アメカジショップ「ヒノヤ」が上野・アメ横から紡いだ70年の歴史を振り返る。

  • 2022.08.24  2020.07.14

戦後の闇市で、米軍の放出物資やアメリカの輸入雑貨、ジーンズが集まったことでアメリカ文化の発信源となっていたアメ横。そのような地でアメカジの名店として70年も走り続けてきた名店といえばヒノヤ以外にない。その長きにわたる歴史は、日本のアメカジの歴史と言って過言ではないのだ。

歴史が生む揺るぎない信頼、キング・オブ・アメカジの名店「HINOYA」。

遡ること70年程前、新潟から上京し、浅草通りに面した東本願寺入り口の角で今川焼店を営んでいた“ひのや”。しかし、その周辺にあった米軍放出品を扱うお店が大きな話題になっていたことを機に、先代社長の新保金吾が今川焼店をたたみ、輸入を中心とする軍の放出品などを取り扱うようになったことが、このショップの原点だ。

1959年に現在のアメ横・御徒町駅前通りに移転。そこから60年にわたり良質なアメカジファッションをエンドユーザーに提供し続けているヒノヤ本店。 品揃えの豊富さはもちろん、足を運べば博学のスタッフが優しく出迎えてくれる。上野と言うより、日本で“アメカジ” といえば外すことができない名店だ

そこから度重なる移転ののち、1959年に現在のヒノヤ本店となるお店が上野にオープン。1968年には株式会社ヒノヤを設立し、米軍放出品に限らずアメリカの輸入品を多く取り扱うようになっていった。ここからリーバイスを中心としたジーンズも輸入するようになったのだが、店舗の運営も次第にリーバイスと軍物、アメリカ輸入の洋服が中心となっていったことで、“アメカジ”ショップとしてのスタイルが確立していった。

ヒノヤの店頭には、いつの時代もフライトジャケットやスカジャン、季節物とともにジーンズが陳列されている。アメカジの爆発的ブームが去り、他店がカジュル色を前面に打ち出した店舗に変わってもそれは揺るぎない。そのようなポリシーが、ジーンズショップとしてのブランド確立の一端を担っている

そうして迎えた’90年代では、アメカジファッションの一大ブームをド真ん中で感じ、その立役者としてシーンを支え、多くの人たちの心を掴んできた。そして今は当時学生だったお客さんが、子供を連れて買い物に来てくれると当時を知るスタッフは話す。そこには長年の歴史で積み上げたヒノヤだけの信頼が存在していた。

2019年、創立して70年のメモリアルイヤーを記念して特別制作したアートがこちら。アメリカ軍の放出品を扱う前は今川焼屋だったというのも、ヒノヤ商店の看板に隠れた建物の2階部分を見れば一目瞭然。創業したての頃にも関わらず多くの人お客で大盛況だ
昭和32年に発行された東京都公安委員会からの古物商許可証。アメリカ軍の放出品を古くから取り扱っていたという何よりの証拠
昭和26年頃に使用した上野警察署の印が入った販売許可看板。闇市の時代に所有していたのは信頼の あるお店の証
ヒノヤが検閲用につけていた帳簿の古物預かり帳。創業当時の顧客データなどが記されており、 健全な経営であったことが確認できる
現在の社長である新保洋治氏の若かりし頃。隣には先代社長の新保金吾氏の姿も
店頭に立っているのは先代の社長の奥様、新保ミワ氏。高度経済成長期におけるヒノヤの成長が垣間見える貴重な写真だ

“選ぶ”楽しさを与え続けたい。時代に合わせて進化したアメカジを提案。

ヒノヤの歩みは、常に新しいことへのチャレンジの連続だ。近年ではオリジナルブランドのバーガスプラスがその最たる例と言える。

ヒノヤ新時代の象徴バーガスプラス。アメカジの世界においても必ずある流行り廃り。そこに順応するには、やることも売るものも変えなければならなかった。今やものづくりも販売と同じ重要なファクターだ

そもそものスタートは、’90年代後半にリーバイスが製造をやめたモデルや、リーバイスに足りなかったものを補うためのものだった。ヒノヤにしてもリーバイスのジーンズは売り上げの8割を占めていたため、なくなってしまうのならば作ってしまおうというのも自然な流れ。長年の販売歴から製造のノウハウも持っていたため、満を持してバーガスプラスをスタートさせた。

多くの雑誌を知ってもらうために製作された非売品の業界誌。ファッション以外にも様々な情報が掲載されており、ヒノヤは日本におけるジーンズの第一人者として掲載されている

しかし当時はジーンズプロショップが減り、カジュアルショップへ移行する時代。最初はなかなか売り上げを立てるのに苦労したとのこと。だがそれもチノパンのヒットで巻き返し、さらに世の中の流れから、小売のオリジナルアイテムからひとつのブランドへ昇華させていくチャレンジを試みた。高品質なものを適正な価格で提供することにこだわり、ブランディングを再構築。トータルコーデができるブランドへと成長を遂げ、他の王道アメカジブランドと肩を並べるほどの急成長を遂げた。

こうして多様化する時代の変化に呼応し、ユーザーへ多くの選択肢を与え、選ぶ楽しさも同時に提供するなど進化が止まらないヒノヤ。これからも新たなアメカジを我々に見せてくれることだろう。

薗部澄の写真集『追憶の街 東京』。昭和22年から昭和37年までの東京の街を写しており、占領下からの復興、成長し続ける高揚感、東京オリンピックまでの懐かしい東京の一瞬の煌めきの中に、ヒノヤの姿が収められている

ヒノヤの歴史を受け継ぐ兄弟店の存在。

今まで時代に合わせて様々なことにチャレンジしてきたヒノヤ。それらを形にしたのが、本店のほかに3店舗展開されているこれらの兄弟店達。どこも独自のカラーと姿勢を打ち出した、個性溢れるショップばかりだ。

関西におけるアメカジの発信基地。「HINOYA NAMBA PARKS」

本店同様シュガーケーンやバズリクソンズ、ウエアハウスにバーガスプラスといったアイテムが店内を彩る。長年に歴史に裏打ちされた上質なセレクトは大阪の地でも揺るぎない安定感を見せている。

【DATA】
大阪府大阪市浪速区難波中2-10-70 なんばパークス4F 内
TEL06-6684-9299
営業/11:00〜21:00
休み/なし
http://hinoya-ameyoko.com/hinoya

既存のヒノヤの一歩先をゆくショップ。「HINOYA PLUS MART」

バーガスプラスなどと同様に“プラス” と言う言葉が付け加えられたプラスマート。読んで字のごとくステップアップや一歩先にと言う思いを込め、さらに踏み込んだアメカジを提案しているショップ。

【DATA】
東京都台東区上野6-10-22
TEL03-3833-2577
営業/10:00〜20:30
休み/なし
http://hinoya-ameyoko.com/hinoya

他店と一線を画す独自のセレクト。「HINOYA ONE」

ジーンズを柱とした昔ながらのコアなアメカジスタンスが特徴のヒノヤではあるが、このONEはそこに変化を加えたものも取り扱う。時代の流れに応じた新しいチャレンジは、まずここで具現化される。

【DATA】
東京都台東区上野6-10-16
TEL03-3831-0385
営業/10:00~20:30
休み/なし
http://hinoya-ameyoko.com/hinoya

▼こちらの記事もチェック!

日本全国のおすすめアメカジショップ案内。【保存版】

日本全国のおすすめアメカジショップ案内。【保存版】

2022年09月08日

(出典/「Lightning 2019年7月号 Vol.303」)

LiLiCo

昭和45年女

人生を自分から楽しくするプロフェッショナル

LiLiCo

松島親方

Lightning, CLUTCH Magazine, 2nd(セカンド)

買い物番長

松島親方

ランボルギーニ三浦

Lightning

ヴィンテージ古着の目利き

ランボルギーニ三浦

ラーメン小池

Lightning

アメリカンカルチャー仕事人

ラーメン小池

上田カズキ

2nd(セカンド)

アメリカントラッド命

上田カズキ

パピー高野

2nd(セカンド)

断然革靴派

パピー高野

村上タクタ

ThunderVolt

おせっかいデジタル案内人

村上タクタ

竹部吉晃

昭和40年男, 昭和45年女

ビートルデイズな編集長

竹部吉晃

清水茂樹

趣味の文具箱

編集長兼文具バカ

清水茂樹

中川原 勝也

Dig-it

民俗と地域文化の案内人

中川原 勝也

金丸公貴

昭和50年男

スタンダードな昭和49年男

金丸公貴

岡部隆志

英国在住ファッション特派員

岡部隆志

杉村 貴行

2nd(セカンド)

ブランドディレクター

杉村 貴行

2nd 編集部

2nd(セカンド)

休日服を楽しむためのマガジン

2nd 編集部

CLUTCH Magazine 編集部

CLUTCH Magazine

世界基準のカルチャーマガジン

CLUTCH Magazine 編集部

趣味の文具箱 編集部

趣味の文具箱

文房具の魅力を伝える季刊誌

趣味の文具箱 編集部

タンデムスタイル編集部

Dig-it

初心者にも優しいバイクの指南書

タンデムスタイル編集部

昭和40年男 編集部

昭和40年男

1965年生まれの男たちのバイブル

昭和40年男 編集部

昭和45年女 編集部

昭和45年女

“昭和カルチャー”偏愛雑誌女子版

昭和45年女 編集部

昭和50年男 編集部

昭和50年男

昭和50年生まれの男性向け年齢限定マガジン

昭和50年男 編集部