ビートルズと原田真二とTFCと。【ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談 VOL.12 渡邊文武】

音楽ディレクターとして多くのアーティストを手掛けてきた渡邊文武さん。出会いは古く、2000年前後、渡邊さんがミディでサニーデイ・サービスやゆらゆら帝国のディレクターを務めていたころまでさかのぼります。この頃発売されたある雑誌に渡邊さんのロングインタビューが掲載されていて、そこで原田真二について熱く語られ、しかもビートルズも出てきて、これは会わねばと思い、連絡を取ったのが最初でした。以来会えば、原田真二話をしてきたわけですが、渡邊さんに言わせれば「何度も同じ話を繰り返すのが大切」とのことで、今回もそういう話に脱線しつつも、最終的にはビートルズに着地、というところにビートルズの懐の深さ、寛大さに気づかされる対談となりました。

原田真二とビートルズを比較して聴いていた

渡邊文武さんと竹部で監修した原田真二『ゴールデン☆ベスト』

竹部:わたしと渡邊文武さんは原田真二のベストアルバム『GOLDEN☆BEST OUR SONG~彼の歌は君の歌~』『GOLDEN☆BEST 原田真二&クライシス LIFE~ポリドール・イヤーズ 1980-1981』の監修をした仲ということで、知り合ったきっかけも原田真二なんですが、最初に渡邊さんに会ったのは『happy voice』という雑誌に載っていたロングインタビューを読んだからなんですよ。そのなかで渡邊さんが原田真二について熱く語っている箇所があって、それで原田真二研究家として、この人と話がしたいと思ったんですよね。たしか、表紙がクラムボンの原田郁子さんだった。

渡邊:そうそう。あのインタビューは前・後編で掲載されたんだよね。

竹部:そのなかで興味深かったのは、中学の頃、原田真二をビートルズと比較して、研究して聴いていたっていうくだりがあったんですよ。

渡邊:そうそう。その前にぼくがなぜビートルズを聴くようになったのか、というと、母に「そんなに原田真二が好きならビートルズも絶対に好きになると思うよ」って言われたからなんだよ。中2のとき。1979年だね。

竹部:ビートルズより原田真二が先なんですね。

渡邊:真二のデビューは77年でしょ。ぼくは小学校6年のときだから。真二は初めて意識的に好きになったアーティストで、ぼくはこの人の楽曲と歌が好きだってはっきり思ったの。自分で曲を書く人なんだっていうことも知って、ますます好きになった。

竹部:それまでは歌謡曲とか聴いていなかったんですか。

渡邊:わりといいなと思っていたのはキャンディーズ。曲がかっこよかったよね。考えたら、キャンディーズのマネージャーって初期の真二を手掛けた大里さんなんだよね。つながってるんだよね。

竹部:当時はそんなこと知る由もないわけですよね。

渡邊:知らないよね。ぼくは72年から75年まで、親の仕事の都合でハワイのホノルルに住んでいたの。ハワイには日系人のための放送局があって、そこで日本の歌番組も放送されていて、『紅白歌のベストテン』『夜のヒットスタジオ』なんかをよく見てたの。そこでキャンディーズを知ったんだ。もちろん山口百恵やアグネス・チャンなんかもね。

竹部:そうでしたね。渡邊さんはハワイ育ちなんですよね。ということは、同時に洋楽も聴いていたわけですよね。

渡邊:その頃はカーペンターズですよ。子どもの耳にも届いて、この人誰だろうって思ったのを覚えてる。同時に流れていたのが、キャロル・キング、エルトン・ジョン、ウイングスなど。それって全部ピアノが主体か、ピアノが大きな役割を担ってたアーティストなんだよね。ピアノサウンドで、美麗なメロディを歌うポップス。それが自分にフィットしたの。

竹部:なるほど。

渡邊:デビュー当時、真二は雑誌のインタビューで、エルトン・ジョンとかウイングスとかビートルズの名前を挙げてたよね。確か、学生時代に組んでいたバンド名がビールスだもんね。

竹部:その通りです。

渡邊:真二って58年生まれでしょ。

竹部:はい。58年12月5日生まれ。プリンス、マドンナ、マイケルと同じ年。

渡邊:でも昔の『明星』とかには59年1月2日生まれって書いてあったよね。なんでだろう。58年ということは小西康陽さんとかカーネーションの直枝政広さんの一つ下。

竹部:小西さんとは学年は同じです。桑田さんや佐野さんよりも若い。

渡邊:10代での早いデビューだったからね。しかもすぐに人気者になったし。それにしても、真二は評価が低いよね。一般的にも、評論家やアーティストの間でも。あれってなんだろう。おかしくない? 明らかにデビューの頃の作品ってめちゃくちゃいいよね。

竹部:その話、『ゴールデン☆ベスト』の中でもしていますよね(笑)。

渡邊:繰り返し同じ話をすることは大事なんだよ(笑)。考えが変わっていないと言うことだから。

竹部:原田真二は曲もいいし、歌もいいし、アレンジもいいし、演奏もいいし、音もいいし、ルックスもいいし。

渡邊:それはやっかみなのかな。認めたくない何かがあるのかな。すそ野が広がったのは芸能的なプロモーション展開があったからだとは思うけど、やっぱり本人の魅力だよね。それがなければあんなには売れないよね。

渡邊さんのロングインタビューが掲載された雑誌『happy voice』

竹部:原田真二は天才ですから。

渡邊:そう。だから今思っても、原田真二は1977年の時点で明らかに突然変異だったんだよね。それまでそういう洗練された都会的なポップスのマーケットがあまりなくて、近い存在だと、同じく十代でデビューして一般的に知られていたのは荒井(松任谷)由実さんくらいかも。なのに、あんなに売れて。1978年には日本人で初の武道館ワンマンコンサートを開催してソールドアウトして。その年の大晦日には大ヒット曲「タイムトラベル」で紅白歌合戦にも出場しましたよね。圧倒的なポップアイコンだった。都会的と言えば、ユーミンは東京の郊外の出身だけど、真二は広島だよね。

竹部:はい。広島出身で、当時18、19歳。すごいのは当時の原田真二は捨て曲が1曲もないじゃないですか。シングルB面もアルバム曲も全部いい。奇跡的ですよね。

渡邊:圧倒的だった。

竹部:最初に渡邊さんが原田真二の存在を知ったのは「てぃーんずぶるーす」ですか。

渡邊:いや、ちょっと遅れたな。『ザ・ベストテン』って78年の1月に始まったでしょ。その『ザ・ベストテン』で観たのが最初。

竹部:原田真二は『ザ・ベストテン』の第二回目に「キャンディ」で初登場してます。

渡邊:多分それだ。78年1月だから小6。その放送を毎週、テレビ一体型ラジカセで録音してたの。

竹部:そんな高価なものを持っていたんですか。

渡邊:最初はレコードを買わずに、それでエアチェックした音源を聞いてたんだよ。それで、偶然なんだけど、ぼくの叔母の友達がフォーライフのプロモーターだったの。で、ぼくが原田真二の大ファンだっていうことを知ってたから、その叔母がサンプル盤をもってきてくれたんだよね。それに今度は中1のときに同じクラスで友達になった男の子の親戚が当時の真二の事務所に勤めてたの。

竹部:なんですか、それ。

渡邊:りぼんかな。それでもうひとつあって。中2のときに学校に来た教育実習の先生が青学で真二の友達だったんだよ。英語の先生だったんだけど、華やかな感じの女の人だったな。

竹部:なんですか。その偶然は。

渡邊:その先生に自分が原田真二の大ファンだってことを言ったら、「放課後に私の控え室に来て」って言われて……。そこに行ったら、真二とのツーショット写真を見せてくれたんだよ。

竹部:その先生の名前は覚えてないんですか?

渡邊:忘れちゃった。

竹部:これだけいろいろ覚えてるのに……。

渡邊:中学になって急にぼくの周りに真二に関係のある人が3人も現れたんだよ。その頃、叔母に頼んでサインをもらってきてもらったんだ。大好きなセカンドアルバム『ナチュラル・ハイ』に。

竹部:サンプルをもらっていたのは、そのあたりのレコードということ?「サゥザンド・ナイツ」「アワ・ソング」「スウィート・ベイビー」とか?

渡邊:そうだね。『ナチュラル・ハイ』以降の「ア・デイ」「マーチ」とか、ポリドール期の「ストロベリー・ナイト」以降は自分で買ってたよ。

この記事を書いた人
竹部吉晃
この記事を書いた人

竹部吉晃

ビートルデイズな編集長

昭和40年男編集長。1967年、東京・下町生まれ。ビートルズの研究とコレクションを40年以上続けるビートルマニア兼、マンチェスターユナイテッドサポーター歴30年のフットボールウィークエンダーのほか、諸々のサブカル全般に興味ありの原田真二原理主義者。WEBメディア『昭和MILD(https://showamild.com/)』もよろしくお願いします。
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