正規音源を聴きまくったからこそ楽しめるアウトテイク

川口:それでも、私はこれも継承かと思い聞かせました。そうそう。今日話をしようと思って、もってきたCDがあるんですよ。ブートの『ロック・バンド』。ビートルズのでたらめというかいい加減具体が極まったのが、これだと思っているんですよ。今日は4枚組ではなく2枚組のやつを持ってきたんですけど。
竹部:ジャイルズが関わる前のものですが、貴重音源の宝庫ですよね。
川口:このCDで、初めてフェイド・アウトしていない音源が全部聴けたじゃないですか。すごく驚いたわけですけど、そういう貴重な音源をゲーム用に初出ししちゃうのがびっくりしたわけで。
竹部:たしかに。ブートでまとめられたから聴けるようになったけど、本来はゲームをやらないと聴けなかったんですよね。なぜゲーム用?そこじゃないでしょ。みたいなね。
川口:ここで「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のアウトロまで完奏で全部聞けたときの感動って言ったらなかったじゃないですか。
竹部:感動しました。最後にジョージが「♪Yeah Yeah Yeah」ってシャウトする部分が聴けて。
川口:ビートルズにはこういうデタラメさがずっと付きまとうんだろうなっていうことを思ったんですよ。
竹部:なるほど。『ロック・バンド』を聞いて思ったのは、ビートルズってアウトロの演奏って早めに終わらせてしまうんだなってこと。「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」は長い方だけど、だいたい短い。だからビートルズのアウトロってフェイド・アウトが早いんだって。「デイ・トリッパー」とか。
川口:フェイド・アウトにしなくてもいいだろ、みたいな(笑)。
竹部:昔の感覚からすると、こういうアウトテイクが普通に聞けてしまう状況って、どうなんですかね。昔は限られた音源の中で妄想を働かせていたわけじゃないですか。
川口:最初はそれでよかったんですよ。正規音源を死ぬほど聞いて、聴きまくったからこそブートを味わえる状態になっているから。
竹部:その言葉をジャイルズに聞かせてあげたい。
川口:本当に。最初からアウトテイク聞いていたんじゃないかな。じゃないとああいうリミックスが出来ない気がする。
竹部:あと、ビートルズのいい加減さ、デタラメさについて思うのは、解散後にジョンがヨーコ、ポールがリンダを音楽パートナーにしたことですかね。音楽的にはほぼ素人の妻に音楽をやらせて、ステージまで上げてしまうという。この二つのカップル以外なかなか例がないじゃないですか。
川口:「バンド・オン・ザ・ラン」のイントロのキーボード……。
竹部:『ピース・イン・トロント』のヨーコのシャウト……。ファンとしてこれはもう違和感なく受け入れている部分があるんですが、今日のテーマであるビートルズのデタラメな魅力を考えていたら、ふとここに行きついたんです。『ゲット・バック』見ていても、普通にヨーコがいるじゃないですか。冷静に考えたら変ですよね。川口さんは『ゲット・バック』について思うことはありますか。
川口:あの行き当たりばったり展開をよく全部映像撮っていたなという。
竹部:最後、ルーフトップ・コンサートで終わるということなんて思わずに回しているわけじゃないですか。あれもビートルズによくある神業ですよね。
川口:あとは「ゲット・パック」ができる瞬間を記録しているのがすごい。
竹部:ポールが鼻歌で始めるところですね。
川口:曲ができる過程がフィルムに収められているのってあれ1曲しかないですから。
竹部:ストーンズの『ワン・プラス・ワン』ってそういうシーンあるんでしたっけ。「悪魔を憐れむ歌」ができる瞬間というのは。
川口:あるんだけど、肝心なサンバのアレンジになる瞬間だけがないんですよ。撮り忘れじゃないかと思うんだけど。
竹部:そういう意味で言うと、「ゲット・バック」は、完成までの過程が映像として残されているわけですよね。そのほか『ゲット・バック』は8時間もあったから情報量が半端なかったですよね。
川口:マジック・アレックスの正体がバレてからメンバーにバカにされているところ、これがちゃんと撮られていてよかったな。あと、顔を知らなかった裏方のスタッフがボンボン出たのも嬉しかった。グリン・ジョンズって結構キリアン・マーフィー似でかっこいいなとか。イーサン・ラッセルはこんな女性っぽい人だったんだ、とか。あと、動くディック・ジェームスを初めて見たな。モーリン・コックスもクリッシー・ハインドみたいでかっこいいなって。
竹部:この時期のジョージ・マーティンの映像も珍しいですよね。最初の頃はやることないからさ、所在なげ感じで。アップル・スタジオに移ってから存在感が出てくるんですよね。
川口:この時期の4人は仲が悪いと言われていて、ふざける余地もないような関係なのかなと思いきや、結構楽しんで演奏していますよね。『レット・イット・ビー』はなんか意図があったのかなって気がする。マイケル・リンゼイ・ホッグは最初からバンドが終わったように編集したかったのかな、みたいな。
竹部:『ゲット・バック』のハイライトはやはり最後のルーフトップ・コンサートですよね。そこは『レット・イット・ビー』と変わらない。
川口:ジョンのギターソロってけっこうレアなのに、よく「ゲット・バック」みたいなシングル曲でソロを弾いたなっていうね。
竹部:途中でジョージがいなくなったから、おれがリードギターを弾くしかないかなと思ったんですかね。
川口:うまくはないけど、味はあるから。
竹部:それにしてもルーフトップ・コンサートの演奏は神がかっていますよね。ジョンの歌詞間違え以外はほぼノーミスですからね。
川口:スタジオでやっているときは、緊張感がなかったのに屋上に出た瞬間一気に引き締まったじゃないですか。あれは叩き上げバンドの力っていうか。
竹部:藤本さんは、「原点に戻ったハンブルク時代のビートルズ」と言っていて、まさにそうなんだなと思って。
川口:客がいるとショーマンシップが思い起こされるんでしょうね。『ゲット・バック』に関しては、あれで終わるのではなく、翌日のスタジオの映像も入れてほしかったですけどね。
竹部:「レット・イット・ビー」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」「トゥ・オブ・アス」ですね。そうなんですよね。そこは『レット・イット・ビー』で観ろということなのかもしれないけど、やはり『ゲット・バック』にも入れてほしかった。
川口:あれも入れてくれなきゃと思って。
たっての願いで実現させたコステロのオマージュ

竹部:こうやって話を聞いていると、音楽プロデューサーならではの指摘が多い。そもそもの話をうかがいたいのですが、川口さんは最初からレコード会社で制作をやりたいと思っていたんですか。
川口:そうですね。レコード会社で音楽を作る仕事しか考えていなくて、就職のときにレコード会社全メーカーを受けたんですよ。通ったのがビクターと創美企画で。制作希望なので、そうなると当然日本人だから歌謡曲、ポップスということになりますね。
竹部:すぐに制作に配属されたわけではなく……。
川口:入社から10年営業でした。主に地方での営業だったんですが、CDが売れていた時代だったからそれはそれで楽しかったんですよ。一生営業やろうと思ったくらい。それで 2000年か2001年くらいのときに「制作やらないか」って声がかかって、異動して、そこから本当にいろんなことやったんです。最初は学芸部だったので、吹奏楽や純邦楽、ジャズで聞くシリーズとか、自然音の波の音とかコンピとか。その流れで『大阪ソウルバラード』をやったんです。
竹部:あれは大ヒットでしたよね。最初に言いましたが、そのときに知り合ったんですよ。あと冒頭に言い忘れたけど、のこいのこのコンピがありましたよね。あれは印象に残っていて。そこからアーティストモノをやっていくわけですか。
川口:記憶が曖昧なんですけど、色々やりましたね。濱田高志さんとTVエイジ・シリーズっていう復刻ものレーベルを始めたりとか。もうやり尽くしたっていう気持ちはありますね。
竹部:ポッシボーはかなり真剣に応援しましたし、楳図先生のCDにも協力させてもらいました。どれも思い出深いです。いろいろ手掛けたなかで、ビートルズ・テイストがわかりやすい形で反映されたのって、SOLEILってことになるんですかね。
川口;そうですね。SOLEILはサリー久保田さんと一緒にやりましたしね。ビートルズ・テイストは出ていますよね。
竹部:SOLEILには期待していたんですけどね。ちょっと残念な終わり方でした。
川口:ラストアルバムのジャケットは私のたっての願いでコステロのオマージュをやりましたからね(笑)。どうしてもこれをやらせてって言って。
竹部:SOLEILのアルバムに原田真二さんが楽曲提供していて、それでもちょっとお手伝いさせてもらいました。
川口:そうですよね。ありがとうございました。
竹部:あの曲、よくないですか。「恋の発熱40℃」。
川口:最高ですよ。
竹部:もう一度制作に戻る気はないんですか。
川口:ないですね。病気したのが大きかったですね。病気は精神にも影響するんですよね。そのままコロナに入っちゃって。
竹部:川口さんが制作をやっていないのは音楽業界の損失だと思うんですけどね。
川口:そんなことないですよ!ポップミュージックは若い人がやればいいんです。
竹部:でもぼくは川口作品を待ち続けたいと思いますが。今後も定期的にビートルズ・メールくださいね(笑)。
川口:気づいたことがあったら。ジャイルズのことをまたメールしますよ(笑)。
竹部:続きを話しましょう。今日はありがとうございました。