ポール逮捕後に心配していたジョンの危険

竹部:それで77年に原田真二がデビューするわけですよね。
野口:今でも覚えていますよ。1977年9月24日の土曜日、ニッポン放送夜12時30分。おりも政夫がやっていた公開録音の番組(註:「ロッテ集まれ!ヤンヤン熱気でムンムン!」)に吉田拓郎が出てきて「今度デビューする原田真二」と言って紹介したんです。そこで「てぃーんずぶるーす」をかけたんですが、それ聞いた瞬間にやばいと思った。これは日本人の音楽じゃない、私が聴いてきた流れで言うと、ブラック・ミュージックだなと。リズムが縦乗りじゃなかったし、イントロから全てがソウル・ミュージックっぽくって、これは絶対に買わなくちゃって。
竹部:ポールとの類似性という点から言うと、ウイングスの「心のラブソング」にもフリーソウル・フィーリングがあるじゃないですか。
野口:でも私は原田真二にブラック・ミュージックを強く感じたんです。ポールもブラック・ミュージックが好きだっていう感じはわかるし、あの頃のほかの白人のミュージシャン……エルトン・ジョンとかもブラック・ミュージックの感覚を取り入れていたけど、どこか使いこなしていない感じなんです。でも原田真二の場合は内側からそれが出ている。
竹部:原田真二のリズム感は驚異的ですよね。
野口;私はそれまで日本のミュージシャンってほとんど興味がなかったんだけど、唯一グレープだけは聞いていたんです。さだまさしではなくて吉田政美が好きだったんです。彼のギターがすごいと思った。グレープのセカンドアルバム『せせらぎ』の中に「ラウドネス」っていうインストが入っているんですね。吉田政美作曲の。これがファンクなんですよ。彼はアレンジャーとしても才能があって、日本でもあのクオリティでできる人っているのかなと思ったときに出てきたのが「てぃーんずぶるーす」。
竹部:ユーミンや達郎とかは聞いてなかった?
野口:聞いていたけど、ちょっと違ったんです。原田真二はアメリカのトップ40に出てくるタイプの音楽だと思った。でもどんな人なんだろうって。顔も見たことないし。それで、発売日にレコード買ったときに、「こんなアイドルみたいな人だったの」って思って、ちょっとショックで(笑)。それでレコードを聴いたらB面の「エンジェル・フィッシュ」が完全にソウル・ミュージックで、完全にハート打ち抜かれちゃって。こんなことができる日本人がいるのか。すごいのが出てきたなと思った。
竹部:ただルックスがアイドルだと。
野口:そのギャップに戸惑ったんですよ。それから「キャンディ」「シャドー・ボクサー」のシングル、そして翌78年2月にアルバム『フィール・ハッピー』を買うわけです。発売日に。勇気がいりましたね。ジャケットがあまりにもかわいくて。でも買って良かった。期待通りのブラック・ミュージック系のフィーリングがすごくて、感動しました。
竹部:78、79年あたりの原田真二を中心に聞いていたんですか。
野口:当時はやっぱり洋楽の方に頭がいっちゃうんですよ。ジャズ、クロスオーバー。自分でもフュージョン系のバンドもやり始めていたので。でもその翌79年の3月に出た『ナチュラル・ハイ』でまた原田真二を見直した。この頃は評価がくっついたり離れたりしている時期なんですね。インストルメンタルが上手な人の評価が高い時代だったし。そうするとチャーが人気なんですよ。でも『ナチュラル・ハイ』を聞いてやっぱりすごい、原田真二はミュージシャンなんだって思った。
竹部:『ナチュラル・ハイ』は二十歳で作っていることに驚きます。
野口:原田さんはその後くらいから、積極的にギターを弾き始めるわけだけど、僕の周りからは評価が上がらなくて、悔しい思いがあったんですよ。サウンドクリエーターとしての原田真二のすごさがわからないのか!って。
竹部:野口さんが初めて真二さんのライブを見たのは?
野口:見たっていうか聞いたのは、79年7月のチャーの「フリー・スピリット」。あれを日比谷野音の外で聞いたんです。友達から「無料だから行こうぜって」って誘われて行ってみたんです。人がたくさんいたので中に入るのは諦めて。原田真二が出るとは知らずに。原田真二が出ると知っていたら意地でも入っていたのに。

竹部:貴重な体験ですね。翌80年はビートルズファンにとって重要な年なんですけど、ポール来日逮捕はいかがでしたか。チケットは……。
野口:買いましたよ。町田の大丸というデパートの地下にチケット売り場があったんです。そこに徹夜で並んで。『バック・トゥ・ジ・エッグ』は大好きだったし、その前の『スピード・オブ・サウンド』『ロンドン・タウン』はリアルタイムで買っていたので、ウイングスは好きだったんですよ。ソウル・フィーリングがあったし。
竹部:来日中止についてはいかがでしたか。
野口:すげえなと思いました。普通にテレビのニュースでも取り上げられていたじゃないですか。日本のミュージシャンじゃここまでにはならないだろうなと。
竹部:じゃあ野口さんは来日中止を2回経験してるってこと(笑)。で、その後のジョンの死っていうのはどのように。
野口:私、当時『ロッキング・オン』の愛読者だったんですよ。松村雄策さんが好きで。何度か投稿したけど、全部ボツ。で、ジョンの事件の前に投稿した原稿でそのこと書いていたんです。
竹部:え? ジョンの死を?
野口:コピーしてとっておけばよかったと思うんだけど。ポール逮捕の余波が残っていた頃、まだジョンが復活するっていう話が全然伝わってきていない2月、3月ぐらいに投稿したんですが、その原稿で「ジョンが死ぬかもしれない」って書いたんですよ。
竹部:どういう根拠で?
野口:ポールでこういう事件が起きて、ビートルズが注目浴びるし、気を付けないといけない。とくにアメリカ・ニューヨークは物騒なところだから、殺されるんじゃないかみたいなこと書いたんですよ。
竹部:……。
野口:ポールが日本に持ち込んだマリファナって、アメリカから持ち込んだんですよね。イギリスではなく。アメリカっていう国は日常的に負の部分、闇の世界があって、ああいう有名な人にはいろいろなお誘いが来ちゃうんだなっていうことを考えると、ジョンみたいに隠遁生活しててもいつ狙わるかわからない。だから気を付けなくちゃいけないんじゃないって。
竹部:どのくらいの文字数書いたんですか。
野口:400字原稿で7、8枚は書いたんじゃないかな。覚えてないけど、書き出しがポールで、最後がジョンっていうのは覚えていて。
竹部:実際にその予言が当たっちゃったわけですが……。
野口:私たちからすると、命日は12月9日なんですよ。友達から電話かってきたんです。ジョンが死んだぞって。当時、高校3年生。翌日学校で授業があったけど、ショックで学校の屋上でラジカセを付けてずっとジョンの曲を聞いていました。
竹部:RC「トランジスタ・ラジオ」の世界だ。
野口:あのときはもう『PLEASE』は発売されていたのかな。
竹部:12月5日発売です。「トランジスタ・ラジオ」は10月28日。
野口:そうか。あの曲って私たちのことだと思いましたよ。
竹部:原田真二の伝説の中にジョンとコラボする予定だったという話があるじゃないですか。真偽のほどは置いておいて。もし実現していたらことになっていましたかね。
野口:多分、喧嘩別れじゃないかな。
竹部:ジョンと決裂(笑)。
野口:二人が直接というよりも、ヨーコさんを含めたスタッフの問題で。あるとすれば、もっと違う形かなと思っちゃうんですよ。トータル的なことが出来たのかもしれないと思ったりもするんですよ。
竹部:イベントとか平和活動とか?
野口:映画とか。
竹部:エルトン・ジョンとの「真夜中を突っ走れ」みたいなものにはならなかった。
野口:ならないんじゃないですかね。『ダブル・ファンタジー』を聞いて私はちょっとがっかりしたんですよ。ジョンの尖ったところがなくなっちゃって。80年代ゲフィン・レコード特有のクリアなサウンドだけど、私の知っているジョンとは違うなと。
竹部:リアルタイムで聞いていた人はそういう意見ですよね。丸くなっちゃったな、みたいな。今では『ダブル・ファンタジー』は名盤という評価ですけど。僕はジョンが亡くなる2日前に「スターティング・オーヴァー」を買って、亡くなった翌日に『ダブル・ファンタジー』を買っているので冷静は評価が出来なくて。
野口:『ダブル・ファンタジー』はヨーコの曲がいいですよね。
竹部:「キス・キス・キス」は強烈ですけど(笑)。いやあの曲も今聞くとカッコいいし、確かにほかの曲もいいんですよ。
野口:だから、そんな二人を相手にしても、原田真二は内側が出てくる音のイメージ強烈にあるから、絶対に折れないと思うんですよ。
竹部:『ヒューマン・クライシス』から『エントランス』にかけての頃。キレキレですよ。
野口:だから音のイメージが合わない気がして。あるとすれば、原田真二がトニー・レビンとかアンディ・ニューマークと一緒にやってみないかっていう提案はあったかもしれない。ジャック・ダグラスのプロデュースとかで。
竹部:それは面白いですね。
野口:でもそれももめるかな(笑)。
