異色の経歴からフィギュア制作を開始
「僕は昭和43年生まれなので、『ウルトラマン』の再放送世代で、超合金とかおもちゃをたくさん買ってもらって遊んでいる普通の子でした」
自身の生い立ちと、フィギュア制作を本業とした経緯を語ってくれたのは、CCP代表の延藤なおき氏。
「『キン肉マン』は、中高生の頃に観ていたのですが。小学校の頃にイジメられて、強くなりたくて空手を始めた時から、『ヒーローになりたい』というのが僕の原点にあって。そこから自衛隊で空手をやり、国体の強化選手になり。その後、キックボクシングに転向し、世界ランキングにも入るのですが、ケガで引退することになって。その時に『ヒーローになりたい』という気持ちが再び戻ってきたのです。格闘技の道へ進むというのもあったんですが、クリエイティブの方が好きだったので、この道を選び、ここでヒーローになりたいと思ったんです」
キックボクシングで全日本2位、世界3位まで進んだ後、フィギュア制作に転身するという延藤氏の経歴は他に類を見ない異色さである。
CCPは『どこまでリアルに作るのか?』を追求
「フィギュアを始めた頃は、本当にお金がなくて。昔のおもちゃがめちゃめちゃ高いということを知って、なかでも限定品に惹かれて、『だったら自分で作っちゃえばいいじゃん』というのが、最初でしたね。97年頃で、当時は『スポーン』とか、アメコミのフィギュアが流行り始めた頃だったんですが、フィギュアという言葉は今ほど一般的ではなく、『フィギュア王』って雑誌が出て、“大人がコレクションするフィギュア”が初めて認知されたんです。それまでは『いい大人がおもちゃを集めて』みたいな時代でした」
現在のように、自分の好きなアニメの精巧なフィギュアを簡単に手に入れることができなかった97年頃。延藤氏はおもちゃではなく、アート作品を制作する意識でフィギュア制作に挑む。
「陶芸や掛け軸を作るのと同じ思いで作るんですけど、おもちゃ売り場に並ぶとキャラクターグッズとして見られてしまう。 それを払拭したかったし、後世に残る作品を作りたいという思いで作ったのですが、今はそんなことも言う必要はなくて、造形さえ見れば、『これはすごい』って理解してもらえるようになりましたね」
自身のルーツである『スペクトルマン』や『ウルトラマン』からフィギュアの制作販売を始め、次に挑んだのが『キン肉マン』だった。
「08年、『キン肉マン』29周年の時に、フィギュアの制作販売を始めました。やはりキン肉マンのフィギュアを作っている他社と差別化しなきゃいけないなと思い、僕が掲げたコンセプトは、“もし超人が実在したら”というもの。CCPは『どこまでリアルに作るのか?』という部分を追求しました。最初に作ったのがバッファローマンだったんです。ボディビル選手のリー・ヘイニー(※)を参考にした、“フロントラットスプレッド”という広背筋を見せるポーズで、広背筋の分厚さを表現しました」
リアルな肉体美や質感をとことん追求したCCPのフィギュアは、他とは一線を画していく。
「次に作ったのがペンタゴン。ペンタゴンは設定上、115kgあるんですが。だとしたら僧帽筋や三角筋、広背筋が相当厚くないと飛べないはず。もしも、背中に羽が生えていたらこうなるだろうと、すごく分厚く作ってあるんです。そういうCCPのこだわりやコンセプトがよく 伝わるものを作りたかったので、ペンタゴンを選んだんです」
ヒーローに憧れて身体を鍛え、 自衛隊のレスキュー隊員で身体の治し方を学び、格闘技で身体の作り方や使い方を学んできた延藤氏。筋肉の造形美にこだわったフィギュア作りに、自身の経験が大いに役立っているという。
「現在こそ、裸のフィギュアだと血管も入れるし、ボディビルの身体にトレースするのが普通なんですけど、当時は筋肉の造形美に、そこまでこだわったメーカーはなかった。それに関してはウチがパイオニアだったと言えると思います」
商品化した超人は1200種以上
延藤氏が『キン肉マン』にハマった中高時代、ギャグ路線からシリアス路線へと変化していった“超人タッグトーナメント編”が彼の心をつかんでいく。
「ブルース・リーやジャッキー・チェンがモンゴルマンと重なったり、テレビで観ていた『ワールドプロレスリング』が『キン肉マン』の世界観と重なったり。あの時代は僕も世の中も格闘技に染まっていましたね」
延藤氏が、ゆでたまご先生と直接お話したのは、フィギュア発売後の対談企画でのこと。監修という形で関わっていた先生に「いつも驚かされています。毎回、チェックするのが楽しみです」とお褒めの言葉をいただいた。
「ゆでたまご先生は、造形から色まですべて監修してくださって、ほぼ一発OKをいただけるのですが、毎回、緊張します。そして、先生のクリエイティブな発想にいつも驚かされているので、僕らも『先生だったらきっとこうしたいだろうな』と時間をかけて考え抜いて。主要キャラ以外の場合でも、自分たちなりのアイデアを加えて、しっかり作り込んでいます」
頭の中のアイデアをフィギュアに落とし込む時、最も大変なのは“量産すること”だそう。
「一個作るだけなら、原型師と相談しながら作れるのですが、量産するのに苦労するんです。たとえば右腕と左腕のグラデーションが違うとか、指定した色と違うとか、そういった点で苦労することが多いですね」
CCPでフィギュア化した超人は千人を超え、CMC(CCP Muscular Collection)シリーズは1200種類を超える。
「ほぼ、全超人出したかな? アメリカ遠征編や超人オリンピックの超人はまだ網羅できていませんが、“超人タッグトーナメント編”から、“王位争奪編”までの超人は全部出したと思います。一方、『キン肉マン』の連載は続いているので、これからは 新作の方から出していく感じですね。でも当初は、ここまで出せるとは思わなかったです。一瞬で負けたレオパルドンとか、普通出さないですからね(笑)」
そして、やはりうれしいのがファンからの反応。イベントでの生の声はもちろん、最近は海外からの歓喜の声も大きい。
「一番人気の超人は、アタル(キン肉マンソルジャー)。キン肉マンより人気があります。フィギュアを買ってくれるのは、やはり40代の人が多いですね。会社で役職に就いている方も多いので、そこから企業とのコラボレーションの話が進むことがあっ たり。さらには日本人だけでなく、海外のコレクターも多くて、中国出張の際も、コレクターつながりで、現地の芸能人の方と会食したり。これもキン肉マンがつないでくれたご縁ですね」
近年は学研の図鑑『キン肉マン「超人」』が発行される他、2023年はアニメ『キン肉マン』の放送40周年を記念して東京タワーでは「キン肉マン展」が開催され、さらに新作アニメシリーズの放送も発表された。今再び注目が集まっている。
「もう10年以上、キン肉マンのことばかり考えて。寝食共にキン肉マンと過ごしている気分です(笑)。まだ連載も続いていて、ゆでたまご先生は、「死ぬまでキン肉マンを描く」とおっしゃっていますから。先生が描き続けているうちは、僕もフィギュアを作り続けますし。今後、どんな超人が出てくるのか? 僕も楽しみで仕方ないです」
※…1984年から1991年まで、世界最高レベルのボディビル大会『ミスターオリンピア』を8連覇した伝説のボディビルダー。
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