ニール・イニスから授かった粋なメッセージ

竹部:妄想は止まりません。野口さんの原田真二研究はいつから本格化したんですか。
野口:竹部さんと会ってからですよ。それまでも原田真二の音源とかインタビューが載った雑誌とか、何に使うのかわからないけど買っていたわけですけどね。初めて会ったとき、私、レジュメを作ったでしょ。40周年に向けてのイベント、本の企画。あれはいろんなミュージシャンの記念イベントをリストアップしたうえで、原田真二でやるとすれば何ができるかっていうのを考えたわけです。聞いてくれるのは竹部さんしかいないと思っていたから。あの辺から研究が本格化していたたわけです。
竹部:「原田真二マニアック」実現まで長い時間がかかっているんですね。「原田真二マニアック」は僕よりも野口さんの熱い思いがイベントに結実したんですよ。それにしてもイベントで披露するプレゼンシートが素晴らしい。野口さんが教授だからというのもあるんですが、そもそもの性格によるものですか。
野口:一番は男性の原田真二ファンにちゃんと原田真二の音楽を聞いてほしいっていう思いですよ。実はこういう話が好きな男の人は多いんですよ。ネットでファンの人たちと知り合う前は、原田真二ファンの男性と話したことが1回もなくて、一人でファンをやっていた。そんなとき、ネットで知り合った原田真二ファンの人たちが何人かわざわざイギリスまで会いに来てくれて、夜中まで話をしたりしていたんです。そのひとりが先程名前を出した黒田さんなんですけど、みんな誰にも負けないぐらいの熱い気持ちをもっていんですよ。そういう人たちをここに集めたいっていう気持ちがものすごくあった。それとこれまで誰も聞き出せなかった話を本人の口から引き出したかった。95年くらいに『ビートルズ・アンソロジー』がありましたでしょ? ああいうアプローチで原田真二というアーティストをやらなければという気持ちですね。
竹部:性格的に研究が得意っていうか好きなんですよね。
野口:私はストーンズのブライアン・ジョーンズがとにかく好きなんですよ。彼にまつわるものをとにかく集めまくったんですね。そのきっかけはもうひとつあって、先ほども話したように私はサッカーが好きなわけだけど、かつてジャンルカ・トト・富樫さんというサッカー解説者がいて、80年代の終わりから90年代にかけて個人的に仲良くしていただいていたんです。インターネットがまだない時代、とにかくサッカー雑誌は買いまくるみたいな感じで調べていたら、その富樫さんに驚かれるくらいサッカーが詳しくなっていた。そういう性格もあったんじゃないですかね。誰もが知らないことを知りたいみたいな。
竹部:それって仕事にも当然活用されて。
野口:今になってみると、仕事のトレーニングとして役に立っていますよ。
竹部:「原田真二マニアック」は講義のようでもあるんですが、もともと先生になりたかったんですか。
野口:それが全然なりたくなかったんです。原田さんが青山学院だから青山学院に行っただけであって。彼は経済学部なんですけど、私は文学部の教育学科に受かってしまったから、そうなると教員になるしかなくて。もし経済学部に受かってたら、教員にはならなかったかもしれないですよね。
竹部:いまは教育学の教授ですよね。
野口:これも成り行きというか。学校の教員をやりながら、教育学に関しても調べまくったんですよ。実際の授業で使えるか使えないかというよりも、教育の原点はどこから来ているんだろうと思って、調べたくなって。そうすると「あなた、教員やってるより大学に勤めた方がいいんじゃないの」と言ってくださる方がいて、今に至るんですけど。ことごとく言えるのは、原田真二と会っていなければこういう仕事はしていない。マニアックに調べて、聞きたい対象ではあったことは間違いなくて。
竹部:原田真二の音楽は、刺さる人ってとんでもなく深く刺さる。けど刺さらない人には全く刺さらない。それはどんなアーティストにも言えることかもしれないけど、その理由はなんなんですかね。
野口:やっぱりオリジネーターとしての強さがだと思います。最初にも言ったけど、誰かのコピーをした、誰かを意識してそっくり作ったっていうのとは全然違うところからきている人なんですね。
竹部:僕は原田真二を聞いたあとにビートルズやポールにはまって、それからあらためて原田真二を聞いて、両者に似たものを感じたわけですね。そうなると勝手に両者を結びつけたくなって、研究しはじめた。でも真二さんと話しているとことごとく覆される。意味がないってことに気づかされる。たぶん当時、レコード会社の人から参考までにこれ聞いてみなよって渡された音源を1、2回聞いただけで、別に作品に取り入れたわけではない。
野口:「デイ・トリッパー」の話をしていいですか。あの曲のイントロは、あの例のリフがダブルトラックの左チャンネルと右チャンネルで流れてくるんだけど、『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』というアメリカのアルバムのバージョンだけ左チャンネルのギターから始まるんですよ。なんかのトラブルでそうなっちゃったのか。意図的なものじゃないんだろうと思うんですけど、そういうミックスが出てくる。ほかにも、ビートルズの曲って、え? みたいな音が入っていたりすることが多いじゃないですか。うまく伝えられないけど……つまり、ある種そういうハプニングも含めて作品に出てきちゃうバンドだと思うんですね。
竹部:原田真二にもそれがあると。
野口:さっきの「MARCH」も含めてそういう部分が自然に出てきちゃうところがすごいなって思う。


竹部:野口さんは原田真二のほかにも、ストーンズやRCサクセション、ムーンライダーズなんかにも詳しいんですけど、最後にニール・イニスとの交流について聞かせてください。
野口:ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』っていう映画があるじゃないですか。私はあれを確か81年だったと思うけど、町田で行われたビートルズ映画祭みたいな催しで初めて観たんです。当時はまだソフトになっていなかったから。東芝EMI主催だったと思う。星加ルミ子さんがゲストで、自分が取材に行ったときの話とか解説を聞いて、本編を観たんです。
竹部:そんなイベントがあったんですね。
野口:星加さんも客席で、私の近く観たんです。面白い映画だなと思ったんですが、いちばん良かったのがボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの演奏シーンで、それまでそのバンドのことを全く知らなかったから、すごく残っちゃって。彼らのレコードを探しても売ってなかったのでさらに気になってしまって。その前の時期に東京12チャンネルでラトルズの映画が放送されたことがあったんですよ。当時はなんて面白いんだと思ったんだけど、ボンゾズのメンバーの一人がそのラトルズのニール・イネスだっていうことがわかった。そしてラトルズのレコードを見つけるんですよ。
竹部:ラトルズは僕も好きです。
野口:そういうことがあって、98年にイギリスに行ったとき、偶然ニールのライブが私の務めていた日本人学校のそばであったんです。これは行かねばと思って、同僚のジョンというイギリス人と一緒に見に行ったら、小さなカフェみたいなところで、お客さん20~30人ぐらいしかいないんですよ。そこでピアノとギターの弾き語りスタイルでやっていたんです。
竹部:その頃のライブって、オアシスの「ホワットエヴァー」の原曲「How Sweet To Be An Idiot」もやっていたんですか。
野口:やってないと思う。ラトルズの曲がメインだったから。私はオアシスってあまり聞いたことなくて、その曲も知らなかったんです。後から聞いてみたら、本当に同じだと思った。
竹部:クレジットにニール・イニスが追加されましたからね。
野口: 70年代~80年代にかけて、ニールはしょっちゅうテレビに出ていたらしいんですよ。お笑い番組とかに。だから、ニールは音楽をやるお笑いの人っていうことで人気があったみたいですね。ライブを見たら、作曲能力の高さに驚いた。そこでCDを売っていて、買うとサインしてくれるというんで買ったんです。それでファンになって、そのあともネットでライブ場を探して、行くようになったんです。毎回行っていたら「お前いつも来てんな」みたいに声かけてくれるようになって。
竹部:それも貴重な話ですね。
野口:本屋でフリーライブをやったとき、終わった後にまた同じCDにサインをしてくれと言ったら「お前バカじゃないのか、変わってんな」って。そしたニールが「一緒に写真撮ろうぜ」って言ってくれて、一緒に行った同僚のジョンに撮ってもらったんです。それが私のfacebookのプロフィール写真になっているやつで。そのときニールが面白いこと言ったんです。“If We Put Our Heads Together, We’ll Make a Real Arse Out of Ourselves”。つまり俺たちが頭をくっつけると、まるでお尻兄弟、つまり大馬鹿者だぜ!(註:If we put our heads together, we can solve anything.という有名な英語のことわざ“みんなで知恵を出し合えば、どんなことでも解決できる=三人寄れば文殊の知恵”をパロディにしたもの)そこにいる人たちは爆笑で(笑)。それからもイベント行くたびに認知してもらってフレンドリーになって。
竹部:根っから面白い人なんですね。では本当に最後に。「原田真二マニアック」はどう決着をつけなきゃいけないのかについて。
野口:決着の付け方は色々あるんですけど……。次はいつなんですか。やらないんですか。
竹部:野口さんがやる気であればやりますよ。とりあえず、クライシス時代で一区切りと言っていたので小休止していましたが。では来年やりますか。
野口:前にもちょっと話したかもしれないけど、『マジカル・ヒーリング』の前に幻のアルバムがあるんですよね。クライシスとしてレコーディングしてたアルバムが1枚あるはずなんですよ。当時の記事を持っているんで間違いないです。だからそれをボツにして『マジカル・ヒーリング』を作っているんですよ。あれは一体どうなったのかっていう話をしたい。
竹部:「ティアドロップス」の頃ということですか?
野口:「ティアドロップス」が出たあとにアルバムをレコーディングしていたはずで、そのひとつが「ブリーズ」だと思うんです。「ブリーズ」は『マジカル・ヒーリング』に入っていたシングル曲「永遠を感じた夜」のB面に入っていたじゃないですか。
竹部:確かにあれはおかしいと思いました。「永遠を感じた夜」はソロなのに「ブリーズ」の演奏はクライシスですもんね。
野口:ここら辺はどうしちゃったのか。それだけで特集に値すると思っていて。あと、『マジカル・ヒーリング』も謎が多いんですよ。あれはどういう意図でアメリカのエンジニアにミックスダウンを頼むことになったのか。それまでなかった流れですからね。
竹部:Michael Brauerって言う人ですよね。
野口:私は『サウンド&レコーディング』で、名前は見たことがあった。だからびっくりしちゃって。
竹部:勝手になんか編集されちゃったっていう話ですよね。
野口:原田さん、言ってましたよね。でも、そういう星のもとなんですよ。あのアルバムはアメリカでやっただけあってすごくいい音しているのにそれがどこのスタジオでミックスダウンをしたのか書いてない。そもそも日本のどのスタジオでレコーディングしたのかも書いていない。費用もかなりかけているようだけれどいまひとつわからないことが結構ある。
竹部:気になります。『マジカル・ヒーリング』は大好きなので。ではやりましょう。日程を調整しましょう。そういえば真二さんは来年デビュー50周年なんですよね。
野口:やっぱり『フィール・ハッピー』の50周年盤やらなければならないと思いますよ。私たちでジャイルズ・マーチンのようにミックスやり直したいですよ。
竹部:いいですね。「タイム・トラベル」も原田真二マニアック視点のリミックスで。
野口:そうしないと50周年が盛り上がらないですよ。
竹部:まだまだやることがありますね。とりあえず、早く次の「原田真二マニアック」やりましょう。
