81年4月から放送が始まった『ベストヒットUSA』
それまで土曜の夜といえば文化放送の大友康平司会の『明治製菓提供ザ・ビートルズ』だった。半年間聞き続けた番組もこの4月で終了。入れ替わるように今度はラジオ日本で『衝撃のビートルズ 栄光の軌跡』が始まった。放送時間は土曜の夜10時か11時だったような……。パーソナリティの星加ルミ子が、ビートルズの歴史を時系列に細かく追っていく内容で、正規音源だけではなく、ブート音源を流すなど、マニアックな部分もあり聴きどころも多かった。
が、電波の入りづらいラジオ日本ということもあったのか、『ザ・ビートルズ』ほど熱心に聴取することはなかった。録音したテープはいくつか残っているが思い入れは薄く、それよりもやはり気分は『ベストヒットUSA』であった。レコードが将棋直しになっていくタイトルバックも印象的だったし、そのバックに流れる音楽もまたお洒落。ブリジストンの一社提供のCMでは「アイ・ゲット・アラウンド」が流れていて、ビーチ・ボーイズに興味をもつきっかけにもなった。
洋楽の最新ヒットを紹介する番組であっても、お目当てはビートルズ。とはいうものの、81年の時点でビートルズがトップ20に入るはずもなく、とりあえずはジョンの「ウーマン」のチャートアクションを追いかける程度だった。しかし、その「ウーマン」もジョンとは関係ないイメージビデオみたいなものが流れてがっかりしたことがあった。その後『ダブル・ファンタジー』から「ウォッチング・ザ・ホイールズ」がシングルカットされたが、さすがにランクインすることはなかった
ジョージが歌ったジョンの追悼曲「過ぎ去りし日々」
そんな折、6月あたりからトップ20にジョージの「過ぎ去りし日々」がチャートインしてきた。そもそもジョージは80年暮れにジョンの『ダブル・ファンタジー』と同じタイミングで『想いは果てなく〜母なるイングランド』というニューアルバムを出す予定で、日本でもジャケットとともに告知されていた。しかし、ジョンの訃報により発売延期。半年後にタイトルはそのまま、収録曲とジャケットが変更されリリースの運びとなった。その差し替え曲の先行シングルとしてリリースされた「過ぎ去りし日々」はジョンの追悼曲で、しかもポールとリンゴが参加しているという話題性もありチャートを賑わせ始めた。
第一印象は、追悼曲のわりにはアップテンポで明るい曲調だなということ。多少意外な感じもしたが、特筆すべきはそのビデオクリップであった。ジョンとジョージをフィーチャーしたビートルズの映像が細切れで編集されているのだが、これがファン2年目のわたしにはたまらなかった。『ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ!』『マジカル・ミステリー・ツアー』『レット・イット・ビー』の映画をはじめ、「日本公演」「シェア・スタジアム」「エド・サリバン・ショー」などのライブ映像、さらには「ヘイ・ジュード」のプロモビデオなど、見たことのない映像と、観たことがあっても綺麗な画質の映像がこれでもかというくらいに出てくることにとにかく驚かされた。当時はまだ映画『ヘルプ!』『マジカル・ミステリー・ツアー』『レット・イット・ビー』は未見だったので、これが初見ということで、想像を掻き立てた。
以降、「過ぎ去りし日々」のチャートアクションとビデオクリップの確認を目的に『ベストヒットUSA』を観ていたのだが、徐々にチャートに入っているほかの曲にも目移りしていき、ビリージョエル「さよならハリウッド」、キム・カーンズ「ベティ・デイビスの瞳」、スモーキー・ロビンソン「ビーイング・ウィズ・ユー」、ホール&オーツ「キッス・オン・マイ・リスト」などが気に入りだした。
そんななかでこの時期、もう1曲ビートルズ関連がヒットしだした。スターズ・オン45の「ビートルズ・メドレー」だ。ジョン、ポール、ジョージに声がそっくりなスタジオ・ミュージシャンを集めて作ったスターズ・オンというグループのビートルズ・メドレーが、世の中のビートルズ待望論と合致し話題になった。声が似ているのはもちろん、演奏の雰囲気もオリジナルのグルーヴを的確に捉え、なにより選曲が抜群で、私もすっかり気に入ってしまった。シングル以上にアルバムのロングバージョンが素晴らしく、当時は何度も聴き返したものだ。以降、たくさんのコピーバンドを楽しんできたが、その原点となるのはスターズ・オン45である。
ブートで聴いた『想いは果てなく』のオリジナル盤
話をジョージに戻して、私が『想いは果てなく〜母なるイングランド』を買ったのは輸入盤(アメリカ盤)で、購入場所は石丸電気だった。初めて聞くジョージのソロアルバムとなったが、このジャケがどうにもなじめなかった。それは昨年末にオリジナルのジャケットを見ていたからである。横顔のジョージの髪の部分がイギリスの国の形になっているデザインが美しく、それを期待していたものだからとても残念な気がした。インナーバッグに配置された針が刺さったジョージの顔写真にも引いてしまったし。
内容自体はジョージならではのポップな佳曲が並ぶ親しみやすいアルバムといった印象。「ホンコン・ブルース」がお気に入りだったが、翌年、細野さんバージョンの「ホンコン・ブルース」を知り、その聴き比べも面白かった。
それからしばらく経ったあと、80年代後半あたりに『想いは果てなく〜母なるイングランド』のオリジナル版、1980年12月に出るはずだった形のブートを西新宿で入手した。やはりジャケはこっちのほうがしっくりくると思ったのはもちろん、改訂版ではカットされていた曲にいい曲があったことに気づかされる。とりわけ「サット・シンギング」はジョージのキャリアの中でも屈指と言えるほどの名曲で、なんでこれがカットされたのか不思議でならなかった。「サット・シンギング」は、個人的にいちばん好きな曲かもしれない。
が、この「サット・シンギング」は公式な形でCDには収録されていない。1988年にリリースした限定豪華本「Songs By George Harrison」の付録シングルの中の1曲として収録されただけで、04年に新装(ジャケは元のジョージの横顔バージョン)された『想いは果てなく〜母なるイングランド』にも入っていなかったのはなんとも残念だった。