すべての商品の裏にある、「物語」を語れるワケ。
「それ、胃薬のノベルティです。胃のムカつきを表したすごいキャラでしょ」
「この首振り人形はオハイオ州立大ので’60年代製かな。それ以前だと石膏ですからね」
古着の半袖スウェットにキャップをあわせた太田貴章さんは、丁寧かつ嬉しげにおもちゃや雑貨の物語を教えてくれた。太田さんがオーナーを務めるのは埼玉県の南側、新狭山駅の近くにある『ジャックスマート』だ。
’50年代〜’90年代を中心に旧いアメリカントイ&雑貨店。ディズニーやアメコミのキャラトイはもちろんペンズオイルのイカした缶やデイリークイーンのストアサインとか。旧いアメリカの色や形をまとったモノが、約30坪の中にごちゃっとある。実に“堀りがい”と“語りがい”のある店なのだ。
「僕が本当に好きなものだけを仕入れていますからね。以前は休日に家にいてもソワソワしたほど。『早く店に行って好きなものに囲まれて仕事したい!』って(笑)」
そう言う太田さんだが、まだ40歳になったばかり。アメリカンヴィンテージのキャラや雑貨にハマるにしては、やや若く感じる。が、「小学生の頃、リアルタイムでハマった経験が大きい」と語る。
小学生で? リアルタイム?
「いや。小学生の頃は逆に『学校に行きたくない』って子でしたからね。実際6年間ほとんど不登校。だからアメリカのキャラや雑貨が好きになり、今ココで、好きなものに囲まれているんですよ」
エアマックス95でも、エヴァでもなかった。
太田さんは1982年生まれ。出身は埼玉県川越市だったが、父親の転勤で小1の時、長野へ行った。幼稚園の友だちと離れ離れになったこと、また規律の厳しいトラディショナルな学校だったことから。「もう行かない」と、数日のみで不登校になった。
「ひきこもりではなかった。母が外に連れ出してくれたりもした。ただとにかく強い口調で皆と同じことを強要してくる学校がイヤで。僕の居場所じゃないなって」
自然と日中は家でぼーっとテレビを眺める時間が多かった。気がつけば、昼過ぎに毎日放映している映画を観るのが日課に。『大脱走』『アメリカン・グラフィティ』『ポセイドン・アドベンチャー』……。何かと旧いアメリカ映画ばかり流れ、それにハマった。
「小学生でリアルタイムだった」とはそういうことだ。
「あとはBSでやっていたアメリカのアニメも。『ルーニー・テューンズ』とかとくに好きでした」
10歳の頃、川越に戻ってからも小学校は通わなかった。ただし中学になると一転。皆勤賞かというほど、地元の公立中学校に通いはじめて、違和感なく過ごした。いや。ひとつ違和感があった。
「好きなモノの話が合わなくて」
1990年代後半の男子中学生。スニーカーといえば、エアマックス95。映画といえば『タイタニック』。アニメといえば『エヴァンゲリオン』の時代だった。
けど、太田さんは違った。スニーカーならばキャンバスオールスター。映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。アニメといえば『チキチキマシーン』だった。
「マイノリティでしたね。ずっとカッコいいと思っていたのが、少し旧いアメリカの映画なので、ファッションやデザインもやっぱり自然にその辺が好きになった。『他と違うほうがいいじゃん』って価値観もこの頃に芽生えました」
高校でも変わらなかった。高1になって最初のアルバイトをしてもらった給料で、復刻したダンクのノースカロライナとワッフルトレーナーを買ったほどだ。あと同じ頃、強烈に魅かれたコレクションアイテムがあった。
「PEZ(ペッツ)でした」
「欲しい」を集めた自作のスクラップブック。
1940年代にウィーンで生まれたペッツは、アメリカに進出して以降、進化を遂げた。時代時代のコミックやテレビの人気キャラのヘッドをつけた商品を続々と発売。コレクターズアイテムとなったからだ。’90年代は日本でもこうしたペッツが人気に。もとよりアメリカの旧いキャラクター好きだった太田さんに、刺さった。
「キャラも完成されすぎていない造形もたまらなく好きで」
友だちと原宿に古着を買いに行くとペッツを扱う雑貨店に立ち寄り、掘った。『このスヌーピーは初期の頃のだね』とか『帝国の逆襲が公開したときは興奮した』。そんな商品にまつわる話をスタッフから聞くのも、たまらなかった。
「けれど、あれこれ何でも買えるわけじゃない。なので、雑誌で欲しいペッツを見つけては切り抜いてスクラップブックに。自分だけの『欲しいペッツ写真集』を勝手につくって、眺めるほどでした」
大学に入ると、スクラップブックはウェブサイトに変わった。存分にバイトもできたので、ペッツのコレクションが増えた。ただ並べるのはつまらないから、写真を撮ってそれを自作のウェブサイトにコメント付きでアップした。
気がつけば3000にまで増えていたペッツのコレクションサイトは愛好家には知られた存在に。設置した掲示板には、同好の愛好家の書き込みが溢れ、ときに個人売買のプラットフォームにもなった。
「でも何より、学校ではほとんど見当たらなかったペッツ好き、おもちゃ好き、海外アニメ好きとつながれたのが嬉しかった」
あふれる偏愛。だからって仕事にしようとは思いもしなかった。大学を出たあとは、バイト先だった医療検査の会社にそのまま就職。2年後には転職するも、総務の仕事で粛々と働くだけだった。ペッツから始まったアメトイや雑貨のコレクションはフィギュアや雑貨など多彩に増えた。野球好きだったためスポーツものも集めるなど充実する一方だったが、あくまで趣味。そのつもりだった。
「『マメですね』と言われるけど、違う」
『ジャックスマート』立ち上げのきっかけの一つは、当時付き合っていた彼女との別れだった。 2009年、27歳だった。
「ショックもありましたが、結婚資金に貯めたおカネが余って」
同じころ、もう一人の女性が去る。姉が、義兄の転勤のためニュージャージーに引っ越したのだ。タイミングを感じた。人生を仕切り直すなら好きなことで、と考えた。当然、アメトイだ。資金は、使うはずだった貯金があった。仕入先となるだろうメリカは、姉が住むようになって身近になった。また店舗運営は「3年もてばいい」などとよく聞いた。
「3年後につぶれたとしても30歳。なら挑戦してみようかなと。またちょうど川越の駅前に3坪ほどの空き物件が出ることも知ったんです。ひとまず商品はコレクションがまさに売るほどあったし」
こうして『ジャックスマート』は、たった3坪から始まる。店名は、中学時代の呼び名「ジャック」からとった。店は人通りの激しい商店街にあったため、結構な客入りはあった。しかし、あくまで冷やかしでしかない。むしろ裏側の施策がうまくハマった。
「ちょうどインスタグラムが流行りだす直前だったんです。店のサイトを立ち上げると同時にインスタのアカウントも開設し、商品を毎日、アップするのが日課になっていました。よく『マメですね』って言われるけれど、ただ好きなだけ。個人サイトと同じですよ」
だから反応も同じだった。
「バットマン、最高」「川越まで行きます」「首振り人形も欲しくなる!」。楽しみながらの頻繁な更新のおかげで、ペッツやアメトイで検索すると上位に入り、コメントが踊った。ウェブやインスタから多くのお客を得たのだ。
「むしろ冷やかしでただ覗くだけのお客さんはいらないなと。もっと多くのモノを置け、本当に好きな人だけにきてもらえる場所に引っ越そうと狭山に来たんです」
以前の十倍近くになった店はフラッと入るお客さんはほぼ皆無。空いた時間は、じっくりとサイトの更新に使えるようになった。そして、あえて訪れてくれる同じように「好き」なおもちゃや雑貨を求める人には、たっぷりと商品の話と、思い出を語りあえる。
ごくごく稀だが「子供が不登校で悩んでる」なんて話を振られることもあるそうだ。くったくなく、こう答える
「『大丈夫じゃないですか。僕も6年くらい小学校いかなかったけれど、何とかやってます』って」
店は3年はおろか、今年13年めを迎えた。掘りがいと語りがいのある店は、実に“やりがい”のある、最高の居場所だった。
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