チマヨに魅せられ、オルテガ家に認められた、日本で唯一の男。

  • 2023.03.23
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アメカジの王道であるチマヨベストがまた注目を集めている。その代表格ともいうべきオルテガの総本山に幾度となく足を運び、その一族に愛された日本人は、いま新潟でチマヨブランケットを織っている。

「ベアトラック」オーナー・小林正茂さん|1961年生まれ。青山の老舗ウエスタンショップ「ベーリーストックマン」や六本木の「エミスフェール1号店」で経験を積み、地元新潟でインポートショップ「ベアトラック」を開業。米ニューメキシコ州の文化に心酔し、主にチマヨブランケットやインディアンジュエリーなどの買い付け、販売を行っている

初めてチマヨに訪れたとき一瞬で独立を決意した。

チマヨベストと言えばやっぱりオルテガ!

「変なちゃんちゃんこだな。初めてチマヨベストを見たときは正直そう思いました。色の鮮やかさも不思議な柄も今まで一度も見たことない未知の物との出会いといった感じでしたね。しかもカップラーメンが100円の時代に48000円もするんですよ? 当時オールデンのVチップとほとんど変わらないような値段でしたね。でも、これがお店でよく売れたんですよ」

そう当時を振り返るのは、新潟でインポートショップ「ベアトラック」を運営する小林正茂さん。しかし、ここでいう「お店」とは、同店ではない。小林さんが自らの店を構える以前に裏方スタッフとして働いていた六本木の「エミスフェール1号店」での思い出だ。

エミスフェールと言えば、仏アナトミカのピエール・フルニエ氏が80年代に共同経営をしていたパリの伝説的セレクトショップ。80年代中期には日本にも一時期、店舗があったのだ。店長としてバイイングにも携わっていたのはピエー ルの盟友である中村隆一氏だった。

「中村さんはエミスフェールのオープンのためにピエールとアメリカ南西部のニューメキシコへ買い付けに行きました。そこで出会った現地の民芸品であるチマヨブランケットに目を付けて、この生地をベストにできないかと提案したそうです。チマヨベスト自体は40年代頃から存在していたのですが、もっと牧歌的なものだったのでファッションとしても楽しめるような型や柄でオーダーしたんでしょうね。もちろん、それまで日本でチマヨベストを売っている店なんて一軒もなかったのですごく珍しかったですし、ふたりのセンスはずば抜けていましたね」

冒頭で記した、はじめて見たチマヨベストがちゃんちゃんこに見えてしまったこと。それは日本人にとってごく自然な反応だったのかもしれない。しかし、小林さんは次第にその魅力にとり憑かれ89年には初めてのアメリカへ。もちろん目指すはチマヨやサンタフェなど旧きよきネイティブアメリカンの風土が残るニューメキシコだった。

洋書などで見ていた景色を目前に心打たれた小林さんは独立を決意。90年には「ベアトラック」をオープンする。その翌年から2020年までの間に、年34回のペースで現地へ訪れた。

ターコイズは小林さんが最初期に手に入れたオルテガベストのひとつ。「当時はファックスやメールも使えなかったので、本に書いてあった本店の住所に手紙を送って手に入れたんです」。なかにはディープパープルやケリーグリーンなど非常に珍しい色も

オルテガこそチマヨの原点であり象徴。

それほどまでに小林さんを虜にしたのは、先祖代々、チマヨブランケットを織り続けているオルテガ家との出会いだった。

「オルテガ家の歴史は1700年代まで遡ります。まだ未開の地だったニューメキシコ周辺にはじめてスペイン系移民が入植したのですが、そのひとりがオルテガ家の初代当主ガブリエルでした。辺境の地で彼らは牧羊や紡績を根付かせネイティブインディアンたちと共存しながらブランケットを織ったのです。

最大110cm幅まで織ることができる非常に大きな織り機が店の奥に鎮座

そんなオルテガ家において、大きな転換期となったのはシカゴからサンタモニカを結ぶルートの開通、1950年代以降のモータリゼーションでニューメキシコが人気観光地として栄えた頃でした。5代目ニカシオさんは東西からやってくる旅行者に向けてブランケットや日用品を売る雑貨店を開き、大変繁盛したようです。

色・柄を確認しながらシャトルを左右に送り織られる地道な工程はどこまでも果てしない作業だ。大判のブランケットを1枚織りあげるのには、およそ2~6カ月を要するという

その後、ニカシオさんの息子である6代目デイビッドさんの提案でブランケット生地を使ったジャケットやバッグなどを作り、事業を拡大。チマヨのブランケットはナバホのインディアンジュエリーと並ぶ、ニューメキシコの代表的な民芸品としての地位を確立させました。

カラフルな太番手の緯糸(色糸)や経糸、シャトルに至るまで本家と全く同じものが使われている

いちアメリカの民芸品が今日のように世界中で愛されるファッションアイテムにまで発展したのにはオルテガ家なしでは語れないのです。いまでも地元の人々を中心に家内工業的にブランケットを織っていて、その仕組みは昔も今もさほど変わりません。

「僕のブランケットはオルテガの店にも飾られています」(小林さん)

先祖代々でオルテガを織っている家系の末裔で有名な織り手に私も何人かお会いしましたが、スペイン系移民としての団結や誇りを強く感じました。現地へ行くたびにショップや工房へ行き、おばあちゃんから若者まで、みんな楽しそうに織っている姿を見ていたら、急に自分も織りたくなったんです()。せっかくなら本家と同じものを作りたくて、現地から織り機や糸を取り寄せて今も織っています」

このシャトルはオルテガ社から授かった約100年前のもの

ベアトラックにはオルテガ家から譲り受けた100年前のシャトルが飾られている。家系や血筋を重んじる彼らにとって、それは家族の一員として認められたなによりの証ではないだろうか。

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