数々のこだわりが育む日本のアイビー黄金期。
慶伊さん 僕が純粋なアイビー・スタイルだったのは大学時代から1974年くらいまでですね。「VAN JACKET」がすごかった頃。
三浦さん 通っていた店もよく似ていますよね、慶伊さんと僕は。梅田の阪神百貨店に入っていた「テイジン メンズ・ショップ」、それから「コバヤシ靴店」……。
慶伊さん 「コバヤシ靴店」は僕もよくオーダーしに行きましたよ。ドレス・シューズを。
三浦さん 当時は〈オールデン〉なんてまだ日本に入ってなかったですもんね。僕より5歳くらい上の先輩からここを教えてもらいました。1960年代、僕がまだ10代の頃です。
慶伊さん 僕は大学を卒業してから大阪に行くから1970年代前半だな。三浦さんはそんな頃から「コバヤシ靴店」で作るなんてずいぶんおませな高校生だなぁ。
三浦さん アイビーが好きでしかたなかったですね。僕は高校時代水泳部に所属していたんですけど、高校1年の夏の練習のときに部活の仲間のひとりがマドラス・チェックのヴェステッド・ジャケット――それもライト・マドラス――を着てきたんです。
その格好をみて「うわぁ!」と思って聞いてみたらそれらの服は前田さんという方から借りてきたんだと。それで、前田さんってどんな人なんだと調べてみたら「VAN JACKET」で働いていることがわかって、僕も「VAN JACKET」に入ることにしたんです。
その頃、給料が1万円くらいだったと思うんですが、そんな時代に前田さんは〈チャーチ〉を履いていたんですよね。確か「チャドウィック」。それで、雨が降ったらその靴を脱いで懐に入れて裸足で帰っていたんです。
慶伊さん 裸足で歩くのは昔僕もやりましたよ。靴を濡らしたくないから。レザー・シューズはそのくらい大事なものだった。靴の話でいうと、僕は大学がお茶の水にあったので「平和堂靴店」はよく行ってましたね。サドル・シューズと2アイレットのチャッカ・ブーツは名品でした。何足買い替えたかわからない。
日本のアイビーが優れているのは、パーツ、素材への圧倒的こだわりから。
三浦さん 前田さんのエピソードでもうひとついうと、トレンチ・ コートって手榴弾を下げるD管やベルトのバックルは真鍮製だったんですが、その金具を僕らに“とあること”をやらせて酸化させ、それをさらに磨かせるんです。そうしていい色合いにしたものを工場に持っていく。そのパーツをつけたVANのトレンチはすごく評判になって全国からたくさん受注が入りましたね。
慶伊さん 当時のVANの商品は今でも通用する素晴らしいものばかりですよね。味だしとかパーツ、素材へのこだわりがあるから、日本のアイビーは世界中のどことも違うんだと思います。
三浦さん はい、そうですね。ある方なんかは洋服を見るのが好きで、デパートの特選品売り場――昔はインポートものはそういうところにしか置いていなかったですから――で試着したり細かいところをチェックしたりして一日中過ごすんです。それでその知識をもの作りに生かす。VANにはそんな人もいましたね。
慶伊さん そういうこだわりのある人がいたからVANは成長したんですよね。しかし僕らが街でプラプラしている頃、三浦さんは大阪で10代のときからプロに交じって働いていたわけでしょう。その時代から“本物”をやってたわけですからすごいですよね。
当時の主な出来事をおさらい。
1954年 ブランド「VAN」スタート
1964年4月 『平凡パンチ』創刊。「みゆき族」ブームのきっかけに。
1964年10月 東京オリンピック開催。
1965年 『TAKE IVY』発刊
1965年 警察の摘発により「みゆき族」消滅。
1967年 ラルフ ローレン創業。
1975年 シップスの前身となる「ミウラ&サンズ」がオープン。
1976年 「ビームス」創業。
(出典/「2nd 2022年12月号 Vol.189」)
Photo/Yuco Nakamura Text/Kenichi Aono
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