※企画内では、フジテレビ系列=フ、テレビ朝日系列=朝、TBS系列=T、日本テレビ系列=日、NHK総合=N、関西テレビ=関、読売テレビ=読、と表記しています
※企画内で掲載されている台詞などは、2nd編集部調査によるものです
※掲載された作品に関するお問い合わせは2nd編集部までお願いいたします。放送局へのお問い合わせはお控えください
ラブストーリーは初回で「ああ、この二人くっつくよね」とわかった。
平成ドラマのほとんどは、ラブストーリーだった。それも令和のドラマのように、 伏線が張り巡らされているわけではない。
物語の展開は至って単純明快で、第一話の登場人物が出揃った状態で「あ、このふたりはもう絶対にくっつくじゃーん!」とツッコミが入るほど。それでも観た。最終回がなんとなく想像できていても、観た。だって面白かったんだもん。
例えば編集部・不気味くんが夢中になっていたという『恋ノチカラ』(2002年・フ)。仕事にやりがいを感じていなかった本宮籐子(深津絵里)。急な引き抜きがあったと勘違いをして、憧れていた売れっ子広告デザイナー・貫井巧太郎(堤 真一)の元へ転職するところから物語が始まる。
貫井はプライドも高く、仕事に厳しい。籐子なんかには目もくれず……と思っていたのに、次第に惹かれていくのである。これだよ。連続ドラマの中盤で、恋のライバル登場や、すれ違いがあって、離れることを匂わせながら、ラストには手を取り合う。僕たちはそんな様子を高みの見物のように、ニヤニヤしながら観るのが楽しかったのだ。
皆が熱狂するように観た『ロングバケーション』(1996年・フ)もそうだったじゃないか。最初はお互いを敬遠していた、瀬名(木村拓哉)と、南(山口智子)。小さな喧嘩と、3階の窓から落としたスーパーボールが跳ね返ってくるような、小さな歓喜。これを繰り返しながら誰もが羨むカップルになっていく。
ごくシンプルな愛が描かれていればそれでいい。煩雑化した現代社会だからこそ、そういう純粋さをつい、懐かしく思い求めてしまう。
青春群像劇はなぜ横並びになる?
ラブストーリーほどではないけれど、平成ドラマには青春群像劇が多かった。 学園モノ、部活動が舞台になったもの、幼なじみ、ふと出会った友達……とシチュエーションはさまざま。それぞれにうまみがあって、視聴欲をそそられたものだ。
例えば鈴木保奈美らが出演した『愛という名のもとに』(1992年・フ)。チョロの死に様が衝撃的だった。ああ、そういえば『若者のすべて』(1994年・フ)では、ラストシーンで主役が刺されていたっけ。
スピッツの主題歌『空も飛べるはず』が自然に流れてくる『白線流し』(1996年・フ)は、青春を改めて感じた。勝手に僕ら視聴者も、セーラー服のスカーフを川に流していた。ドラマへの曲提供といえば、BUMP OF CHICKEN。ドラマと同タイトルの『天体観測』(2 002年・関 フ)は、記憶にあるだろうか。若い坂口憲二と、オダギリジョーが今と同じく格好良かった。
「夢にときめけ! 明日にきらめけ!」熱血漢の教師・川藤幸一(佐藤隆太)の決め台詞にグッときた『ROOKIES』(2008年・T)。観ているうちに、かつての野球少年でなくてもバットを持ちたくなった。
……はて? こうして青春群像劇を思い浮かべてみると、気になることがある。 なぜ、出演者はオープニング&エンドロールで横並びになっているのか。もちろん全作がそのパターンではないけれど、やっぱり横並びが多いのだ。
やはりそこに上下関係というものはなく、全員同じ立ち位置の友情があったか らではないかと思う。誰かが偉いとか、バカだとかそんなことはなく、みんな同じ。肩を並べて、笑い合う。その印象を強くするための横並び。ああ、だから最近はこの手のドラマが減ってきたのか。事務所とテレビ局の関係性とか、倫理がどうとか、いろいろうるさい時代だもんな。
すれ違うことがトレンディだった。
日本国民のスマートフォン普及率が、8割を超えている(2021年、総務省の調査による)。令和に対するかのように、ポケベルに始まり、ガラケーに終わった平成。電波圏外も日常によくあることだったので、すれ違うことが多かった。今だから言えるけれど、この現象がドラマを盛り上げていた。
例えば『東京ラブストーリー』(1991年・フ)。リカ(鈴木保奈美)と、カンチ(織田裕二)なんて、家電同士で会話していた。用事があってポケベルに連絡。メッセージを受け取ると、公衆電話を探して電話をかける……正味、30分くらい要していた。このすれ違いの積算がなかったら、おでんを持った、さとみ(有森也実)に、カンチは落とされなかったかもしれないのに……。
ただすれ違いによるいい展開もあった。『101回目のプロポーズ』(1991年・フ)も、初っ端からすれ違いもせず、星野達郎(武田鉄矢)と、矢吹薫(浅野温子)が会っていたら、うまくいかなかった気がする。なかなか会えずに誤解が生じたり、おかしな情報が入ったり。いろいろあったうえで、やっと! 結ばれたわけだから、結果オーライ。
もしすんなりとくっついていたら、『僕は死にましぇん!』の名台詞を聞くことができなかったかもしれない。
『愛していると言ってくれ』(1995年・T)では、榊 晃次(豊川悦司)の聴覚障害というハードルが水野紘子(常盤貴子)との恋を後押ししていたじゃないか。相手にファックスをしたり、会いたくて自宅の前で寝ていたり……。
断言しよう。すれ違いはトレンディだった。すれ違えば、恋愛のコマが進んだ。もし今、恋に悩んでいるのなら、ここはひとつすれ違ってみるのもいいかもしれない?
月曜の夜は何が何でも早く帰った。
かつての日本の毎週火曜は『月9』を観ていないと、会社や学校で皆の話題についていけなかった。そのために月曜夜だけは何が何でも自宅に帰り、21時になるとフジテレビにチャンネルを合わせる。なんだか半強制的な行動ではあるけれど、なぜか楽しんで観ていた僕たちがいた。
『ひとつ屋根の下』(1993年・フ)では、兄弟のことを思いすぎるあんちゃん(江口洋介)の熱さに、何度も泣かされた。「シシシッ!」と、満面の笑みでのグーポーズは忘れない。
『ビーチボーイズ』(1997年・フ)を 観たら、小さな衝動が起きた。自分も桜井広海(反町隆史) になったような気がして、急いで海に行ったことがある人、きっといるはず。とにかく、平成ドラマといえば、月9が多くの人気の手綱を握っていたのだ。
ただ人気は未来永劫、継続するわけではなかった。僕たちは次第に、インターネットから発信される情報へ沼入りしていった。ふと、なんだか虫の知らせがあったような気がして、月9を観ると『コード・ブルー ‒ドクターヘリ緊急救命‒』(2008年・フ)を放送していた。
寡黙で医療の技術を上げること以外に興味のない、クールな藍沢耕作(山下智久)を観ていると、医療漫画を読んで育った世代としては、ハマるものがある。それに山Pが男前。
やっぱり月9は、時代を超えたとしても、僕たちを引き込む特別な力を持っているらしい。最近はサブスクでドラマを観られるようになった。ひさびさに観てみようか。あれ? 今は月9で何を放送しているんだっけ。スマホ、スマホ……と。
(出典/「2nd 2023年2月号 Vol.191」)
Illustration/Kazushige Akita Design/ Manabu Okubo Edit&Text/Hisano Kobayashi
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