黄金期からいまに続く「メイド・インUSA」の礎
ハーレーに改造を施し、鈍重な純正パーツを取り払い、“よりシンプルに軽くする”チョッパーの手法は、そもそも“当時のアウトローバイカーたちが警察車両から逃れるため、渋滞の中をスリ抜けしやすいよう改造を施したもの”だったのだが、それが徐々に個性的な装飾性を高め、多くの人がイメージする姿に変化していったことは想像に難しくない。
そのチョッパーは60年代後期から、その製作を生業とするプロビルダーが出現しはじめ、現在のような市場を形成していくのだが、それが決定的となったのが1967年。
この年は「ラットフィンク」を生み出したアーティストとして知られるエド“ビッグダディ”ロスが自らの出版社で『チョッパーマガジン』を発行し、同年にはパーツカタログの始祖といわれる「AEE」も創業。ロングフォークチョッパーを生み出した「デンバーズ」やいまも残るメーカーの「パウコ」も同時期に創業され、チョッパーが黄金期を迎えたことがさまざまな史実からも単純に確認できるのだが、その中で最も成功したといっても過言でない存在がアレン・ネスだろう。
71年にカリフォルニアのサンレアンドロで自らのショップを創業し、ドラッグレーサーをモチーフにしたディガースタイルを生み出したことで知られるが、何より彼を語るうえで欠かせない功績がパーツを商品化し、“ボルトオン”という概念を広めたこと。カスタムをビジネスに発展させ、一般に浸透させた点は確実に評価されるべき部分だ。
いまあるカスタムの業界の姿は、彼らのような先人たちが切り拓いてきたことを忘れてはならない。
独自の世界観を炸裂させるアレン・ネス
本文中にあるとおり71年にカリフォルニアで創業したA・ネスは現在のカスタムシーンを語るうえで欠かせない存在。写真の「UNTOUCHABLE」をはじめとするディガースタイルを生み出したほか、カスタムという行為をビジネスに発展させた功績は大きい。
パフォーマンスを匂わせるもう一人の雄、ロン・シムズ
70年にBACCを設立したR・シムズもネスと同時期にディガーを生み出した先駆者の一人。84年に製作した下写真のショベルのようにあくまでもパフォーマンスを漂わせる作風は日本のビルダーたちにも強い影響を与えた。
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