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【最上川飛脚小判無頼捜索編 その3】小判はお地蔵様の埋蔵金という噂もあるんだゼ!
最上川の河岸を金属探知機で捜索するという手段は、根本から間違っていた。「昨日までの捜索方法は全くのムダでした!」と、隊員に衝撃的告白ができていればアタシはどれだけ楽だったか。しかし本日からの捜索に瞳を濡らし期待を膨らませた隊員を前に、心優しいアタシは告白できずひとり重い真実を抱えて夜も眠れず苦しんだ。なーんて贖罪の意識は1ミリもなく「こんな極寒の川に潜るなんてムリだから、ま、今回は仕方ねえや」アタシは早々に諦めてグッスリ眠ったのだった
最上川飛脚小判調査3日目。早朝から予定通り小判発見場所である、荒砥鉄橋上流400メートルの鮎貝側河岸を捜索に向かう。雪が降っていて移動が心配だったが、白鷹町に着く頃には晴れていた。早朝からバカみたいにはしゃぐ隊員達を微笑ましく眺めながら、小判発見ポイントの対岸(鮎貝側)の小石原を、お気楽に捜索する。
本日はウエダ隊員が剣スコで掘り出す係。金属反応があったところでスコップを入れる瞬間が楽しそうだ。張り切っているゴーイチ隊員が「今日は出そうな予感がするっス」なんて無邪気に掘りまくっているので、真実を知る隊長は笑うのを懸命に堪える。『ま、こんな所を探しても小判は出ねえんだけどな!』
昼前に捜索を切り上げて、白鷹町役場へ向かう。これから今回のメインイベントである『1961年に発見された小判』を見せてもらうのだ。小判の一般公開はしていないのだが、雑誌パワーで特別に拝見させてもらえることになった。これはウエダ隊員の大手柄。町で保管している発見物は、文政小判23枚、文政真文二分金9枚、文政南鐐二朱銀358枚。アタシもモノホンの小判を見るのは初めてだ。
意気込んで白鷹町役場のSさんに挨拶するも、Sさんはこの集団にイマイチ合点がいかない様子。そりゃそうだわ、怪しさ満点の集団だもんな。対外交渉担当のウエダ隊員が『2nd』誌を見せながらSさんに懸命に説明する。ウエダ隊員が賢いのは、当連載の寺西晃氏のイラストページだけを見せて、本文を読ませる隙を与えなかった事だ。カッコいいイラストのページを開いたまま早口で説明するウエダ隊員はキレ者なのだ!
ポンコツ捜索隊一行はなんとか信用を得て、保管場所まで連れて行ってもらう。小判との対面はよくある会議室で、某所の館長さんが挨拶もそこそこに「これねー」なんて言いながらイキナリ実物小判を素手で出してくれたので「これが発見された小判ですか!」と派手に喰いつくとか、驚きのあまり失禁するとかそういった反応が取れずに、ただただ呆気にとられてしまった。
アタシャこんなにサラッと対面に至ると想像してなかったのよ。しかしココでのまれちゃいけねえ。白手袋が用意されていたので「手袋しなくてもいいんですか?」って聞いたら「だって流通してた通貨だよ? 大丈夫、触ってみなー」なんて館長さんはワイルドに扱っている。初めて見る小判は、ホントに山吹色に輝いていて絶対的なアリガタ味があった。ようやくドキドキしながら小判を手にすると、想像よりも薄くて見た目よりズシっと重量感があった。これがモノホンの小判か! 二分金も二朱銀も持ったのだが、『金』って時間が経ってもくすんだり変色したりしないんだな。これなら川底にあっても分かりやすそう。
ただ、二朱銀の方は黒ずんだり錆色になっていたりして、川底にあったら見付けにくそうだ。実際に見て初めて分かる事がある。「これが当時見つかった小判のすべてなんですよね?」と、何気なく質問したら「出さなかった人もいるかもしれないけど、そりゃわからないなー」「え? 提出しなかった人もいるんですか!?」アタシャ、発見物はすべて提出されたかと思ってた。未提出分も考慮したら総額80両の飛脚小判は、ほぼ全額回収されている可能性が高いのかもしれん。いや、その線は想像してなかったゾ!
小判との対面に満足しお礼を申し上げて帰ろうとしたら、突然、Sさんが「発見者のTさんって知り合いなんだけど、今日いるかなあ?」と、『埋蔵文化財発見者報奨金領収書』リストの一番上に記載されたTさんの名前を指しながら言うのだ。「お知り合いなんですか?」「うちの近所なんだよTさん。話、聞きたいでしょ?」と電話をかけはじめた。もちろんお話を聞きたいが、そもそも63年前の関係者は当然高齢化していて、鬼籍に入られた方も多い。Tさんだってご高齢のはずで、いきなり話をしてくれるなんて都合のいい展開があろうはずもなかんべえ。まったく期待せずいると通話を終えたSさんが「Tさん、15分後に役場に来てくれるって」さも当然そうに言う。マジッすか!! すげえなこの展開、勝手に事が流れて行く!
こういう時は流れに身を任せるのが一番なのだ。Sさんと役場に移動して、1961年の小判発見者であるTさんを待つ。Tさんは文政小判2枚と文政南鐐二朱銀25枚を実際に発見された方である。ワクドキするアタシらポンコツ捜索隊の前に、Tさんはおひとりで現れた。我々を見て不思議そうに「どした?」と言うTさんは、御年85歳。小柄な体からは生気がギンギンに溢れ、立派な親方然とされた方だった。アタシが事のあらましをお話して、発見時のお話を聞かせて欲しい旨を伝えると「じゃあ、最初っから話さなきゃなア」と、座って姿勢を正した。「ありゃ、土用の丑の日だった。ウナギでも突きに行くかって、同級生とヤス持ってサ。鉄橋近くの最上川に行ったんだ。オレんちはその頃、鉄橋の麓にあってヨ」と、とうとうと話し出した。T親方、なんだか話し慣れてんな。
「川行ったら小学生が3人くらいいてヨ、小判見つけたなんて言ってんだ。そんなことなかんべってその小判見せてもらって、曲げたりヤスで削ってみたりしたんだワ」「小判って曲がるんですか?」「おお、やわらけえんだ。ヤスで突いたら削れるしヨ。こらホンモンだって。保管してる小判の中に、オレが削った跡が残ってんのあるヨ。で、うち戻って砂利すくうためにスコップと金網取り行ってナ。この辺で『アマ壁』って呼んでんだけど、柔らかい岩盤が川底にあって、そこの窪みに砂利が溜まってんだ。その砂利すくったら出たんだヨ、小判。みんなで手で掘ったんだ。必死で掘って爪がなくなってしまったよオ」「二朱銀みたいな小さいのはザル使ったんですよね?」「やー、川潜ったらわかるから。ザルなんか使わなかったナ。そっから話おっきくなって、みーんな探しに来たんだわ。夜、カンテラつけてやってた人もいたヨ。三日か四日は掘ってたけど、そっから大雨降ってできなくなったんダ」「その時に発見された小判が白鷹町で保管されてるんですね」「うちは親父が民生委員やってたから、見つけたのは全部出したけど、他の人が出したかはわかんないナ」
ああ、そうだった! 発見された小判がすべて保管されたワケじゃないかもしれないんだった。アタシが衝撃を受けていると「見つけた場所さ行ってみっか?」と、T親方が誘ってくれた。発見者と現地に行けるなんて、滅多にない機会だ。T親方の記憶と照らし合わせて正しい場所を確認できるのはありがたい。早速、SさんとT親方を先頭に、実際に発見された場所まで行く。
T親方が堤防の上から最上川を眺める。「だいぶ流れが変わってるナ」と呟いていたが「この辺だワ」と指差したのは、荒砥鉄橋から200メートル上流の川中だった。資料では発見場所が鉄橋から400メートル上流部となっていたが「この川底に大石があんダ。そっから30メーターくらいの間に小判があったんだワ」と明確に思い出してくれた。Sさんも現地で話を聞いたのは初めてらしく「記録より手前なんだな」と新事実に感心していた。
「ここの『アマ壁』で、砂利すくったんダ。だいぶ流れが変わったけどこの辺だヨ」とT親方の確かな証言。さらに、上流部を指差し「そこの曲がりに昔はお地蔵さんがあったんダ。小判が見つかる前に、大水でお地蔵さんが流されて、古銭がたくさん出た。砂利すくいしてた人が見つけたんだワ。でもよ、飛脚が小判落としたからって、拾わないワケないでしょ? 水が少ない時期に拾えばいいんだからナ」「まあそうですよね。大金だし回収しなかったのは不思議ですね」「だって小学生が見つけられたんだから。昔の人だって拾えたでしょうヨ。だから、そのお地蔵さんのとこに埋まってた千両箱かなんかが流れ出たんじゃねえかって噂もあったんだヨ」
「当時発見された小判はお地蔵さんの埋蔵金って事ですか?」「まあ噂だよ。小判って川の流れじゃ動かねえんだ。流れが早いとこで小判を落としても、まっすぐ足元に落ちんだから。でもなんで30メーターに渡って小判が散ってたのかダ」「や、増水なんかで動いたんじゃないですか?」「千両箱が流されてコロコロしてるうちに小判が出たのかもしれねえって話もあったんだワ」「じゃあ発見された小判って飛脚が落としたものじゃない可能性もあるんですか!?」「噂だよ、噂。でも当時、お地蔵さんトコに埋められた千両箱が流れたんじゃねえかって話もあったんダ」発見当時に囁かれた「お地蔵さん埋蔵金説」。
T親方はあくまで噂だと話してくれたが、どうなのだろうか。町に保管された小判23枚で23両、二分金9枚で4両2分、二朱銀358枚で44両1分2朱。合計71両3分2朱。提出しなかった方もいるらしいし、「飛脚小判」80両のうちほぼ全額見つかっていてもおかしくない計算だ。しかし、これが「お地蔵さん埋蔵金」だとしたら、80両以上存在していた可能性も高く、まだ未発見の小判が残っているんじゃないだろうか?
「Tさんはまだこの辺に小判が残ってると思いますか?」「まだあるだろ。探してみろー」T親方の笑顔はいたずらそうにも見えるし、本心からそう言っている様にも見えた。「わからない」からこそ、アタシは「ある」と信じたくなった。ウエダ隊員が目をギラつかせながら「夏も来なきゃですね」と呟いたのを聞いて、アタシは最上川の再捜索の決心をした。と、その瞬間、小雪と共にキラキラした祖父と飼い猫のムッチャンが天空から舞い降りて「小判はまだあるぞ(あるニャ)」と微笑みながら耳元で囁いてくれた。その言葉を聞いてアタシは「最上川にはある!」と確信したのだ。や、じいちゃんはまだ死んでねえし、ムッチャンも生きてんだけど。
(出典/「2nd 2024年7月・8月合併号 Vol.206」)
Illustration/Akira Teranishi
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