原田真二の特異な才能を検証する「原田真二マニアック」

竹部:2022年から始めた「原田真二マニアック」。足掛け4年で計9回、番外編を入れると10回。原田真二史では84年リリースの『モダン・ヴィジョン』まで検証してきました。前半戦を終えての感想はいかがですか。
野口:当初考えていた成果が上がっているかというと、いろいろ思うところはありますが、私と竹部さんの清い志でなんとかその方向を保てているというところでしょうか。
竹部:前回は真二さんと古田たかしさん、関雅夫さんのクライシスのスリーショットを実現させた。ファンとしてできることはやったのではないでしょうか。
野口:これだけ濃密なことをやり続けた人はいないと思いますよ。
竹部:原田真二マニアックは普通のアーティスト研究ではないですから。真二さん以外のアーティストでもここまで濃い研究をしている例はあまりないのではというレベルです。
野口:いないと思いますよ。持ち上がるわけじゃないけど、竹部さんが『昭和40年男』をやっているからできている部分は大きいんです。毎回、時代背景を検証するために特集記事の素材を提供してくれるじゃないですか。あれで原田真二の作品の時代性がわかる。ああいう情報はネットで探しても、ジャストのものは出てこないし、間違いも多い。データが正確だから自分のうろ覚えの記憶を修正してくれる。この間の回で『モダン・ヴィジョン』のアルバムの発売日の間違いを見つけたじゃないですか。記憶の中では気づいていなかったけど、ネットの情報を見てあれおかしいぞって思いはじめて、いろいろ調べたら案の定。
竹部:ウィキペディアはもちろん、原田真二の公式HPでも『モダン・ヴィジョン』のシングルもアルバムの発売日が1984年3月21日になっているけど、実際はアルバム、LPは4月5日だったんですよね。
野口:なぜ3月21日とされているのか。その間違いの発端がわかりました。アルバム『ドゥーイング・ワンダーズ』の販促パンフレットから間違っているんです。そこから販促スタッフが変わったのか。
竹部:そうだったんですか。
野口:それ以前とそれ以降で違うんです。今度その証拠もお見せします。繰り返しますけど、ネットの情報は間違いがたくさんある。だから、竹部さんが作るデータは非常に助かった。
竹部:記憶って曖昧ですよね。この連載でも、自分の記憶と実際の日付を照らし合わせると、微妙に違っている。ネットでは調べられない細かな情報については、当時の紙の資料で探すしかないんですよ。
野口:だから当時の資料は重要なんですよね。

竹部:「原田真二マニアック」でも当時の貴重な紙資料を基に検証していますよね。ところで現時点での、野口さんの個人的なハイライトというか、これが発表できてよかったって、聞き出せてよかったっていうのは。
野口:私は「MARCH」のカウント問題(註:1979年11月21日に発売された9枚目のシングルレコード。原田真二本人がカウントを数えて演奏が開始する仕様となっており、翌年発売されたベストアルバムも同じバージョンである。ところが同年に作成されたベストアルバムの「ゆうせん」用見本盤にはカウント削除バージョンが出現しており、これが1980年代以降に発売されたベストCDで採用されるなど、そのベストCDの種類によって「カウント有」「カウント無」の二つのバージョンが混在することとなった)ですかね。
竹部:「MARCH」のカウントボリューム問題! あの曲大好きで、ずっとシングル盤を聞いていたんですけど、最初の「ワン、トゥ、スリー・フォー」のボリュームが小さいのが残念に思っていたので、自分が監修した『ゴールデン☆ベスト』のときに、フォーライフの担当者にカウントのボリュームを上げてくださいとお願いしたいんです。実際に聞いてみて、上がっていると思っていたら実はその前のベスト(註:1998年『The World of Shinji Harada』)のときには既に上がっていたと言う……。
野口:ところが原田さん自身はこれを覚えていない。作った本人はこだわりがありそうなのに。きっとレコーディング時はこだわっていたんじゃないかと思うんですよ。あのカウントは曲の重要な部分ですしね。小さな声なのにエコーやコーラスエフェクトのかかったサウンドになっているじゃないですか。原田さんは瞬間沸騰度が相当高くて、そういう細かい所にもこだわっているはずなのに、終わると忘れちゃうか、どうでもいいと思っちゃうというか。
竹部:もしにカウントがなくて、いきなりピアノだったら、印象が違います。ビートルズの「アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア」もカウント込みで1曲じゃないですか。「MARCH」のカウントもそれくらい重要なんです。
野口:だから、世に出ている「MARCH」のカウント部分を聴き比べてみようと思ったんです。「原田真二マニアック」という場がなければ、あそこまで調べようとは思わないですよ。そういう部分に関しては成果があったんじゃないですかね。原田真二というミュージシャンの奥深さやエネルギー、作品の圧倒的なクオリティは証明できたと思います。
野口:ただ、『マニアック』の前半戦を終えては、まだまだかな、という感想で、私が到達できてないなと思ったひとつの理由としては、原田さん自身が当時のことをあまり覚えていない(笑)。
竹部:それは仕方ない(笑)。過去に興味のない人ですから。
野口:もっと覚えていてよと思う反面、逆にこっちが思っている以上に細かく覚えているところもあって、そこのバランスは難しいなって思っていて。
竹部:僕は渡米時代住んでいた家のことを細かく覚えていたあたりは面白かったです。「マニアック」をやって、あらためて気づいた原田真二の魅力、奥深さっていうのはどんなところですか。
野口:原田真二は天才だっていうことを前提として、原田真二登場以前には、私たちが聞いていた洋楽のような、しかもポール・マッカートニーの水準の音楽を身体の内側から出てくるクオリティやエネルギーを持って生まれてきた人は彼以外にはいないということですね。このイベントで絶えず私は、原田さんにこう言い続けてきたんです。「普通はこうですけど、原田さんは違いますよね?」。それが枕詞になっちゃって。今言った普通というのは、大抵の人は好きな音楽をコピーして、勉強したうえで、作品を発表していくんだけど、原田さんはそういう発想がない。とにかく最初から自分の音像と言いますか、作りたい音のイメージができていて、そこにひたすら向かっていく。パイオニアとして確立されちゃっている。話を聞けば聞くほど、そこに嘘偽りがないことがはっきりしてきました。
竹部:確かに真二さんと洋楽の話をしてもあまり盛り上がらないんですよね(笑)。好きなアーティストとしてエルトン・ジョンやポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーの名前は挙がるけど、だからといってそこまで深い思い入れはない。
野口:その逸話を話していいですか。私が原田さんとじっくりと話すことができたのは、今から4、5年前なんです。そのとき原田さんは64歳だったので、「原田さん『ホエン・アイム・シックスティ・フォー』ですね?」と言ったんです。そうしたら「なんだっけ?」って(笑)。「いや、ポールの曲ですよ。ビートルズ時代の」と返したら「そんな曲あったかな?」って言ったんですよ。
竹部:ビートルズファンにとってはもちろん、ミュージシャンにとって64歳って、ひとつポイントとなる数字のような気がしているんですけどね。
野口:私は今64歳なので、まさにそれを感じているけど、原田さんにそれを言われたとき、この人やっぱすごいって思った。
竹部:ポールも意識していないですよね。64歳のときに「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」歌っていないですし。
野口:セカンドアルバムの『ナチュラル・ハイ』に収録されている「ミュージック・ボックス」って曲にクラリネットのような木管楽器の音が入っているでしょ。あれって「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」の音色そのものじゃないですか。でも、原田さんがそれを意識してコピーしたわけではないことが、さっきのエピソードで確認できたんですよ。
竹部:普通なら、アーティストかプロデューサーが演奏者に「あの曲のあれみたいなフレーズをあの音色でソロを入れてくれ」っていう指示するんじゃないかと思うんですよ。
野口:原田さんのライブラリーにはそれがない。そういうことを詳らかにすることが「原田真二マニアック」をやりたかった理由のひとつだったんです。