「Pt.アルフレッド」代表・本江さんと「ブリティッシュメイド」永田寿さんの出会いとは?
永田さんは、80年代のアパレル業界をタイムリーに通過した世代の代弁者です。足元だけ見てもコンバースからレッドウィング、ウエスタンブーツが突然ドライビングシューズに変わるような、目まぐるしく混沌とした時代。お尻が大きくて裾がキュッとしたペグトップジーンズに象徴される、通称スーパーカジュアルや、リーバイス501にパラブーツを合わせるようなフレンチカジュアルの大きな波がはじめてやってきたのもこの時代です。
現在は英国系老舗輸入卸商社「渡辺産業」に籍を置き、いまでも直営店「ブリティッシュメイド」のGINZA SIX店で現場に立ち続ける。そのバイタリティと独特の風貌は、間違いなくアメトラの巨人と言えるでしょう。
通称スーパーカジュアル。アメリカから欧州へ
VANに紐づく和製アメトラの余韻がまだ残る70年代、永田さんはハイティーン期を迎える。自宅のある東京・柴又から上野アメ横へと通い詰め、「シップス」の前身となる「ミウラ」を筆頭にインポートショップのスタッフからファッションのイロハを学んだという。
「あの頃の上野のスタッフさんは皆、本当におしゃれでしたし、独特な雰囲気がありました。なかには理不尽なくらい高圧的な方もいらっしゃいましたが(笑)。後にシップスの副社長となる中村裕さん(現在は退任)がとてもフランクに対応してくれたのを今でも覚えていて、彼をはじめ、洋服の着方やウンチクはスタッフさんから学び取る、その人に覚えてもらったり、気に入られたいがためにオススメのアイテムをなるべく買う、みたいな時代でしたね(笑)」
高校卒業と同時に一旦は調理師として就職するも、ファッションへの興味や情熱を断ち切ることができなかった永田さんは、知人のコネクションからオープン間もない「ベイリー・ストックマン」に3カ月のアルバイト期間を経て加入した。
「老舗とはいえ、スタートは74年でしたし、ことアメリカものに関しては二番煎じ的な立ち位置にあり、気運的にも何かしら変化を求めていた頃でもあったので、ヨーロピアンカジュアルの発掘に乗り出しました。僕らもイタリアの『ボール』などいくつかのブランドを卸しはじめ、メディアがそんな欧州ミックスなスタイルを、“スーパーカジュアル”と銘打ってフォーカスしはじめたのです。ボールの成功を受けて、次に目をつけたのがフランス発の『マリテフランソワジルボー』。それまではアンダー1万円が当たり前だった時代にあって、2万円以上するジーンズが飛ぶように売れるのを目の当たりにし、これからは欧州ブランドだろうと、一気に舵を切っていったのです」
フランス解釈の次世代アメカジ到来
当の永田さんは「会社では力を入れていましたが僕自身の興味はまだ全然アメリカにありました(笑)」と言うものの事業はさらに拡大され、永田さんも販売職から営業職を経て、2nd誌読者にはお馴染みのピエール・フルニエさんがバイヤーを務めていた伝説的セレクトショップ「エミスフェール」、そしてそのエントリーショップにあたる「ハリス」の国内店舗の立ち上げ、運営にも携わることとなり、社の意向から「ストックマン」の兄弟会社にあたる「カネマン」へと籍を移している。
「それまではアメカジと言っても特にウエスタンスタイルに特化したショップにおりましたし、急にスーパーカジュアルやフレンチカジュアルに興味を持てと言われても若干の抵抗があったことは事実です(笑)。とはいえ、実際に売上を上げていたのは後者でしたし、徐々にながらも意識をアップデートしていきました。
エミスフェールにはオープン当初、現在『アナトミカ』に在籍している中村隆一さんがスタッフにいて、僕は営業や卸しから関わることになりました。僕らを筆頭にアメカジを通過した世代が発信する新たなスタイルとしてフレンチカジュアルが浸透しはじめ、特にアパレル業界の方たちに重宝されていたと記憶しています。続いてスタートしたハリスは、エミスフェールの廉価的立ち位置でパリでオープンし、その東京第一号店に僕も販売と卸しで携わることになりました。
『トラディショナル バイ トランザット』というショップオリジナルブランドやフランス発のカジュアルブランドに加え、アメリカからピックした501などのデッドストックも同時に展開していましたが、僕がアメリカものに強かったこともあり次第にバイイングなども任されるようになっていきました。とはいえ、個人的には営業職の方が面白かったかな(笑)。各地の名物ショップを廻り、いろいろな人や彼らならではのスタイルに出会えるのも新鮮でした。
特に覚えているのが、熊本の『ブレイズ』という老舗インポートショップです。代表の有田さんはじめスタッフ全員が素足にレザーシューズで統一していたのは本当に衝撃的でしたね。特に80年代はまだメンズ、レディスを問わず、あらゆるものがミックスされていた時代だったと思います。アメリカ産のワークブーツにウォッシュのかかったフレンチデニムを合わせるといった、今となってはある意味おかしな組み合わせも当時は新鮮に映りました。けど、こうして振り返ってみると、本当に混沌とした時代だったと思いますね(笑)」
源流へと立ち戻り気分は英国へ
VAN台頭の60年代、アメ横に端を発した70年代のインポートブームまでを正統派と位置づけるのであれば、確かに80年代は極めてカオスな時代だったと言えるだろう。ファッションビルとも呼ばれたデパートタイプの量販店が乱立し、正当流儀からあえて逸脱することで無理矢理オリジナリティを獲得していった国内DCブランドの台頭まで象徴的なワードはすべて実のない泡のように掴みどころがなかった。
そんなバブルが弾け飛んだ90年代初頭に起こったアメカジ回帰や渋カジブーム、原宿を震源地とするドメスティックなストリートブームを経て成熟期を迎えると、2000年代以降は“10年選手”や“一生モノ”といったコンサバなワードが多くの誌面を賑わせた。
「60年代に多感な時期を迎えたVAN世代から、僕ら世代もなんだかんだ入口はアメリカだったと思うのです。西海岸のアウトドアやヘビーデューティといったちょっとラフなスタイルから、東海岸のお行儀のいいアイビーやプレッピーまで、解釈こそ違うもののアメリカへの憧れからファッションに目覚めた方が大半だったと言えるでしょう。とはいえ、それが80年代に入って良くも悪くも細分化していきました。
今で言うところのハイファッションに突然傾倒し始める先輩なども見てきましたし、いわゆるDCブランドと呼ばれる亜流の台頭もあって、遊び場や遊び方もそれぞれのスタイルに合わせるように変化していったのです。それが90年代に入ってようやく分脈ごとに整理され、それぞれのテイストを正当流儀で楽しむようになっていったと、個人的には考えています。
僕は現在、ブリティッシュメイドに籍を置いていますが、それもエミスフェールやハリスの営業時代からのご縁あってのことですし、あの時代があったから今があると思っています。それに個人的なルーツはやっぱりアメリカものなので、この歳になった今でも新しい学びが少なくありません。
例えば『フォックスアンブレラズ』なんて、昔は「なんでこんなに高いんだろう?」と思っていましたが、自分がバイイングに関わるようになってその理由に納得したり。英国、アメリカ、フランス、イタリアとメンズファッションにはそれぞれの魅力と個性がありますが、個人的にはどれもいいとこ取りで楽しみたい。結局、優柔不断なんですよね(笑)」
BRITISH MADEのIVY ITEM
永田さんが近年愛用する名作たち。上から/「ジョセフ チーニー」のハドソン。8万8000円、「ブリティッシュメイド」のブレザー6万9300円、「グレンロイヤル」のレザートート。9万7900円(すべてブリティッシュメイド 銀座店TEL03-6263-9955)
本江MEMO
この歳になるとなかなか呑みにもいけず。同じく趣味は自転車とのことで「今度走りに行こう」ってのもなかなか叶わなかったのが、久しぶりに連絡して今回の熟練業界人企画への出演を快諾していただきました。最初の打ち合わせは新宿中央公園のオープンテラスで「昔の中央公園怖かったね〜」って話から弾みをつけて、本番で40年以上前の昭和の洋服屋の現場話もたっぷりすることができました。同行した編集長も知らない逸話が満載で、当時の写真や現物をたくさん用意してもらい充実の取材となりました。
(出典/「2nd 2024年4月号 Vol.203」)
Text/Takehiro Hakusui Illustrator/Maki Kanai
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