コレクト初めはクラシックギター
ハドソン(現・KONAMI) は趣味人の集まりの会社だった。まず、創業者・社長であった工藤裕司氏からしてSLグッズの コレクターで、本社にはそれらのグッズが陳列されていた。そして当時ハドソン社員だった高橋名人もそんな趣味人のひとり。ファミっ子なら『ファミコンランナー 高橋名人物語』(画・河合一慶)に掲載された、ギターやLDソフトに囲まれる「高橋名人の部屋」という記事を思い出す諸氏は多いだろう。さて、そんな名人のコレクト初めのアイテムは…?
「ギターです。中学1年生の時、50もの楽器を使って演奏された 『エクソシスト』主題曲『チューブラー・ベルズ』に衝撃を受けたんです。そこで私も『いろんな楽器を演奏できるようになりたい』と思うようになり、まず弦楽器から入りました。最初に買ったのはクラシックギター、次にフォークギター、その後はエレキギター、バンジョー、マンドリン…。ハドソンに入社した時はマーチンD76(※1)という76万円のギターを清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入しました」
そしてハドソン入社後はレーザーディスク(LD)のソフトを買い集めるようになる。
「ハードは4、5台は買い換えましたかね。ソフトは基本的に観たい映画作品で、最終的に800枚を超えていました。実写版『ドラゴンクエスト』などゲーム関連作品もあれば、店員に騙されて買ったものもあります。秋葉原のお店に行くと、私は常連客だったので店員さんが後ろに付いてくれるんですよ。その際に『これおもしろいですよ!』ってソフトを出してくれるんですけど、なかには『アタック・オブ・ザ・キラートマト』や『クイーンコング』といったトホホな作品もあって。翌日『何がおもしろいんだよ、これ!』って文句を言いに行ったこともあります(笑)。今となっては笑い話ですが。当時は買い物をすることでうっぷんを晴らしていた、という面はありましたね」
名人グッズは事後承諾でロイヤリティもなし
コレクト熱も量もスゴい名人だが、多くのコレクターと違うところがある。それは…自身のグッズがあることだ!
「初めてのグッズは…下敷きですかね。でも、ここらへんは詳しく覚えていないんですよ。私自身グッズがどれだけあるのか把握もしていませんしね。というのも当時はグッズができた後になって会社の人間から『今度こういうのが出るから』と言われるだけだったので(笑)」
なんと数多の名人アイテムは事後承諾! 発売前に企画相談などはなかったということか。
「何もない(笑)。それに名人としての活動は会社の広報活動なのでグッズのロイヤリティはありません。そんな感じで続々と作られて行ったのがこれらの物ですね。でもこれは、たまたま私の手元に残っていた物で、ほんの一部だと思います。他にも『高橋名人の冒険島』グッズで高橋原人のスケボーチョロQ、キン消しのような塩ビ人形もありました」
名人目線でのレアグッズとは
自身のグッズを保管しているだけで〝コレクター〞になる名人。 では名人目線で「これはレア!」 といったグッズはなんだろうか?
「ハドソングッズになりますが、『チャンピオンシップロードランナー』のチャンピオンカードかな。なんといっても、これは50面すべてをクリアしないともらえませんでしたから」
レア物だけでなく名人グッズにはパチモノもあった。これは「名人グッズは売れる」という認識あってのもの。けしからんことだが、これも人気の証明のひとつになるだろう。
「有名なパチモノは『早打名人高橋くん』です。ファミコンボタンを自動連打するアイテムなんですが、ハドソン関係者が『なんだコレは!』って怒っていましたね」
そう、連射といえばハドソンの大ヒット商品、連射測定機能付き時計の「シュウォッチ」を忘れてはいけない。
「発売は87年。種類としては初号機、2号機(シュウォッチプロ)、3号機(スーパーファミコン版)、復刻版、『コロコロアニキ』限定版とあります。初号機は100万本は出荷されましたね。きっかけは『迷宮組曲』(※2)の開発スタッフが『ゲームのメモリが余っているんだけど、何か入れたいのある?』ということで、私が『子供たちは連射に夢中だから、連射計測機能を入れたら?』とアドバイスしたことで入ったんですよね。
これを発展させたのがシュウォッチだったんです。…ただ、2号機ではちょっとミスったことがありまして…。2号機は時計が15分単位になっているんですが、これは『あまり時間にとらわれるな!』という子供たちへのメッセージがあったんですよ。でも時計として使ってみると、やっぱ使いづらいんだよね(笑)。それでやっぱり時計は正確に刻んだ方がいい、と」
このシュウォッチシリーズでレア物を挙げるとすれば? 「実はスーファミタイプは2バージョンあり、箱には『NEW』というシールが貼られているんです。本体デザインやパッケージが同じなのでわかりにくいんですが…おそらく配線とか機能 ミスを直したのかもしれない」
〝公式グッズ〞を象徴する名人イラスト
そして多くの名人グッズに描かれていた名人イラスト。〝公式グッズ〞を象徴するものとしてファミっ子の記憶に強く刻まれている。
「これは小プロ(小学館プロダクション)さんの手配ですね。実は、もうひとつホイチョイプロダクションさん制作のイラストも候補としてあったんですよ。でも『どちらで作っていくか?』となった時、ホイチョイさんの返事が遅かったので、こちらのイラストになったんです。ホイチョイさんバージョンもなかなかよかったですよ。ホイチョイさんイラストはシールだけ作りました。これもレアかな?」
そのグッズが作られる際に重要なのが「高橋名人キャラクター マーチャンダイジング マニュアル」。ここには名人イラストの表情パターン、サインの版下といった資料が掲載され、また色指定などグッズ化に際して重要なポイントが詳細に記されている。
「86、87年くらいの物かな? 社外で私のキャラクターを使いたいところに渡したものです。この時期は『これに沿ってやってください』と。しっかりと説明するようになったんですね」
そして、名人は歌も名人級だったことからレコードも多く出されていた。
「レコードは現在、高値が付いているんですよね。(中古市場に)出にくいのは映画『はっちゃき先生の東京ゲーム』主題歌『友達よ』かな? これ、いい歌でお気に入りなんですけどね。 私としては各曲のカラオケを収録したベスト盤が出てほしいですね。実は私、自分のオケ曲を持っていないんですよ」
では、当時の名人&ハドソングッズを集めている方に名人からひと言!
「当時のままの形で保存しておくのは難しいと思いますが、できるだけ大事に保管していただければありがたいですね。ウチにあるグッズは…最終的に嫁さんが売るんだろうな(笑)」
それはマズい! これは一日も早い「高橋名人ミュージアム」の建設が待たれる。名人の足跡はそのまま日本ゲーム史の1ページであり、そのグッズはゲーム文化遺産なのだから!
「それは言い過ぎ(笑)。でももし誰かが作ってくれるんでしたら、作ってほしいかもね」
※1…マーチン社がアメリカ建国200周年を記念して発売したアコースティックギター。
※2…ハドソンが1986年に発売したアクションRPG。タイトル画面で連写を計測できた 。
(出典/「昭和50年男 2023年5月号 Vol.022」)
取材・文:内田名人 撮影:松蔭浩之 資料提供:高橋名人
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