出口は決まってないからおもしろい!
〝粋〞を具現化した人なのではないだろうか。自分のことを必要以上にしゃべらない。口にするのはネタにする時。その姿が憧れの対象となり、人気パーソナリティとなったのがピストン西沢だ。本人が語らないことをたずねるのは野暮の極みとはわかっているが、取材にかこつけて経歴を聞いてみた。
「最初はギターを弾いていたんだけど、FMラジオのブームが始まって“カネの匂い”がすると思って(笑)、ラジオ局に潜り込んだのが始まり。音楽の仕事として入ったんだよ」
技術屋としてこの世界に入ったという。ジングルをはじめとする音制作、番組中のミキシングなどをしていたが、ある時「番組を作れるか?」とたずねられた。「作りまくりでしょ。俺が作んないでどうすんのって」ピストンらしい冗談を利かせた答えだが、こうしてJ–WAVEで仕事をするようになった。その後、『TOKIO HOT 100』(※1)のディレクターなどを務める。
「『原稿書いたことある?』って聞かれたから、『書きまくりでしょ。見て、このペンだこ』って。本当は1回も書いたことないし、ペンだこもないんだけど(笑)。その足で秋葉原に行って、当時だからワープロを買って、1週間分の原稿を書くのに80時間ぐらいかかってさ。人に習うのが嫌いだから、1回やってみて全部消えるとか。全部自分で覚えて叩き込むっていうスタイルは、いまだにやっていますよ」
ラジオのしゃべり手は、自身もリスナーだった人が多い。だが、ピストンはAM・FM問わず、ラジオを聴いてこなかった。しゃべり手に転身したのも、声をかけられたからだったという。
「ラジオ局のプロデューサーに『お前、おもしろいからしゃべってみれば?』って言われて、FMヨコハマで喋り出したのが最初です。結局、スタジオのサブ(副調整室)でいちばんおもしろいやつがしゃべればいいだけっていう、シンプルな話ですよ」
公開生放送から一対一で呼びかける
デビューがFMヨコハマとは意外だが、その後、J-WAVEでもナビゲーター(他局でいうパーソナリティ)を務めるようになり、1998年春に『GROOVE LINE』(※2)がスタート。当初はひとりしゃべりだったが、2000年春から秀島史香とのツインナビゲートとなる。
10年に閉店となったHMV渋谷内のサテライトスタジオから公開生放送しており、ナビゲーター2人の軽妙なやり取りと、ピストンが放送を観に来たリスナーをいじることが好評を博し、大ヒット番組となった。終わったことを蒸し返すのも野暮な話だが、ミーハー心を抑えきれず、リスナーいじりをした意図をたずねた。
「来た人に話しかけると、ラジオを聴いている人も『自分に話しかけられている』と感じられるんですよね。そうすると、スタジオの中の2人が話していることを第三者が聴くんじゃなくて、『お前と一対一でやってるんだよ』って形になるんです」
ラジオはしゃべり手と聴き手がは一対一になるメディアだ。基本を押さえつつ荒唐無稽に振る舞う。この辺りも粋であり、さすがプロだと感じさせる。
生中継でのレポートではハプニングを求めた
HMV渋谷閉店の約1年前に公開生放送は終了。2010年春からは番組をリニューアルし、タイトルも『GROOVE LINE Z』(※3)となった。同番組の名物コーナーのひとつに、「ラジオゲリラ」がある。都内各所へ行ったレポーターにピストンがムチャ振りをする生中継企画だ。このコーナーを作ったのはなぜか?
「ハプニングが欲しいわけですよ。レポーターが競馬に行って、ものすごく当てちゃったりとか、夜8時に番組が終わってもそのまま残って最終レースで取ったところをツイッターで配信するとか、そういうのがおもしろいでしょ?」
ピストンはよく、「入口はあるけど出口がない」という表現をする。結末がわからない、予定調和で終わらない番組こそがおもしろいというわけだ。
「そういう番組は、スタジオの中だけではなかなか作れないんですよ。レポーターの斎藤謙策が競馬をネタにやりたいって言ったけど、それだけじゃおもしろくないから、『じゃあ、かみさんの指輪持ってこい』って言って、それを質屋に入れさせて、そのお金でやらせたり。今考えるとコンプライアンスにひっかかるかもしれないけど」
確かにドキュメント性が生まれ、リスナーも手に汗握る企画となる。馬券を買っていなくても参加している気分になり、ラジオの前で結果に一喜一憂できるのは説明するまでもない。
理想としていたのはアメリカのラジオ局
だが、ピストンも口にしたように、現在のメディアは過剰にコンプライアンスを意識するきらいがある。その他、コロナ禍による広告減少など有形無形の影響により、番組やしゃべり手が窮屈に感じることがあるのかもしれない。おもしろいことを追求するピストンが、ラジオを手狭に感じられるようになってきたことは想像に難くない。もともとピストンは、海外、 特にアメリカのラジオ局を理想としていた。
「自分の家から、朝7時とかになると『始まったよ。今日も一日みんながんばろうね。何かあったらメールちょうだい』って言って、昔だったら電話やFAXだったりも、一人でコントロールしながら夕方までしゃべって、それで終わったら、『また明日ね』みたいなノリなわけ。それを日本でできないかなとずっと思っていたんです」
ラジオにはこだわりがないとも語るピストン。『GROOVE LINE』終了後は、「自分がやれることを世の中とくっつけた い」と考えていたが、場所は「YouTubeでもなんでもよかった」という。しかし、そこでレジェンド・小林克也から声がかかる。ピストンがいなくなるのはラジオ界にとって損失と思ったのであろう。2023年3月に開局したインターネットラジオ局Heart FMの発起人、ジェイムス・ヘイブンスにピストンを紹介。夕方の帯番組『HEART ATTACK!』(※4)を担当するようになった。
「ジェイムスがいきなり俺のところに電話をかけてきたんです。『一緒にラジオやってもらおうと思うんだけど』って。だから、『いいよ、俺の家から生でやれるんだったらやるよ』って答えたのが去年の11月とかかな。それで今年の3月になるまで1回も会わなくて。顔も知らない人と『4月からラジオやるよ』って口約束で始まった番組なんだ」
新しい場所として選んだのは
これまたピストンらしい、いささか乱暴な物言いだが、こうした経緯で始まった『HEART ATTACK!』。東京にあるピストンの自宅から、名古屋にあるHeart FMをネット回線でつないで配信(放送)している。
「ハワイの放送局みたいに、Heart FMは局のWebサイトへブラウザでアクセスすれば聴けちゃうんですよ。JASRACと契約もしているから、音楽もそのまま。アプリをダウンロードする必要もない。Safariがあればいい。こうやってメディアの個人化が進んでいった時にどんな内容がふさわしいのかっていったら、よりパーソナルな要素を意識した、身近なものであるべきだよね」
『HEART ATTACK!』はピストンのYouTubeチャンネル「ピスチャンネル」でも同時配信している。番組にはメール、X、YouTubeライブのチャット欄から多くのメッセージが寄せられる。取材日も「昨日は3年ぶりの仕事だった」というリスナーの声が寄せられた。
「3年ぶりに仕事したのか、よかったじゃん。がんばったじゃん。こういうことを言ってあげると、みんなうれしいじゃん。そうやってつながりたいんですよ」
また、ピストンのラジオといえば真っ先に連想するのはDJミックスだが、楽曲も使えるHeart FMならば配信できる(ピスチャンネルでは流れない)。こうなると、なおさら電波にこだわる必要がなくなる。
「コミュニケーションとDJミックスは、1つの曲みたいに自分のなかで思っていて。それをみんなに公の場で聴かせられるプラットフォームとしてラジオはすごくいいもんだと思うけど、休みの日に他の人のラジオを聴くかって言われると聴かないし、そもそもラジオを持っていないし。自分らしさを出して、それを喜んでくれる人がいる環境がいいので、ラジオじゃなくてもいいんだよね」
自由にやれる環境を得て、ピストン自身も楽しく番組に取り組めているという。さらに、ネットラジオ局ならではの利点も生まれた。
「海外にも日本人のコミュニティがあるけど、そこに向けても配信ができちゃうわけさ。日本から。アクセスも世界中からできるし」
人口減少に苦しみ始めてきた日本の放送業界。打開するヒントも提示していると言えよう。
DJとラジオ局に求められるもの
新しいピストンのスタイルはいいことずくめである。だが、ピストンも「何十年もこの仕事をしているけど、こういう人は自分以外に会ったことがない」と述べる。なぜいないのか。答えは簡単。ピストン以外にできる人がいないからだ。
商業放送は“商品”である。大前提として、消費者であるリスナーを楽しませるものでなくてはならない。さらに、スポンサーの目が光る。先ほどのコンプライアンスの話にも通ずるが、線を手前に引きすぎればおもしろくなくなり、奥に引けば第三者を傷つける可能性がある。スポンサーも敏感になっている部分だ。言っていいこと、やっていいことのラインもわきまえつつ、大多数を満足させるのがいかに至難の業かはおわかりいただけるだろう。
加えて、音楽が使える環境であっても、むやみやたらにかけるのは豚に真珠である。適切なタイミングで、雰囲気に合った音を出すから意味があるわけだ。これらのことを、生でしゃべりつつ瞬時に判断しているのだから恐れ入る。件のDJミックスコーナーも、事前の準備は何もしていないという。
「毎日やるってそういうことなんですよ。準備したら追いつかないし、毎日やっているなかで準備するようなものって発展性がないし。毎日ラジオに出るっていうことは、全部その場で構築できるぐらいじゃないといけないんですよ。
DJミックスにしたって、その場の思いつきでボンボン変えていくからおもしろいんであって。しゃべりでも企画でもDJでも、“こっちの方がおもしろい”って考えてやっているの。大事なのはそれをやれるスキルを身につけることと、それとやれる環境を作ることなんです。Heart FMは自由に泳がせてくれているから、やっているわけ」
『GROOVE LINE』でプロデューサー、チーフディレクター、制作会社の社長、出演者を担ってきたピストン。ラジオに必要なカッコいい音も作れ、トーク力もあり、放送に必要な機材も操れる。膨大な知識と経験、技術が『HEART ATTACK!』でも遺憾なく発揮されているのだ。
「毎日やっても疲れないことっていったら、その日、本番の5分前にでも行って、その場にきたものを集めて、バァっと投げて5分後に出る。3時間の番組だったら、その3時間プラスアルファ5分ぐらいずつぐらいで終わりたいよなっていうのが、俺がずっとやっていたこと」
憧れのスタイルだ。多くのリスナーが羨望のまなざしを向けるのも納得できる。
「それをやれるやつしかラジオをやっちゃ駄目なんだって。それがラジオなんだって。海外のラジオはそういう人しかやってないんだって」
なかなか本音を出さないピストンの、心の奥をのぞいたような気がした。
楽しいのがいちばん。これからの抱負は
最後に、今後やってみたいことをたずねた。
「いろんな人が観てくれて聴いてくれたらいいし、その数が50万人とかなったらいいかもしれないけど、ネットの釣りみたいなことをしたりとか、YouTubeのいろんな人とコラボしたりとかっていうのもあんまり考えてないね。そんなにでっかくブレイクするのも別にもう狙ってないから、このまま楽しくやれたらいいんじゃない。自分が楽しいことがいちばん」
だが、地上波ラジオでピストンの番組を聴きたいと願うリスナーは多い。再びの登板を心待ちにしている。
※1…J-WAVE開局当初から続く音楽番組。ナビゲーターはクリス・ペプラー。日曜13:00~16:54。
※2…1998年春~2010年春、17年秋~22年秋。『GROOVE LINE Z』に番組名が変わった後、もう一度戻った。
※3…2010年春~17年秋
※4…月~金曜17:00~18:00 https://heartfm.jp/「ピスチャンネル」では16:00~配信している。
(出典/「昭和50年男 2024年1月号 Vol.026」)
取材・文:豊田拓臣 撮影:鬼澤礼門
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