小さな部署から始まった『パトレイバー』
今やバンダイナムコフィルムワークス代表取締役として辣腕を振るう浅沼 誠氏がアニメ業界に入ったのは、OVAが誕生して間もない1986年だった。
「世界初のOVA『ダロス』が発売された83年当時、私が新卒で入社したネットワークは、まだバンダイのいち事業部だったのですが、後に分社化してバンダイグループのビデオメーカーとして独立しました。本当に小さな会社で、新卒入社は自分だけ。開発制作の部署にも10人くらいしかいなくて、現場をまわしているのが2、3人しかいませんでした」
そんな小さな部署に後にアニメ業界に大きな影響を与えることとなるキーパーソンが所属していた。鵜之澤 伸氏である。
「鵜之澤さんこそが、当時のバンダイグループにおける映像作品のほとんどのビジネスモデルを考えた人です。バンダイ(バンダイビジュアル)のビデオレーベル『EMOTION』の創設に関わられた渡辺 繁さんと同期で、2人でずっと企画製作をなさっていました。当時は鵜之澤さんも28歳くらいだったんですが、人が少ないといえども若手社員がなんでもかんでもこんなにいろいろできたのか、というくらい自由にやっていました。いい時代でしたね」
当時は、まだOVAが誕生して間もない時期で、アニメファンであっても手を出すにはハードルが高いと思われていた。
「当時、ビデオソフトが1本1万5千円くらいでしたので、よっぽど好事家じゃないと個人で買うなんてことはありませんでした。ビデオレンタル店さえほぼゼロと言ってもいいと思います。町の電器屋さんが買って、よく来る人に1本千円くらいで貸すみたいなことがあったくらいです。マニアックな家庭にやっとビデオデッキが導入され始めたという時代でしたので、ビデオソフト自体が驚くほどマイナーな存在でした」
浅沼氏は、鵜之澤氏のアシスタントとしてキャリアをスタートさせる。アニメ、特撮、プロレスが大好きだった浅沼氏にとっては、これらのビデオソフトを扱う職場は楽しくて仕方がなかったそうだ。
「入社してから『アニメ、特撮、プロレスの会社なんだ』ってびっくりしましたし、『こんなことでいいのかな』って思いましたね。だって社会って厳しいもので嫌なこともやらないといけないのに、好きなことを仕事にして食っていけるなんてと、わりと幸せでした。かといって、入社したばかりの新人が業界のことなんて何も知らないので、先輩である鵜之澤さんからいろんな業界の方を紹介していただいて仕事を覚えていくという感じでした。
本当に担当が2人しかいないので、鵜之澤さんは管理職とはいえ雑用から現場仕事までこなしていましたし、自分もこんな仕事をよく新人に振るなというくらい任されました。鵜之澤さんはフォローはしてくれるけど、全く手取り足取り教えてくれたりはしないので、すごく勉強になりました。あくまでも企画を考えるのは上司の鵜之澤さん。あとはちゃんとやっとけって言われて仕事をするのは私でした」
人が死なないロボットアニメもいいんじゃない?
鵜之澤氏とタッグを組む恰好の浅沼氏は、やがて『パトレイバー』企画に関わるようになっていく。
「『魔法の天使クリィミーマミ』のOVAを通じて、鵜之澤さんは高田明美さんや伊藤和典さんとはつき合いがありましたし、出渕 裕さんともすでに顔見知りだったようです。とある年末のクリスマスパーティで鵜之澤さんは高田さん、伊藤さん、出渕さんとばったり会って、そこで『こういう企画があるんです』とプレゼンされたと聞いています。鵜之澤さんがそこに来ることがわかっていたので、狙って持ち込んだそうですね」
もともとゆうきまさみ、出渕、伊藤が架空のアニメ企画を作って遊んでいたことは、本人たちもよく語っている。その企画のひとつが『パトレイバー』の原型となるものだった。当初は下町を舞台にしたほのぼの系アニメ企画で、最初に当時のサンライズに持ち込んだものの企画が通らず差し戻された…というのは今でも関係者間で語り草となっている。
「この企画書を鵜之澤さんが見て、意外におもしろいと。鵜之澤さんはもともとバンダイでガンプラの営業をされていましたし、『聖戦士ダンバイン』といった富野由悠季監督のアニメなどに関わっていたんですが、その頃から人が死なないロボットアニメもあっていいんじゃないかと思っていたそうです。そんな時にゆうきさん、高田さん、伊藤さん、出渕さんの4人と、一緒にやろうということになり、私も呼んでいただいて企画を詰め始めました」
©HEADGEAR /BANDAI VISUAL /TOHOKUSHINSHA
かくして動き始めた『パトレイバー』だが、肝心の監督がまだ決まっていなかった。
「最初は『クリィミーマミ』などを手がけられたベテランの望月智充さんにお願いするという話もあったんですが、最終的に鵜之澤さんが押井 守さんにしようと提案しました。押井さんは、当時『天使のたまご』を制作されてちょっと大変なことになっていた時期で、その後に作った『トワイライト 迷宮物件 FILE 538』というOVAがこれまた押井節全開の作品で、売れたといえば売れたんですが当時のOVAとしてはちょっと売れてない方だった。だから、当時すでにいっぱしの監督だった押井さんとしては、自分の企画でないものはもうやりたくないとあまり乗り気ではなかったけど、鵜之澤さんから”『迷宮物件』の借りを返せよ、と言われて受けもってもらうことになった”と私には見えました。
鵜之澤さんと押井さんは仲がよかったし、『天使のたまご』が大好きだったということもあったと思います。押井さんも『うる星やつら』で高田さん、伊藤さんとお知り合いでしたし、出渕さんとも縁があったということでうまくハマったのではないでしょうか」
ここに「ヘッドギア」の顔ぶれが勢ぞろいするわけだが、問題はそれほど潤沢でない製作費のなかでどうアニメを制作し、売っていくのか。
「一本だけOVAを作って売るというパターンだと製作費が高くつくんですよね。だから、鵜之澤さんはまとめてグロスで複数発注したら1本あたりの製作費が安く済むという発想をしたそうです」
この鵜之澤氏のアイデアを受けて、押井監督は6本のシリーズものにすること、予算規模的にロボットがバリバリ活躍するものは作れないので全編サイドストーリー的な内容にすることなどを決めていった。かくして完成したOVA『機動警察パトレイバー』は、1本4800円という低価格シリーズとして発売された。
1万円前後の価格が当たり前という時代において、破格の値段を実現できたのは、前例のない”CM入りのOVA”という仕様ゆえだった。
「テレビにはCMが入ってるじゃないか。じゃあOVAにも入れるぞ、と。メディアはビデオカセットだから、富士フイルムさんのCM(カセットテープ「AXIA」)にしよう。ちょうど今スタジオはアニメ本編を作っているんだから、ついでにCMの映像も作ってもらおう。音楽は(パトレイバーの劇伴担当の)川井憲次さんに作ってもらおう、ということで製造原価を安くしたようです」
その他、以前ゆうきまさみのマンガ『究極超人あ〜る』のイメージアルバムを作ったワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)にサウンドトラック制作の相談をしたところ、6話すべてに異なる楽曲を制作することが現場の判断で決定。その後、発売されたサントラアルバムはヒットを記録。
『ダロス』以降それほど盛り上がっていなかったOVA業界において、『もしかしてこれはいけるんじゃない?』と、みんなが乗っかってきたような気がします。プロモーションも、全巻収納ボックスを付けたり、全国のレコード屋さんと組んで上映会&ファンミーティングをしたり。OVAってそんなに宣伝をしないものだったんですが、東北新社とワーナー・パイオニアと我々でやれることはやりました」
若い力を原動力に、多くの関係者を巻き込んで船出したOVA『機動警察パトレイバー』だが、結果としてスマッシュヒットを記録。どこがアニメファンに受けたのか、という問いに対して浅沼氏は「パロディ感であり、わかってる感」ではないか、と語る。
「ヘッドギアの世代はまさにアニメ、特撮を観て育ってきた世代ですし、(それらが)大好きだと公言されています。そんな世代が作り始めた最初の作品が『パトレイバー』ではないかと思います。だから過去の大好きな作品をきちんと消化してパロディなりモチーフにしているのが特徴だと思います」
最初は盛り上がらなかった零式との闘い
OVAシリーズの後、劇場版第1作が制作される。
「押井さんも含めたヘッドギアのメンバーはOVAに対して不完全燃焼感があったんではないでしょうか。最後は少し盛り上がりましたが、やっぱり基本的にサイドストーリーっぽいのばかりだったので、もう少し本編のようなものがやりたかったのだと思います。一応売れたんだから、もう一本映画で作らせてよという気持ちが大きかったんじゃないかな。鵜之澤さんも、OVAがヒットしたからビジネス的にも大コケしないという計算があったのかもしれません」
今は不朽の名作として語られる本作だが、その完成までの道のりは一筋縄ではいかなかった。
「押井さんが絵コンテを切っていたんですが、最初、クライマックスの零式との闘いは全然盛り上がらなかったんです。ゆうきさん、出渕さんが『このラストはやめくれ』って訴えてきたんです。なかなか埒が明かないので、東北新社に会議室に押井さん、出渕さん、伊藤さん、ゆうきさん、我々、東北新社さんが集まって話し合うことにな りました。雰囲気が悪いわけじゃなかったんだけど、最終的に 押井さんが『わかったよ』と言って書き直していただいた絵コンテが本当にすばらしいものでした。
最後に野明がバシッと闘 って、川井さんの音楽が流れてスパっと終わる、潔いクライマックスですよね。変えてよかったと、関係者みんな心から思っているだろうけど、押井さんはあんまり気に入っていないかもしれません」
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その後、浅沼氏はグループのゲーム会社に異動。基本的には『パトレイバー』の現場からは遠ざかることとなる。ある意味”浅沼氏の青春が終わった”とも言えるのだがこの時期を振り返って「極論を言えば今の仕事事は当時学んだことをずっと繰り返すだけ」と語る。
「当時培った人脈やノウハウのおかげで非常に助かっています。ビジネスの勉強もしたし、クリエイターとのつき合い方も知った。さらに鵜之澤さんがやったキャンペーンの基礎も学ばせていただきました」
『パトレイバー』は後世に与えた影響も少なくはない。
「やっぱりアニメを観て育った世代が作品を作った、という意味で、あの時代のオタク文化の総決算的な意味合いがありますよね。と同時に、80年代後半から90年代初頭にかけて、歴史あるスタジオである程度年を重ねたクリエイターが作るものでなくても世に受け入れられる、というのは大きかったですね。新たな世代が作品を生み出していく時代になったことを世に示せたのではないでしょうか。内容も幅広いさまざまな要素があって、ファンもクリエイターと一緒に遊べる作品でしたしね」
現在、出渕が監督を務める新作『PATLABOR EZY』が制作中だ。当時のメインスタッフが新たな物語を紡ごうとしていることに対して、浅沼氏は「楽しみですね」と満面の笑みで答えた。
機動警察パトレイバー theMovie 1+2 SET Blu-ray』
監督・押井 守による劇場版2作品が特別パッケージで復刻され、1年間の期間限定で発売されている
映像特典 劇場特報・予告編(両タイトルとも)
発売元:バンダイナムコフィルムワークス・東北新社
販売元:バンダイナムコフィルムワークス
©HEADGEAR /BANDAI VISUAL /TOHOKUSHINSHA
©1989 HEADGEAR /BANDAI VISUAL /TOHOKUSHINSHA
©1993 HEADGEAR /BANDAI VISUAL /TOHOKUSHINSHA /Production I.G
※情報は取材当時のものです。
(出典/「昭和50年男 2023年7月号 Vol.023」)
取材・文:有田シュン
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