兵器としてのリアリズムの段階で、値打ちのあるものになるはず
アニメ好きの昭和50年男なら、「スタジオぬえ」の名前は必ず聞いたことがあるだろう。大河原邦男と並んで日本のアニメ界におけるメカデザインの草分け的存在であった宮武一貴らを擁する、前身から数えて創立50年を数える企画集団だ。
1970年代、スタジオぬえはさまざまなアニメのロボットやメカのデザインを担当していたが、なかなか自分たちのアイデアが通らないという力不足も痛感していた。そんななかで立てられた企画のひとつが「ジェノサイダス」だった。
「ロボットものではない本格的なSFを、ロボットに匹敵する魅力のある主役メカを使ってできないか、ということで企画を立てました。これは星系全体を滅ぼしてしまうほどの戦いで、主役メカも魅力的で新しいものができたと思っていたんです。ところがスポンサーからは、子供の目にどう映るのか全く読みが利かないので、主役をロボットにしてほしいと言われたんです。その提案したメカというのが、二足歩行メカで逆関節の、つまりガウォークの前身なんです」
要求を成立させることは可能だが、メカに自信があるからこそ、できれば妥協はしたくはない。そんな討論を重ねるうちに、2年の月日が経過してしまう。ぬえはスポンサーを説得するのに時間がかかりすぎた。そして「ジェノサイダス」の企画を捨て、新しい別の企画として動き出したのが『マクロス』だった。
企画をスタートさせるにあたり、まず主役メカが大事になる。それがバルキリーで、デザインは当時ぬえのメンバーだった河森正治だ。
「河森から『人型に変わって、中間段階でガウォークにもできます』という話を受け、形をチェックしました。なんとなく戦闘機に見える形じゃなくて、トムキャットがロボットに変形するなら、それはいける。ただ、『技術的にものすごく難しいことになるから、間に合うかどうかもわからない』と言われましてね。それでも、彼の才能は信用できる。『君はそれに専念してくれ。僕は、間に合わない時の保険として、スポンサーが納得するロボットを作るから』と言って作ったのが、3体のデストロイドなんです。
モデルの上半身をすげ替えれば、機能の違うロボットが作れる。これはドイツのレオパルド戦車とゲパルト対空砲 のように、実際にもあることだし、兵器としてのリアリズムの段階で、値打ちのあるものになるはず、と思いつきました」
ある意味、主役メカを一本立てでいく格好で、万が一に備えたわけだ。そして、スタジオぬえがバルキリーのアイデアをスポンサーに話すと、今度は大乗り気。メカの完成度の高さが、企画を大きく前進させていったのだ。
宮武デザインの『マクロス』メカは多数あるが、代表作はやはりマクロスだろう。デザインのこだわりポイントはどういったところだったのだろうか。
「いかに大きく見せるか、と言いますか。苦もなく大きく描いてしまったような感じをどうやったら表現できるか、といったところでしょうか。これは、僕のこだわりなんです」
自分で経験し、体験して、初めてデザインの深くに進むことができる
宮武は実家の家業の関係で、幼少期から自衛隊(当時は警察予備隊)に馴染みがあり、船を見て育つ。そして、米軍から最初に海上自衛隊が譲り受けたフリゲート「はたかぜ」の初航海の時、宮武少年も祖父と一緒に招待され乗せてもらっている。
「その時に生まれて初めて動く軍艦というものに乗って、船の大きさを実感しました。僕もずっと育ちが横須賀ですから、記念艦の三笠はいくらでも触って見ています。でも、その時に乗ったはたかぜは”生きた船”なんです。岸壁からはたかぜに手を触れてみると、船の振動がビリビリと伝わってくる。手が張りついてしまうくらい冷たくて、硬い。艦尾から艦首までぐるっと見回しても、一枚の鉄の板がずーっと続いていて、リベットがボンボン打ってあって…。僕は、子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、それはどうやっても小学一年生に描けるものではなかった。軍艦の力強さ、生命力、迫力というものは身体のなかに入ってくるんですが、大きすぎて表現のしようがなかったんです」
大きな軍艦の絵を描くことができない悩みをずっと抱えたまま、宮武はその後プロになる。そして、『宇宙戦艦ヤマト』の仕事でそのことが全部返ってくる。
「大きな船をいかに大きいまま、一枚の絵で描けるか。その試行錯誤を重ねながら、自分なりに到達したところがありまして、それが魚眼レンズ寄りの広角レンズのムービーで描くことだったんです。一瞬の絵ではなく、カメラをパンするだけの時間を、一枚の紙の上に焼き付ける。絵を見る側にとっても、その時間をかけて見てしまう絵が大きなものなんだと自分で発見し、それ以来、巨大な船が描けるようになったんです」
幼少期の体験がようやく宮武のなかで昇華され、彼の絵の特徴となっていく。それは当然マクロスにも表れている。また、他のメカにも話が及ぶと、こんな話が出てきた。
「僕も河森もそうなんですけど、実証主義的なところがありまして。自分で経験し、体験して、初めてデザインの深くに進むことができるんです。ヌージャデル・ガーなどのパワードスーツですが、あれって実は腕が腕のパーツの中に入ってないんです。胴の中で胸にある短いガンのグリップをもっていて、戦闘でスーツの腕がもってかれても戦い続けることができる。でも、この姿勢のまま人間は自由に走れるのかを検証しなくちゃ納得できない。ということで、当時ぬえの近くにあった川っぷちで、深夜1時とか2時に、その姿勢で実際に足だけで走り回りました。
そして、手を固定しても人間は走れるということがわかり、このデザインでいこうとなったんです。リガードも、中にゼントラーディが入っているとは全く思われないようにしようと河森が考えていまして、それならイスの上で小さくなればいいよねと、河森自身が実際にパイプイスに座って身体をギリギリまで折って、だいたい丸い球体に収まったから、じゃあこの格好で戦うよう…というような実験をやりました。アイデアとして考えることはできるけれども、実際に試すことができるんだったら試してみなくちゃ、というのが、スタジオぬえらしいところなんですよね」
よく、スタジオぬえのデザインはSF造詣に深いとか、ディテールが細かいとか言われるが、それはあくまで絵とか見える範囲での話。その裏で宮武たちは、しっかりと身体を使ったり、足を運んだり、体験したりと、試せることは試しまくっている。これがあるから、スタジオぬえのデザインは血の通ったデザインになるのだろう。
※このインタビューは、『昭和50年男』vol.20に掲載されていたものを再編集したものです
(出典/「昭和50年男 2023年7月号 Vol.023」)
取材・文 サデスパー堀野 撮影 坂本光三郎
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