に行ったとき、たまたま阿部さんのスケジュールが空いていて、ジョージの家に行ったんですよ。ツアーに入っている家ではなく、スピーク地区の家。道端のロータリーでギター持ったジョージの写真があるじゃないですか。あそこに行くことができたんです。ずっと行きたかったところだったので、阿部さんにお願いして。

竹部:それは感激ですね。

白木:この頃から引きが強くなったといいますか(笑)。そのあたりでうろうろしていたら、家のオーナーの女性がやってきて来て「ビートルズ・ファン なんでしょ?よかったら家の中見ますか?」って言ってくれたんです。

竹部:旅の途中で起こるそういう出会いってなんなんですかね(笑)。

白木:ジョージ暖炉の前でギターを弾いている写真とかあるじゃないですか、その暖炉がそのままあったり。そこにその写真が貼ってあったり。ジョージって4兄弟だったんですよね。こんなに狭い家に住んでいたんだとか。ギターを渡されて「ジョージと同じように写真撮りたいんでしょ」とか言われて(笑)。

竹部:それは撮るしかないですよね(笑)。

白木:典型的なイギリスの家で 、それぞれの部屋が かわいいんですよ。そしてイギリスの家には必ず裏庭があるんですよね。

竹部:ポールの『ケイオス・アンド・クリエイション』のジャケットのような……。ポールが裏庭の煙突みたいなのに登ったりしている写真もありましたよね。

白木:そうそう。あと、やっぱり感動したのは、ポールとジョンの家の中ですね。あれはちょっと段違い。感じるものが半端ない体験でした。

竹部:生活していた家ですもんね。

白木:ジョンの家の玄関はエコーがかかるからそこで練習していたという話があるじゃないですか。本当かなと思って、そこで手を叩いてみて響きを聴いて、感動したり。 ポールとジョンの家の中は写真撮影できなかったん ですよ。だから目に焼き付けるしかない。。これって すごく大切なことなん じゃないかなと思うんです。すぐに写真や動画を撮って満足するんじゃなくて、脳裏に焼きつける感覚。自分の目で見て、肌で感じる。匂いや音も。たぶん一生忘れない体験だったと思います。

竹部:なるほど。ずっと動画を撮っている人いますよね。リアルではなくて画面を通してその場を見ている人。そういわれると本末転倒のような気もしますね。

白木:ぼくはそれまでそんなに旅行とか一生懸命行く方じゃなかったんですけど、ビートルズ巡りを始めてからいかに現場で体験することが重要かっていうことに気づきました。ビートルズ・ファン にしかわからない感動ですけどね。うちの カミさんもビートルズ・ファン だからよかったですけど、ファンではない人にとっては苦行かもですね (笑)。

竹部:どこにでもある普通の場所ですから(笑)。

初期ビートルズの重要ポイント、カスバ・クラブ

白木:カスバ・クラブも印象的でした。以前、単独でタクシーを使って行ったことはあったんですが、ものすごく寂しい感じで、中に入れそうな気配が全然なくて。

竹部:ぼくも行ったけれど入れませんでした。

白木:そのあと調べたら 、予約していけばピート・ベストの親族の方が案内してくれることを知りまして。中に入ったときは本当に感動でしたね。クオリーメンってこんな小さな場所で演奏していたんだって。ジョンが削った天井の傷跡とか、写真で見て頭の中で妄想してきたものと現実のギャップがおもしろいんですよ。サイズ感もそうですし、こことここはこういう風に繋がっているんだ、みたいな。カスバ・クラブは一度行った方がいいですよ。

竹部:行きたい! ジョンが行きつけだったと言うイー・クラックというパブには行きました。あそこはいいですよね。裏庭がいい。

白木:そうですね。パブといえばフィルハーモニック・パブ。ポールがテレビ企画でサプライズ・ライブ をやったところですが。行って初めてわかるけど、 ここでいきなりライブは無理って(笑)。

竹部:サプライズじゃなかったんですかね。でもあそこは由緒正しいパブですよね。

セント・ピータース・チャーチで観たクオリーメン

白木:今となってはロンドンよりもリバプールの方が好きですね。まだまだいろいろいろいろ 残っていて、絶対にここに4人がいたという息遣いが聞こえてくるんですよね。リバプールに大聖堂があるじゃないですか。ビートルズと関係あるかどうかは置いといて、あの上から見るリバプールの街は感動でした。

竹部:91年にポールがオラトリオの公演をやったところですよね。あそこ登れるんですか?

白木:登れるんですよ。あそこから見る景色がすばらしくて。

竹部:近くまで行ったことがありましたが、それは知りませんでした。あの聖堂も建築物として素晴らしい。

セント・ピータース・チャーチでのクオリーメンのライブ演奏

白木: あと思い出したんですが、2015年にリバプール に行ったとき、セント・ピータース・チャーチでクオリーメンのライブを観たんですよ。SNSで知り合った人が、クオリーメンのメンバーの面倒を見ているという話で、メールでやり取りをしていたらライブが見られると言うことになって。本当に地元のおじさんやおばさんたちの集会みたいな和やかな雰囲気の中でクオリーメンが演奏を始めて。それを観ることが出来たんです。

竹部:それも貴重ですね。クオリーメンは以前、日本にも来ていますけど、2015年というのが貴重です。

白木:チェストベースを弾かせてもらったりしました。旅はそういうさまざまな出会いがあるところも面白いですね。

竹部:気持ちがこもっていると引きも強くなるんですかね。これだけいろいろ行ったうえで、ほかに行きたい場所はありますか。

白木:あとは遠いところかなあ。 『ハード・デイズ・ナイト』でリンゴが少年と一緒に散歩する川沿い。あそこはまだあるんですかね。あとはジョンが住んでいたケンウッドとアスコット。それと「ストロベリー・フィーズ」のプロモーションフィルムを撮ったところとか……。行きたいところはたくさんあるけど、今は変わっちゃっているんですかね。でも車とグーグル・マップ があれば行けちゃうから、いつかやってみるかとは思っているんですけどね。

竹部:ぼくは2004年にポールを観に「グラストンベリー・フェスティバル」に行ったときはレンタカーで行きました。ロンドンからクラストンベリーまで6時間ぐらいかけて。今思えばよく行ったなと。

白木:運転は問題なかったですか。

竹部:もう一生懸命だったんで(笑)。でも、左側通行なんで日本と同じなんですよ。右ハンドルですし。あのときの「グラストンベリー」は金曜日オアシス、土曜日ポール、日曜日モリッシーというトリだったんですよ。3日とも見ることができたんですが、疲れちゃうだろうなと思ってポールだけに集中したんです。どうしても自分の好きな位置からポールを見てみたかったんですね。

謎の巨大石群、ストーンヘンジ

白木:宿泊はどうしたんですか。

竹部:一応キャンプ道具を持って行ったんですけど、2日目から参加だともうスペースがないんですよ。そうこうしているうちに雨が降ってきちゃって、これはもうキャンプできないってことで、車中一泊にしました。あの日はずっと雨で、ポールのライブ中もずっと雨が降っていました。でもほぼ最前列で観たあの日のポールは本当に素晴らしかったです。最後の花火も綺麗だったし、ライブが終わってもみんな「ヘイ・ジュード」を歌っているし。今思えば、雨が降る真っ暗な泥道の中でよく自分の車まで戻れたなと。不思議です(笑)。それで翌日、ロンドンへの帰り道を運転していたら遠くの方に巨大な石が見えてきて、よく見たらストーンヘンジだったんですよ。

白木:なんと、それは素晴らしい。意外とそういうところは行っていないんで。

ついにたどり着いた念願だったワッピング埠頭

『青盤』に封入されていたポスターの写真が撮影された場所

竹部:一応ストーンヘンジはビートルズ名所ですよね。それで、話をまた”マッド・デイ・アウト”に戻したいんですが。白木さんのビートルズ巡りのハイライトといえばワッピング埠頭ですよね。

白木:あそこは昔『青盤』の特典のポスターを見たときから行ってみたかった場所でしたね。あのフォトセッションで撮られた写真を見ると、どうやらタワーブリッジが見えるテムズ川沿いということだけはわかって 、『The Beatles London』でも調べていましたが、 はっきりわからず。あと ロンドンであってもきっと遠いんじゃないかと思っていたんです。それで、2018年にロンドンに行ったときにグーグル・マップ にそこの住所を打ち込んだら、泊まっていたホテルから結構近かったんですよ。それで行ってみようと思ったわけです。

竹部:本当に行ってみようと思うのがすごい。

白木:歩いて行ける距離じゃなかったんでタクシーを呼んで、運転手に「ここに行ってください」と住所を伝えて。そうしたら、前に写真でみたような場所で止まったんです。まわりの風景は変わってしまっているから、確証はないんだけど、残っているビルを目安にしてここだということがわかった。

竹部:次に川沿いまで行くわけですよね。ビートルズと同じように。

マッド・デイ・アウトで4人が訪れたワッピング埠頭

白木:近くまで行ったはいいけど場所がわからなくて。でも歩いていたら右手にそれらしき、水路の入り口が見えてきたんです。途中までは入れたんですが、先は私有地になっていて。そこは通れないけど、その横の細い道には普通に入れて、そこからタワーブリジッジ が見えた。でも、なんか違うんですよ。写真と照らし合わせても符合しない。私有地だから勝手に入れないし、なんて思いながら違う道を探していたら脇に川沿いまで降りられる道があったんです。

竹部:いよいよ。

白木:狭いけど私有地じゃなくて、そこにあった階段を降りてみたら玉砂利みたいな砂浜があって、川の水がすぐ近くまで来ていたんですね。そうしたら、苔がついた石垣が見えたんです。当時と変わってないような感じの。ここかもと思って石垣つたいに行ってみたら、目の前に4人がいた景色が広がったんです。

竹部:それは感動ですね。

白木:4人がふざけあって写真を撮った場所とか、ポールが体に鎖を巻いた場所とか、ジョンが死んだふりをした場所とかもわかって、「すごい、すごい」って思いながら写真撮っていたら、いつの間にか水位が上がって、自分が来た道がなくなってしまったんです。

竹部:(笑)。

白木:船が通ったあとに波が打ち寄せて道がなくなってしまったみたいなんですが 、でも戻るしかないですよね 。そんなにたいしたことないだろうなと思って、水中に足を入れたら膝下まで持っていかれてしまって……。靴の中もジーンズも水浸し。道なき道をよろけながらも壁づたいに歩いていたら今度は服に大量の苔がついてしまって……。ちょっとしたパニックですよね。なんとか元に戻ることが出来たんですがびしょびしょで(笑)。

竹部:執念を感じます(笑)。

白木:足が潜り込んでいった瞬間のことは一生忘れないな。今となってはいい思い出ですけどね。

竹部:ぼくも『The Beatles London』で見たとき、ワッピング埠頭に行きたいなと思いましたよ。写真にタワーブリッジ が映っているからテムズ川沿いなんだろうなと思ったけど、さすがに行けなかったです。白木さんのブログでのルポを読んで自分が行った気になって、拍手したくなりました。

白木:行けたのはラッキーだったと思いますが、やっぱりグーグル・マップ がなかったら行けなかったですね。『The Beatles London』と『AtoZ』だけだったら無理でした。ここが見つかったおかげでこのあとどんどんグーグル・マップ を使って行くようになるんです。

竹部:なかなかワッピング埠頭に行ったという話は聞いたことがないです。

白木:あとこのときはジョージのヘンリー・オン・テムズにも行きました 。あそこも町が素晴らしかったですね。ジョージはこんなところで暮らしてたんだみたいな実感もあって。簡単に歩いて家のまわりを一周できるのかと思ったら、とんでもなく広くて、途中であきらめた。

竹部:旅行自体が完全にビートルズ観光なんですね。

白木: 普段仕事が忙しいのでなかなか休みが取れないんですが、ポールのライブに行くってのをエクスキューズにして無理やり休みを取るという。ポールを見るということを理由にして自分の背中を押すというか。ポールのライブへ行きつつ、ビートルズ観光はもちろんなんですが、その周辺も楽しむって感じですかね。いろんなライブみたり、いろんなとこに行ったり。でもイギリスでポールがライブやるときってだいたい冬、12月が多いので、そうなるとイギリスはめちゃくちゃ日が短くて……。

竹部:そうそう。3時で暗くなりますよね。

白木:しかも寒い。けど、行くしかない。

ヘンリー・オン・テムズにあるジョージの邸宅フライアー・パーク

アビー・ロード近くのカフェでポールに遭遇

竹部:ぼくもだいたい冬が多かったので、その感じはよくわかります。話を聞いていると歩けるうちにまた行こうって思いますね。でも、他のアーティストやバンドが好きでもここまでゆかりの場所に行きたいとは思わせないじゃないですか。ビートル ズだけですよね。これだけ突き動かすものがあるバンドは。

白木:バンドにまつわる物語が多いからですかね。あとはリバプールとロンドンの2カ所あるっていうのも魅力だと思います。とくにリバプールには面影の残っている場所が多いですから。 それにしてもリバプールがあんないいとこだとは思わなかったですね。最初に行った89年と08年では全く違う街でしたもん。

竹部:確かにそれは言えます。そういえば最初にリバプールに行ったのは91年7月だったんですけど、ちょうどモリッシーが来てたんですよ。会場はリバプール・エンパイア。エンパイアも一応ビートルズゆかりの地じゃないですか。モリッシーも感動しましたが、エンパイアの中に入ったと言うところにも感動してしまって。

白木:エンパイアは中には入った ことないですね。駅の近くだから帰るときにちょっと外から覗いて……くらい。。そういう意味ではまだまだ見落としている場所はあるんだろうな。

竹部:そこまでしたいっていうのはなんですかね。ビートルズのことをなんでも知りたい、もしくは近くに感じたいっていうことなんでしょうか。

白木:不思議ですよね。やっぱりビートルズは単に音楽を聴いてるだけじゃ満足できないってことですか ね。初めて聴いた中学校の頃から、4人の物語が植え付けられているのかもしれないです。人間模様といいますか。そういうのも含めてビートルズは魅力なんですよね。それでさらに近づきたい って気持ちになって、彼らがいた場所で同じ空気を吸ってみたいとなるんじゃないでしょうか。

竹部:物語が生まれた場所に行きたいと。

ビートルズ観光の定番、アビーロード

白木:まさにそれですよ。でももうアップル・ビルとかアビー・ロード では満たされないんですね。アビー・ロード は何回行ったかわからないですが……。

竹部:同じく。ぼく、アビー・ロード・スタジオ の中に入ったことあるんですよ。取材で。2000年くらいかな。仕事でカンヌで行われている音楽マーケットのミデムに行ったんですが、アビー・ロード・スタジオ の人が来ていることがわかりまして。それでアポを取ったら「カンヌでは忙しくて会えないスタジオまで来てくれ」と言われて……。スタジオ行っていいの? って驚いて。何日の何時みたいな連絡をもらって、一週間後くらいに訪ねたら迎え入れてくれたんですよ。アビー・ロード・スタジオ はやたらセキュリティが厳しいじゃないですか。そこに堂々と正面から入れたのはうれしかったです。取材をした人の名前忘れてしまったんですが(笑)。スタジオを経営している上の人だったことは間違いないです。

白木;素晴らしいですね。ぼくの憧れですよ。アビー・ロード・スタジオの中には入ってみたいですね 。なぜ自分でそういう仕事を作らなかったのかって思ってしまいます。

竹部:アビー・ロード・スタジオ はピンク・フロイドもやっていますもんね。取材が終わったあと、「スタジオを見たい」と言ったら「今は使っているからダメ」って。「でも食堂はいいよ」って言われて食堂で食事しました。ここでビートルズも食事したんだと思って感動しましたね。その帰り、スタジオ1とスタジオ 2をちらと覗いてしまいましたけど。

白木:なんか行く手はあるかな(笑)。そういえば、2015年にアビー・ロード 近くのカフェでポールに会ったことがあるんですよ。ポールがよく行く店があるってことでホテルから近かったので、遅いランチを食べに行ってみたら、なんとポールがいたんですよ。お店に入って席に通されて、注文して、ちょっとトイレに行こうと思って店の人に聞いたら2Fにあると。上がっていって用を足した後、出てきて、何気に右側を向いたら、2F奥の方の遠くの窓側の席にポールがいたんですよ。全く何も期待も予想もしてなかったので、まさに心臓飛び出そうなくらいの驚きでした(笑)。

竹部:すごい話ですね。興奮しますね!

白木:そのあと降りてきて、レジを待ってる間、お孫さんを高い高いしててるんです。2メートル先くらいで。写真とか、サインとか大チャンスだったかもでしたけど、完全なプライベートだし、レコード会社のサガみたいのもあって場読みして自粛しちゃいましたね。そして、なにはともあれ、ここまで来てポールに怒られたくないって(笑)。

竹部:なかなか難しいですよね。千載一遇のチャンスでしたが。でも白木さんは引きが強い! ぼくもそのカフェ、行きました。店内にポールのサインがあるんですよね。

白木:あのカフェもうなくなってしまったんですよね。

60年代後半の拠点、アップルのビルの内部

竹部;そうらしいですね。あと白木さんはアップル・ビル には入っているんですよね。

白木:入りました。アバクロになっていた時期に。窓からの風景を見て、彼らもビルの中からこんな感じで見ていたんだなあという感慨がありましたね。4階ぐらいまで上がれたかな 。あと螺旋状の階段があって、これは当時のままなのかって思いましたけど。

竹部:『ゲット・バック』の最後、ライブを終えた4人が螺旋を降りてくるシーンありましたよね。

白木:そうか、やっぱりあれかな。もう一回見てみよう。アップル・ビル は屋上にも上がってみたいですね。見下ろしたらどういう景色になっているのかみたいな……。

竹部:そうですね。今日あらためてこうやって話をうかがっていると、本当に濃い話ばかり、マニアであることが十分伝わってきました。今後も白木さんのビートルズを巡る旅は終わりそうもないですね。

白木:そうですね。ワッピング埠頭のように行くのが困難な場所が ないと満足できなくなってしまいましたけどね(笑)。やっぱり、ああいう場所行けたとき感動っていうのは何物にも代えがたいですね。まだまだやめられないです。

竹部:今日はありがとうございました。あ、チズウイック・ハウスの話をするのを忘れてました。66年に「ペーパーバック・ライター」と「レイン」のプロモーションフィルムを撮った場所。あそこも感動でしたよね。それはまた次回に話したいです。またお願いします!

2013年のポール東京ドーム公演にて、白木さん夫妻と
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