高校から始めたジャズダンスが出会いのきっかけ
右)CHIHARU|埼玉県出身。5歳でクラシックバレエを習い始め、18歳でジャズダンスに転向、1年間のニューヨークでのダンス留学後、ダンスチームMEGA–MIXに参加。1993年にETSUらとTRFとしてデビュー。以後、浜崎あゆみ、安室奈美恵など多数のアーティストの振付け、コンサート演出にも携わる。後進育成も熱心に行っている
中)DJ BLUE|1980年代90年代のJ–POPを軸に「大人たちが青春時代に聴いていた音楽を、今、あらためて届けたい!」というメッセージを掲げ、CD・カセット・デジタル配信・イベントのプロデュース、ラジオ「J–POPパラダイス90’s」パーソナリティなど各メディアで活躍。TRFのスタッフとして関わっていた経験も
左)ETSU|東京都出身。6歳の時にインド舞踊、日舞を習い始め、18歳でジャズダンスに転向。ダンスチームMEGA–MIXでSAMやCHIHARUと共に活動し、TRFに参加。2002年、03年には個展を開くなどアートの世界でも活躍、多彩な才能を発揮する。現在は後進の育成にも力を入れ、これまで培ったダンススキルを活かし、精力的に活動
DJ BLUE(以下、B) 今回はTRF30周年ということで、お二人がダンスを始めた頃から今現在に至るまで、ダンサーとしての視点から、いろいろと語っていただきたいと思います。まず、ダンスはいつどのように始めたのですか?
ETSU(以下、E) 私はインド舞踊から始めました。民族舞踊全般のお稽古場が近くにあったんです。6歳から高校生までやってました。教室を開ける資格取得の一歩手前くらいまでいっていたんですよ。でも高校の頃にジャズダンスブームがあってそっちに移ったわけです。
B 『フラッシュダンス』ですか?
E そう。それでジャズダンスの教室に通い始めたんです。
CHIHARU(以下、C) 私はバレエが最初です。幼稚園の帰り道にガラス張りの集会場があり、それをいつも眺めていたらしいんです。興味がありそうだからということでバレエを始めさせてもらい、その後、教室の先生が通っていた牧阿佐美バレヱ団にも通い、高2くらいまでバレエをやっていましたね。そして、その後ジャズダンスに。
B お二人とも高校からジャズダンスに入ったわけですね。1990年代にダンスグループMEGA-MIXのメンバーとしてテレビに出演するわけですが、それまではどのような活動を?
C もうずっとレッスンしていました。ジャズダンスが楽しくなって六本木のスタジオに通うようになり、そこの仲間とニューヨークへ行こうってなったのが18歳の頃。実はSAMさんとはニューヨーク時代に会っているんです。それで、現地で習っていた先生の一人が、東京の「BROADWAY DANCE CENTER」で教えることになり、私も戻って通い始めたんですね。ETSUとはそこで出会ったし、SAMさんも戻ってきて3人がそろいました。
E 本場の先生が教えてくれるスタジオで、有名ダンサーの多くが集まっていましたね。
C プロクラスという一番上のクラスがあるんだけど、クラス分けの仕組みを知らなくて一般で受けたら、誰あの子って目で見られて!
E もう、CHIHARUはスゴかった。脚が長くてヒールも履いて、プロクラスを覗いたみんなが「えっ?」となった。スゴい人が入ってきた「宇宙人!?」ってなりましたね。
C その後、SAMさんのGQマシーンというグループができて、私はそこに入ることに。これがMEGA-MIXにつながるんです。
B それで『DANCE DANCE DANCE』(フジテレビ)に出ることになったわけですね。これが90年から92年くらい。ストリートダンスという言葉も徐々に認知されるようになっていきましたね。
E この頃、ダンスがカッコいいMVも出てきました。
C ジャネットとかマイケルがまさにそう。「BROADWAY DANCE CENTER」にはマイケルの「BAD」に出演していた先生もいたから、すごく 刺激を受けました。
これで踊るの? と思った小室サウンドが大ヒット
B そして93年、TRFがデビューします。
C 小室さんがMEGA-MIXのメンバーと仕事をしていて『DANCE DANCE DANCE』を観ていたそうなんです。それで声をかけられて。
B その時どう感じました?
E 実はそういうデビュー的な話が、それまでも結構あったんですよ。
C また、そういう感じ?…と全く当てにしてなかったんです。小室さんから「みんなどんな曲を聴いてるの?」とたずねられて、メンバーが好きな曲を挙げていったんです。すると、好みとは真逆のテクノみたいな曲ができてきて! アンダーグラウンドなグループだったので「これで踊るの?」ってなりましたね。その後、マハラジャツアーで、流動的なメンバー構成でステージに上がるように。でもまだ、当時はステージよりレッスンの方を優先させていました。
E そうでしたね(笑)。
C たまたま札幌のクラブでライブをやった時に、今のTRFの5人の形になり、結果、そのメンバーでいくことに。まだ全然売れてない頃の話です。
B 正式に5人になった瞬間というのはいつなんですか??
E それがわからないんですよ。
C テレビに出る時はもう5人になっていました。
B そうこうしているうちに93年発売の2ndシングル『EZ DO DANCE』がヒットしていくわけですね。
C 曲が売れたとか、私たちとしてはわからなかったですね。
E 売れたからテレビに出てるとは思ってなかったんです。あくまでお仕事のひとつという感覚。
C テレビで踊っていても、ファンからの手紙には「CHIHARUさんとETSUさんは何をやっている人ですか?」と書いてあった。
E 当時はまだ、「BROADWAY DANCE CENTER」の舞台活動の方が魅力的に思えていました。
B でも、ツアーは楽しかった?
C そう、楽しかったんです。名前を呼んでもらえたりしたのは、うれしかったですね。
B やっぱりライブといえばSAMさん、ETSUさん、CHIHARUさんはパフォーマンスも演出も見せ場ですから。
C でも当時は、ダンサー=バックダンサーで。自分たちのツアーでソロダンスを踊ってもピンライトがこなかった。信じられます? リハでスタッフにピンをくださいと言ってもくれない! 結局、小室さんが照明スタッフに指示出しすることに…。
E そう、何回言っても私たちの話を聞いてくれなかった!
C YU-KIちゃんが間奏で水を飲んでいるところにライトが当たって。
E 私たちはその横で必死に踊っているわけです(笑)。
C 小室さんが「ダンサーのソロはギターソロと同じだからピンライトを当ててくれなきゃ困る」と指示してくださり、それでやっとライトが当たるようになった!
B そしてその後、ヒット曲もたくさん積み上げ、ある意味頂点を迎えた95年、「Overrnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~」でレコード大賞を受賞。TK DANCE CAMPもあって、後輩たちも続々入ってくる。この頃はもう、トップアーティストの仲間入りだったというイメージですが。当時はどんな気持ちでしたか?
E・C うーん…そうでもなかったよね。
C 新曲の振付けは? みたいにダンスに焦点を当てたことを聞かれるようになったのは98、99年頃からだったと。
B それは意外でした! その後にユニット名が大文字に変わったり、小室さんプロデュースから離れていったりする時代に入っていきました。
C 2000年から2006年までTRFのリリースがなかったんです。02年にa-nationの第1回があったんですが、最初、私たちは出演できないって話もあったりして…。
B え~!? なるほど、そんな時期もあったんですね。でもその後、結果としては、a-nationはTRFが爆発的に盛り上げる、というのが恒例に! そしてTRFなしでは考えられないものに!
C TRFがいちばん盛り上がると言ってくれるお客さんが多いと、後々語られるようになったんです。
乗り気じゃなかった!? DANCERCIZE
B いろいろなことがあったんですね。リリースがない頃は裏方のお仕事もされていました。
C 自分たちが前に出ることがなくても、あゆ(浜崎あゆみ)とか、安室奈美恵ちゃんたちの裏方で、演出や振付けをやらせてもらっていました。それは、本当によかったですね。
B 現在も、後進育成を精力的にされているイメージも強いです。
C レッスンはもちろん、さまざまなオーディションやコンテストの審査員も数多くやってきました。
E そしてキッズから大人までダンサー人口はスゴく増えましたよね。
B まさにダンサーとしてのお二人の功績だと思います。そして 2013年には『EZ DO DANCERCIZE』がヒットし、再ブレイクとなりました。あの時はどんな流れだったのですか?
E 実は、ずっとやりたくないと、抵抗していたんですよ。
C ダンスはやせるためにやっているわけじゃないから。純粋にみんなが楽しく踊れるように振付けをしているんです、そこをわかってくださるならやりましょうと。
B でも、それが大ヒットした。
E 売れちゃったんだよね。
C エイベックスとしては本当に大穴だったでしょうね。きっかけは本意ではなかったけど、やってみてよかったなと思っています。結果、楽しくやせられたという声も届いてうれしかったし、安心しました。
B 20周年のツアーには、『DANCERCIZE』のタイミングでファンになったという人も多く来場されて踊っていましたね。
C 意外とみんな踊りたかったんだなって気づきました。90年代のTRFファンが、お子さんを産み、体型が気になりだすタイミングでもあったのかな? そこもあったのだと思います。
B キッズからティーン、中年層、シニアの世代までダンスを好きで踊る人たちは明らかに増えたと思います。それはSAMさん、ETSUさん、CHIHARUさんの90年代からの活動が実を結んだからと感じています。TRFって本当に、ダンスでも、新しい形のユニットとしても、後進育成という面でも、パイオニアですよね! そんな流れがあり、今、TRFデビュー30周年を迎え、なお、パフォーマンスし続けていますよね。
C 仕事のスケジュールもあるので、毎日は難しいけど、基本はやっぱり踊りたい! 準備しておかないともうムリですけど(笑)。
E もうね、ちゃんと準備しなきゃ、骨折しちゃう(笑)。
あらためて聴くと、TRFの曲は泣けちゃう曲ばかりだった
B いちばん大好きなダンスを続け、今もダンスと向き合っている、やはりお二人は素敵だとあらためて感じました。おそらく、読者のお子さん世代はダンスに興味がある子も多いのではと想像しています。子供たちへのメッセージをお願いできますか。
C ダンスに限らずですが、自分がやりたいと思うことがあったらやってみてほしい。すぐには答えなんて、絶対に出ないからとにかくやり続けていく。その忍耐力はまた次のことに役に立つと思いますね。すぐにあきらめちゃうのはもったいないよ!
E 私はすぐにあきらめちゃうタイプなんだけど(笑)。でも、ダンスをやりたいという気持ちはムクムクと出てきて。何度も何度も壁は訪れるかもしれないけど、ちょっとでも好きだなとか、やりたいなという気持ちがあるのなら、その気持ちを大事にして続けていったらいいんじゃないかな。少しずつでもいいからがんばろうって。
B 好きなことを続けるすばらしさ…お二人から本当に伝わってきます。今日のお話を聞いたらなおさらで、実はたくさんの驚きも、悔しさもあった30年間だったんですね。
C でも、私たちって幸せじゃないですか。好きだと思うことが続けられる環境にいるから。
B 「幸せ」という言葉、素敵ですね。TRFで踊ることが本当に好きだと言えるようになったのはいつ頃だったのですか?
C ちょうど、a-nationの頃じゃないかな、2006年あたり。最初は自分たちの曲がよい曲なのかどうかもわからなかったんですけど、a-nationでみんなが楽しんでくれる、知っていてくれるということってスゴいんだなと直に感じました。本当に小室さんへの感謝が尽きないです。
B 小室さんへの感謝は、TRFのメンバーみんなの想いでもありますよね。
C 本当にすばらしい曲をいただいたんだなと、感じています。
E 私の思い出は、2006年再始動の最初のライブの時。セットリストが出てきて、本当にじっくり曲を聴いて歌詞もあらためて読んでみると、本当に泣けちゃう曲がいっぱいあったんです。a-nationでみんなが歌ったり踊ったりしているのを見た時もうれしかったけど、自分自身がTRFである喜びを体感できたのは、その時だったのかもしれない。本当に申し訳ないんだけど(笑)、こういう曲で踊れて幸せだなと思えるようになったのは、意外と最近のことかもしれないですね。
C スゴいですよね。これだけの 曲があるというのは。
B a-nationでも他のライブでも、幅広い世代が一体になって盛り上がる。こういうことができるユニットってTRFだけだと思っています。
C 純粋に盛り上がれますよね。だから、今度の武道館(24年2月18日公演)も、TRF世代の人は楽しみにしてくれているんじゃないですかね。
B これからも、もっともっとTRFで世の中を盛り上げていってほしいです!
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(出典/「昭和50年男 2024年3月号 Vol.027」)
取材・文:半澤則吉 撮影:英里 ヘア&メイク:太幡勝己(Allure)/半田桜子(Allure)