ロンドン赴任時に体験したプレミアリーグ全盛期

野口:あのイベントのとき、壇上の竹部さんを見て、この人どこかで見たことがあるなと思ったんです。もしかすると、『オリコン』の文章読んでいたのかもしれない。
竹部:98年の「恋は500マイル」と『アーバン・エンジェルス』のときはいろいろプロモーションを手伝いました、フライヤーのキャッチコピーを書いたり。でも名前は出していないんです。オリコンの社員だったし。そうだ、『オリコン・ウィークリー』で「21世紀に伝えたい名盤」というページで『フィール・ハッピー』を取り上げたことがありました。それかもしれないです。あのイベント以降、いろいろ原田真二周りをやるようになって、次の年に『ゴールデン☆ベスト』の監修をするんですよ。『OUR SONG〜彼の歌は君の歌〜』。
野口:ライブ映画『アワ・ソング』のDVDもやっていますよね。
竹部:はい。解説と特典映像用のインタビューもやりました。
野口:思ったのは、とにかく原田真二愛が満ちあふれているということ。
竹部:力が入っていましたね。そういえば、先程イギリス在住時代があったと言っていましたが、それは何年からだったんですか。
野口:98年から2001年3月までロンドンに住んでいました。だから『アーバン・エンジェルス』のCDは日本から送ってもらったんですよ。
竹部:当時ってまだamazonとかのECはなかったということ?
野口:なかった。だから、日本のものが買えなかったんです。イギリスに行ったときはそれがショックで。まったく原田真二情報が入らなくなってしまった。ついに私の原田真二コレクションも終わるんだと思って……。最初の内は情報がなかったんですが、途中からインターネットが普及してくれたおかげで、原田真二ファンとつながることができていろんな情報いただくことができた。テレビ出演したビデオを送ってくれたり、助かりました。ライブ情報も教えてくれるんですけど、それは行けないから羨ましく思っていましたね。
竹部:NHKBSの深夜番組の司会をやったり、聖子さんのプロデュースをしたり、自分の音楽活動があったり。いろいろやっていましたからね。
野口:それでネットで繋がっていたファンの皆さんが、私が帰国したときにお祝いをしてくれたんです。そのときに今度こういうイベントがあるみたいだから行こうって誘われたのが「語ろう!原田真二と」だったんです。とても意味があるイベントだったから、続けてほしかったんですよね。それから時間がたって、竹部さんにコンタクトを取りたいと思っていたらFacebookに同姓同名の人が出てきたので、意を決して連絡した。
竹部:それから実際にお会いするまで時間がかかっていますよね。先ほどのポールの国立競技場公演前日まで。話を戻しますが、なぜロンドンに行かれたんでしょうか。
野口:ロンドンの日本人学校に勤めることになったんです。それまでは東京の小学校の教員だったんですけど、当時文部省が世界に96ぐらいある日本人学校に全国の教員を派遣していたんです。そのひとつがロンドンなんですけど、私が選ばれて、赴任することになった。昔はサッカーばかりやっていたので、なんとなく外国に行きたかったんですよね。そこで現地の日本人の子どもを相手に日本語による授業をしていたんです。

竹部:サッカー好きとなると、現地でプレミアを見るわけですか。
野口:チェルシーのファンクラブ入って、試合を見ていました。チケットが手に入るので。
竹部:シーズンチケットホルダーになったんですか。
野口:ファンクラブには何層かあるんですよ。ある水準のファンクラブ入っていると申し込めば100%チケットが手に入ります。シーズンチケットホルダーはいい席なんですが、私の場合、席はどこでもよかったんですね。
竹部:スタンフォード・ブリッジに通っていたと。
野口:3年間で3~40試合くらい観たかな。
竹部:そんなに。でも、その頃のチェルシーはそんな強くない頃ですよね。モウリーニョ監督の前ですよね。
野口:プレミアでは4位、5位。当時はユナイテッドとアーセナルが強くて、ライバル関係にあって、その下にチェルシー、ニューキャッスル、リーズ。チャンピオンズリーグではベスト4ぐらい。でもヨーロッパ・ウィナーズカップで優勝したんですよ。
竹部:優勝しましたよね。覚えています。当時の監督は誰でしたっけ。
野口:ジャン・ルカ・ビアリ。その前がフリット。
竹部:チェルシーはイタリア人が多かった。ゾラがいたり。
野口:そうそう。私はそれまであまりイングランドのサッカーは好きじゃなかったんですよ。でも現地で観るようになったら大好きになっちゃって、
竹部:あの雰囲気がたまりません。僕もその頃スタンフォード・ブリッジで何試合か観ているので会っていたかもしれません。
野口:住んでいたのがウェンブリーだったので、ウェンブリー・スタジアムに徒歩5分くらいだったんですよ。地域の人はナショナルチームのチケットを優先的に買えるので、代表の試合もほとんど見ました。あとは、友人とマンチェスターに行ったとき、ユナイテッドの練習グラウンドにも入ったことがあるんです。マンチェスターのクリフという場所にあるんですけど、マンチェスター市内でボビー・チャールトンに会う機会があったため、車を運転していたら道を間違えてクリフのユナイテッドのグラウンドが見えてきて、本当なら一般人は入れないですけど、守衛がスタッフと間違えたらしくて、入れた(笑)。
竹部;全盛期のトレブル時代のユナイテッドですよね。
野口:ベッカム、スコールズのウォーミングアップを至近距離で見ました。ベッカムは綺麗な顔でしたね。スコールズは顔が赤くて、まさにイングランド人というか。でも私、あの頃のイングランドの選手の中ではリバプールのスティーブ・マクマナマンがいちばん綺麗な顔だなと思いました。
竹部:それは同感。僕もマッカは大好きでした。
野口:あの頃のイングランドはアイドル的な顔の選手がたくさんいてね。
竹部:オーウェンとかレッドナップとか。当時全盛だったブリットポップのミュージシャンとかぶるんですよ。
野口:ただ、あの頃は酒を飲んで暴れる人がまだいましてね。
竹部:豪気な選手もいました。ガスコインとか。フットボールのスタイルもまだキック・アンド・ラッシュの名残があった。
野口:そこにベンゲルがアーセナルにやってきて一石を投じた。綺麗なパスワークで崩してっていう新しい戦術を見せて。おもしろかった。
竹部:ぼくも96年からずっとプレミアを追いかけているんですけど、あの頃がいちばんワクワクしました。ユナイテッド対アーセナル、モウリーニョになってからのチェルシー戦は殺気がありました。
野口:選手もそうだし、観客もすごかった。あの頃、ホワイトハートレーンでスパーズとアーセナルのノースロンドンダービーを見ているんです(2000年12月18日 トッテナム対アーセナル戦)が、そのとき私の目の前でアーセナルのロバート・ピレスがスパーズのサポーターにボールを顔面にぶつけられたという事件があって。その映像が今でもネットに上がっているんですよ。歴史的な瞬間として。
https://youtu.be/sFpVgiqKULQ?si=vFqVNsCPlARjuDNS&t=3981
※このシーンを見ることができます
竹部:そんな事件ありましたか。ホワイトハートレーンは地域的にも治安が悪かった。でも、ぼくは好きなスタジアムでしたよ。ぼくもノースロンドンダービーを観たことがあって、そこまで白熱していなかったけど。でも異様な熱気なんですよね。スタジアム周辺に警察が馬を出動させたり。
きっかけは76年の編集盤『ロックンロール・ミュージック』


野口:それも含めてエンターテインメントとして成立していた。あれ何の話でしたっけ?
竹部:そう、今日はサッカーの話ではなく、ビートルズの話をしたいんですよ(笑)。
野口:ごめんなさい。私はそれまでビートルズに熱心じゃなかったんですが、ロンドンに行って火がついたんです。90年代後半に『レコード・コレクターズ』の増刊でビートルズのディスクガイドが3冊出たんですよ。あれを、イギリス行く前に読んでいたんですが、あの中で和久井光司さんが『プリーズ・プリーズ・ミー』のモノラルをゴールデン・パーロフォン盤で聞かないとビートルズの良さはわからないって書いていて。
竹部:昔から書いていますよね。僕も和久井さんの『アップル・マテリアルズ』に影響を受けましたから。
野口:それで、先ほども言いましたけど、私が住んでいたウェンブリーの街にある小さな体育館みたいな建物で毎週日曜日にレコード・フェアをやっていて、そこで『プリーズ・プリーズ・ミー』のゴールデン・パーロフォンを見つけたんです。日本円で3000円ぐらい。
竹部:それは安い!
野口:貴重品だ、という割にはめちゃめちゃ安いと思って、レコードプレーヤーを持っていなかったんだけどそれを買って。その店主から「よく旅行者の日本人がレコードを買いに来るけど、こんなボロボロのレコード、よく買うね。好きだね」みたいなことを言われて(笑)。
竹部:わかってない!
野口:それから毎週のように行っていたら店主と顔見知りになっちゃって。そこからUK盤を買いまくっていくんです。CDへの移行期だったのでレコードの人気がない時代で、とにかく安いんですよ。100円とか200円ぐらいでLPを売っているから。
竹部:当時、レコード屋に行くと地下に1£コーナーがあって、そこに乱雑にレコードが置かれているんです。そこで僕はウイングスのレコードをインナースリップ、ポスターを完品にセットして買っていましたよ。
野口:ありましたよね。1£コーナー。
竹部:監視カメラがあるから、何か言われるかなと思ったけどあまり気にしてなかったみたい。売れればいいって感じだったのかな。90年代前半の話です。では、結構集まったっていうことですか。
野口:ビートルズと一緒にXTCのシングルとか英国のフォークソングとか全部で100枚ぐらい買ったかな。でもプレイヤーがないから聞けないわけですよ。聞けないから今度はCDショップに行って普通にビートルズのCDを買って。元々持っていたものをCDで聞き直して、少し熱心なファンになってくんです。それでせっかくイギリスに住んでいるんだからビートルズの名所めぐりをやってみようと思って、リバプールに行ったんですよ。4人の生家を回ったり、ジョンがミミ叔母さんと暮らす前に住んでいた家とか。こういう風にマニアックに探してみるのはとても面白いなって思って、週末になると車でリバプールまで行っていました。自分のタイミングで行けて、現地で食事もできて、で、日帰りでも簡単だし、スチュワート・サトクリフの家はB&Bになっていたからわたしの家族で宿泊したり。その影響でビートルズの方に気持ちが傾いていった。
竹部:ビートルズ名所めぐりは面白いですよね。
野口:結構詳しくなっちゃって。ちなみにジョンとポールが最初に会った日、セント・ピータース・チャーチでクオリーメンが演奏したっていう場所あるじゃないですか。1957年7月6日。あの場所を見つけたときは感激しました。あそこに何回も行って、墓場を歩いて、あの写真を見ながら同じ木を探して、写真と同じ角度を見つけた。
竹部:まだ細かい研究がなされていない頃ですよね。
野口:そのあと高名な日本の写真家がピータース・チャーチを訪れて、あの写真はここで撮られたといって撮影していたんですが、場所を間違えていた。それを確認したのは、元クオリーメンの人が、私が探し当てた場所をあの写真が撮られた現場だとしてツァーガイドをしているYoutubeの映像を見付けたんです。ある意味、原田真二マニアックのトレーニングはそこから始まったと言っていいです。
竹部:やはりビートルズだったと。

野口:そうしたら、ネットでつながっていた原田真二ファン仲間の中に黒田さんという人がいて、彼がロンドンの僕を訪ねてきてくれたんです。この頃黒田さんはアメリカのデトロイトに住んでいたんですけど、わざわざ。
竹部:大西洋を渡って。
野口:あの人もまた詳しいもんだから、指示通りにロンドンの街中のビートルズの関連の場所を行って写真を撮るっていうのをやったんです。
竹部:ネットのない時代にそういうことをやるのがおもしろかったんですよ。僕もいろいろなところ行きましたから。野口さんの、そもそもビートルズとの出会いは?
野口:中学生時代はビートルズってあまり聞いてなくて、ローリング・ストーンズのほうが好きだったんです。というのも、中2ぐらいですかね、ストーンズのレコードを安売りしてたんですよ。キングレコードがロンドンレコード盤を1500円くらいで売っていた。ビートルズは2500円だった。しかも1500円でも売れないから、1100円で売っている店もあった。
竹部:再販制度を無視して売っていたんですか。
野口:だから、中学校の頃はストーンズばかり買っていたんですよ。それとFEN。土曜日の昼間はビルボードのトップ40を聞いていたんですが、その頃って、ソウル・ミュージックが流行していて、ヴァン・マッコイのハッスルとか、ケシー・アンド・サンシャイン・バンドのザッツ・ザ・ウェイとか、スリー・ディグリーズ、コモドアーズ、ミラクルズ……そういう音楽ばかり聞いていたんです。そういう感覚で言うとストーンズはソウルに近かったんですよね。当時はわかっていなかったけど、チャーリー・ワッツのドラムって後乗りなんです。いわゆるバックビート。
竹部:ストーンズはどのあたりの時代ですか。
野口:『ブラック・アンド・ブルー』が出たばかりくらい。それは買っていないけど。
竹部:ブラック・ミュージックのノリがありますもんね。
野口:77年だったかな。NHKの『ヤングミュージック・ショー』で、フランスのパリ公演の映像を流したんです。それもよかった。中学の友達は音が悪いとか、下手とか、わからないって言っていたけど、私からすると、ストーンズのブラック・ミュージックの感覚がなんてかっこいいんだろうって。その頃はビートルズというよりもポールのウイングスの方が現役バンドとして流行っていたし、かっこよかった。
竹部:70年代のウイングスをヒット曲として親しんでいたんですね。
野口:だから当時の感覚でビートルズは、日本のロックンロールバンドのキャロルとかクールスに近い印象があって、そのノリに抵抗があったんですよ。最初に聞いたアルバムが『ロックンロール・ミュージック』だったというのが大きいんだけど。あれ、1976年だと思うんですよ。
竹部:東芝の石坂敬一さん企画の編集盤ですよね。
野口:友達からレコードを借りてテープに録音したけけど、あまりいい印象がない。それで次に聴いたのが『ラブ・ソングス』なんです。
竹部:これも石坂さん企画ですね。
野口:当時、渋谷陽一が書いていたか、ラジオで言ったのか忘れましたけど、日本のディレクターの石坂さんが提案した曲が却下されて「ワーズ・オブ・ラヴ」が入ったみたいなことを言っていたんです。私は「ワーズ・オブ・ラヴ」はいいなと思ったんですよ。すごくハーモニーも綺麗だし。
竹部:編集盤からオリジナルアルバムへは行かなかったんですか。
野口:最初に買ったオリジナルが『ラバー・ソウル』。収録曲ではなく、とにかくジャケット写真が魅力的で。そうしたら『ラブ・ソングス』の曲がたくさん入っていた。「ガール」「ミッシェル」。「これは損した!」と思いました。ただ、1曲目の「ドライブ・マイ・カー」にストーンズを感じて、「できるじゃん、ビートルズ!」って思ったんだけど、考えてみたら、これも『ロックンロール・ミュージック』にも入っていたんですよね。『ラバー・ソウル』の次に買ったのが「イエロー・サブマリン」。ビートルズの曲はA面だけでこれまた損したと思っただけど、実はB面が好きになった。
竹部:それは珍しい。
野口:ジョージ・マーティンのオーケストラがよかったんです。メロディ、アレンジが極上で、楽器選びも素晴らしい。ジョージ・マーティンって誰か知らなかったけど、B面の曲は全曲メロディを口ずさめるぐらい好きでした。それが77年、中3のとき。